Always under construction since 2012/09/01   latest renewal : 2015/12/05   Mail to: kodama@a05.itscom.net                

2015/11/11以降に追加・補填したページ

『大津絵節』: 明治〜昭和初期の採譜から歌を再現した他、当時の主な録音をリンクした。         2015/11/14
『縁かいな』: 明治36年 ガイスバーグの録音した里朝のに倣って唄を再現、リンクした。          2015/12/05
『数え歌』: 明治22年に出版された「横須賀数え歌」を再現し、リンクした。                   2015/12/05
 国立国会図書館のウエブサイト 「近代デジタルライブラリ/KDL」は、明治の流行り歌の宝庫です。 日本十進分類法(NDC)による分類、「76音楽・舞踊」に属する1697件の書籍の大半が歌の本なのです。 資料の少ない明治元年からの10年間は別として、その後の唄本に現われる歌をこのウエブサイトから検索し集計することによって、当時どんな歌が流行っていたかを知ることが出来ます。 さらに当時実際に流行っていた歌詞は勿論のこと旋律についても、明治25年発行の「日本俗曲集」など充分信頼できる五線譜・数字譜、そして漢字による「工尺譜」をいながらにして読むことが出来ます。 一方、ガイスバーグが明治36年(1903)に残した録音が復刻・発売され、当時の寄席芸人達が唄う流行り歌の幾つかは直接耳にすることが可能です。 また、これを昭和に入ってからの録音と比べてみると、江戸以来の貴重な文化遺産が一世紀足らずの間にどれほど変容してしまったかも知ることが出来ます。 このホームページでは、先ず上記の方法で当時流行った歌を特定し、それらを声(または電子音)で再現します。
 明治という変革期、大衆音楽の世界も西洋化の嵐に翻弄されました。 機知に富んだ歌詞と豊かな旋律を持つ俗謡の世界から、新たに手探りで始められた西洋音楽 −軍歌・唱歌の世界への転換です。 特定した流行り歌それぞれの特徴を把握/分析するにも、この新旧の対比が焦点−鍵になります。 俗謡でいえば、誰かに直接呼びかけているかのような日常語、洒落と粋、しばしばオフビートやシンコペーションを伴う自由で軽快なリズム、臨時記号や調号の変換を伴う変化に富んだ旋律、一方の軍歌/唱歌はといえば、難解な文語体の歌詞、ピョンコビートとヨナ抜き、七五調・4拍子・4小節の規則的な繰り返し、といった違いでしょうか。 特に音階構造については、俗謡のシレミファラシなどの「都節タイプ(≒陰旋)」と、ラドレミソなどの「田舎節タイプ(≒陽旋)」に対して、軍歌・唱歌の「7音長音階と短音階」、「47抜き」、「26抜き」などの5音音階、と大きく異なっています。
 唄本に集計によって特定した流行り歌を個々に分析すれば、伝統的な俗謡と新しい軍歌・唱歌の大いなる違いがおのずと浮かびあがる筈であり、また唄本以外の同時代資料を調べることによって、それらの歌がどのような人々により、どのようにして生まれ、伝わり、唄われ/聴かれたか、を少しでも明らかにしたいと考えています。 替唄の多さは人々にホントに親しまれたことを意味し、その内容は時代を反映します。 その時々の社会情況、人々の生活、考え方・感じ方とその表現の仕方などが浮かび上って当然、というわけで作業は際限がありません。 このホームページは常に工事中の予定であり、それぞれの段階でご覧頂きたいと願っています。
明治から昭和・平成にかけて大衆音楽はさらに大きな変化を遂げてきました: 「○○節」・「端唄」・「俗曲」から、「軍歌」・「唱歌」を経て「歌謡曲」・「流行歌」・「演歌」、さらには今日の「見せる音楽」、姿・形は変ってもそれらの底に共通して流れ続ける何か、その正体に迫るためのヒントがここに隠されているのではないでしょうか。


                                                               2011/10/14 小玉 武司 
                                                             

                    明治の流行り歌 目 次   ◎は2012/01以降の追加/改訂  ]は未着手
どんな唄が流行ったか 

   俗
 


 明治の代表的な二つの俗謡
 「大津絵節」の三つの旋律: 「おおい親父どの」・「雨の夜に」・「堀川」
 「大津絵節」に関する資料、古くからの替唄中、元唄に最も近い歌詞は?
○ 「どどいつ」: 節は唄い手により文句によって変わる
○「どどいつ」の歌詞と旋律:その密接な関係を検証する
 明治初期の流行り歌
○ 「チョンキナ」: 横須賀発祥のストリップソング
○ 「猫じゃ猫じゃ」とその元歌「蝶々とんぼ」
○ 「ノーエ節」: 鼓笛隊?の都節から田舎節へ;  「ノーエ節」資料
 「あさくとも」: 江戸以来の田舎節端唄の名曲
 明治中期に復活し 一般大衆に広まった俗謡
] 「日本俗曲集」:陸軍軍楽隊の、永井岩井と小畠賢八郎
○ 「春雨」: 俗曲の古典、寄席では賑やかに
○ 「十日戎」: 都節と田舎節
○ 「越後獅子」: 長唄から寄席の人気レパートリーに
○ 「金比羅船々」: 本邦最初のコマーシャルソング?
○ 「かっぽれ」: 紳士も親方衆もみなかっぽれ
 唱歌として教科書に載った俗謡
○ 「高い山」と「ギッチョンチョン」: 教科書に載った俗謡
 「数え歌」:「ひとつとや」と「ひとつとせ」の関係
] 「宮さん宮さん」: 謎につつまれた唱歌   
 明治生まれの俗謡
 「縁かいな」: 俗謡最後の傑作は賑やかに歌われていた
 「九連環」とその系譜: 明清楽の流行とその変容
 ◎ 「九連環」: 
 ○ 「ほうかいぶし/ホーカイ節/法界節」:
 ○ 「さのさ節
 ○ 「かんかんのう」と「梅が枝」:都節と田舎節 
] 日清戦争中の唄本から 
]
「壮士節」あるいは「壮士演歌」と呼ばれた唄、「演歌師」の唄 


 
   軍
歌・唱


軍歌というもの それは旋律のない文語体75調の長詩だった
 軍歌の嚆矢新体詩抄」、次いで全国一斉発売の豆本 「軍歌」 
最初の軍歌 はどんな節でうたわれたか−「兵隊節」とは?   
 「抜刀隊」
 「来たれや来たれ」
 「嗚呼正成よ」
 「討清軍歌」
]ルルー作曲の「抜刀隊」と「扶桑歌」について
]伊澤修二作曲の「来たれや来たれ」について
唱歌メロディを軍歌として利用できないか?「むすんでひらいて」
「喇叭吹奏歌」の旋律は?
最初に本格的な軍歌を覚えたのは小学生だった!
 「敵は幾万」
  「元寇」
  「勇敢なる水兵」 
]同時代からの証言
明治中期の兵隊節 
  「道は680里」 
  「今度このたび」
  「波蘭回顧」 
『七五調長編軍歌にて曲なき長編軍歌はこれにて謡ふべし』
  「小楠公」 ... 歩兵の本領」「メーデーの歌」
] 唱歌/西洋音楽の大衆への普及に果たした軍楽隊長永井建子の功績 

○ 流行り歌になった軍歌・唱歌
  「雪の進軍」: この厭戦的な軍歌は軍楽隊長の作
  「鉄道唱歌」: 流行り歌になった唯一の明治唱歌
  「戦友」: 明治最後の軍歌は都節で唄われた
○ 誰もが覚えた唱歌: それは祝日の式典歌だった!
  「紀元節」
  「一月一日」
  「天長節」 



注: 私は このホームページで、20107月、Dr. Hugh de Ferranti のご指導の元にオーストラリアの Universisty of New England に提出した修士論文 [POPULAR SONG OF THE MEIJI ERA - A STUDY OF HAYARIUTA AND THE NATURE OF THEIR POPULARITY BASED ON SONG COLLECTIONS IN THE KINDAI DEGITAL LIBRARY: A thesis for the Master of Arts ( honours) of the University of New England, July 2010 KODAMA Takeshi] (以下Thesisと呼ぶ) の、反省・修正・補填を兼ねたいと考えています。 但しここでは論文という堅苦しい枠組みから解放されて理論への深入りを避け、流行った歌の由来・変遷・背景など、大衆音楽が写し出す明治という時代を追って、独断や誤謬も恐れずに記録していく予定です。                                         
なお参考までに、振り返ってみたこの論文の要旨短い英文の SUMMARY、提出済みの ThesisNote: Sounds originally pasted to the Thesis are removed.) を ご覧ください。        
                              2012/01/14   KODAMA Takeshi