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       九 連 環 (注1)                        

流行り唄の範疇には入りませんが、1800年代の初めからとされる歴史を持つ明清楽が、幕末から明治にかけて月琴・明笛など中国楽器の普及とともに、音楽愛好家の間で 「工尺譜」 による器楽曲として大いに流行しました。(注2) KDLの検索では、明治10年代に 10件、20年代14件、30年代14件、40年代10件、明治年間合計で48件の「九連環」が現れます。 20年代に入ると 『明清楽何々/月琴何々』 といったタイトルばかりでなく、西洋式楽器の名前をタイトルにした独習本が多くなり、この曲の広い階層への浸透ぶりを窺わせます。 「九連環」を載せた唄本の48件という数は 明治の唄本のなかでも 「梅が枝」 に匹敵する数で、大変な人気だったということができます。   (どんな唄が流行ったかを参照)

田辺尚雄(18831984)は 「明治音楽物語」 に、次のような川柳を引いて当時の明清楽がどれほど流行ったかを紹介し、また工尺譜の読み方を説明しています。 ただし、実際の工尺譜では、オクターヴ上下の関係で、 「合:sol」、「四:la」、「乙:si」 の代わりに 「六」、「五」、「一」 など、別の漢字を充てているものもあり、またリズムについては明確な表現を持たないものが多く、同じ曲で数字譜や五線譜を併記した例などを参照して、それぞれの旋律を推定していくことになります。( 「六」、「五」、「一」は、 「合:sol」、「四:la」、「乙:si」のオクターヴ下を表しているとも考えられます。)
          

         

上の川柳の 『ジャン コン チエ』 (ド ミ レ) が、明清楽の中でも最も流行った曲 「九連環」の出だしの旋律です。
田辺はまた、幼少のころ(明治23年前後か?)お母さんが稽古しているのを意味もわからぬままに憶えたということで、「九連環」の歌詞と旋律を五線譜に記しています。(明治音楽物語) 

                                                 唄ってみよう  

本居長世(1885-1945)も 『その原譜と歌とを書いてみよう』 として、上の二つとにそっくりの 「九連環」 を記しています。(注3) これも電子音で 聴いて見ましょう。                                     本居の九連環を聴く           

明清楽の譜の多くは、純粋に器楽曲として工尺譜だけを載せていますが、 「清風歌唱」(明治20年東京)は、「九連環」の歌詞を 掲載しています。 七番まである中から、最初の二つを紹介しましょう。 歌詞の右にはルビが、左には工尺譜の音符が書き添えてあります。
    電子音で聴く 
    

この旋律は上の2例とほとんどまったく同じであり、当時の工尺譜と田辺の記憶双方の確かさを示しています。
これが東京近辺で明清楽として普及していた「九連環」の、初期の旋律だと考えられます。       


次に 明治21年発行の 「月琴雑曲清楽の栞」(岡本純/敬之助、東京)を紹介しましょう。 当時 「九連環」と呼ばれる智慧の環のことは知られてなかったようで、「不解/ホーキャイ」 の解釈に苦労しているのが分かります。


この詩の解釈については、宮川密義氏の歌で巡る長崎:長崎の歌謡史から引用させていただきます。

     「見ておくれ、わたしがもらった九連環。九とは九つの連なった環のことよ。 両手で解こうとしても解けません。
     刀で切ろうとしても切れません。 ええ、なんとしょう」
     「どなたかいませんか、解いてくれる人。 その人がいたら夫婦になってもいい。 その人はきっと好い男」
     という意味。 

曲そのものは上の譜より少し複雑になっていますが、不明な点が多く旋律の推定は見送りましょう。 この曲譜集は、清楽の他に提琴譜や唱歌・端唄なども載せており、それらを照合することによって解読のキイが得られる筈ですが、宿題として残しておきます。

明清楽 「九連環」は 明治年間の流行の中で、次第により複雑なものへと変化していったようです。 中国から原曲が入ってきたともかんだ得られます。
田辺も後に譜を書き直して、「世界音楽全集」(昭和32年)に発表しています。 これも聴いてみましょう。(注4)   電子音で演奏する                                                                                                    

明治20年代の半ばから、「明清楽○○」や「月琴○○」 に伍して 「手風琴」など西洋楽器名をタイトルにした唄本が目立ってきます。
「西洋楽譜流行端歌俗曲集」(池田武次郎、明治26年 神戸)は、広い範囲の音楽愛好家のために、五線譜とアコーデオン用数字譜の両方に、工尺譜の漢字記号も併せ掲載しています。 音階構成はドレミソラドの5音長音階のままですが、ここではリズムがかなり複雑化しており、この旋律が元の明清楽からより広く流行・発展している様子が見て取れます。そしてこれが次項の「ホーカイ節」として爆発的に流行するのです。
         
          ではこの旋律を聞いてみましょう。                電子音で演奏する           

                               
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これは「九連環」ではない、「かんかん踊」だ!

ところが他方で、 これまでのものとは全く別の 『九連環』 が現われます。 次の 「手風琴譜曲集」(三谷種吉、明治24年 京都)に掲載の 『九連環曲』 と題する五線譜は、二つの楽器の連奏用に書かれています。                                        
            
動きのある下のパートを聴いて見ましょう。                    電子音で演奏する        
「シーシラシーシラ ドシラファミ」 という都節/陰旋、これは 「かんかん踊」 と呼ばれている旋律です。 編著者の単なる間違いなのか、あるいはこの著者が系譜を遡って 『この曲は本来九連環なのダ』 と主張しているのかもしれません。 他にも似たような例があります。 日清戦争中の唄本 「手風琴独案内 征清歌曲集」(箸尾竹軒、東京 明治28年) にも、敗北した清軍をからかって、次のような 「九連環」 の替え唄が出てきます−なんと好い気な文句ですネ!−(「かんかんのう」と梅が枝」の項をご覧ください)
               

この『だんだんのー』 という出だしの文句は明らかに、『かんかんのう』 あるいは 『看看ゑ』 から来ており、そして節は上と同じく「シーシラシーラ、、、」。


このように、九連環の系譜は はっきりと2系統に分かれます:
明清楽として月琴/明笛などの楽器と工尺譜を通して広まった 「九連環」 の旋律から直接派生したと考えられる 「ほうかい節/ホーカイ節/法界節」⇒「さのさ」 という系列と、もう一つが 「かんかん踊」⇒「かんかんのう」⇒「梅が枝」 という系列です。
ここでは先ず、「九連環」からでたはやり唄、「ほうかい節」へ
進みたいと思います。

       ほうかい節へ        
トップページへ       「かんかんのう」と「梅が枝」へ                              

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(注1) この項から「ほうかい節」、「さのさ」、「かんかんのう」、「梅が枝」 にいたる 「九連環とその系譜」では、Thesis 3,5,2 3.5.3 の内容を大幅に修正・加筆しています。
(注2) 明清楽と工尺譜についての詳しいレポートとしては、加藤徹氏のホームページ 『明清楽資料庫』 があります。
(注3) 本居長世(1885-1945)が、江戸以来の明清楽の歴史にはじまり、 「カンカンノー」、「ホーカイ節」から、「さのさ節」にいたる流行唄の沿革を、「音楽雑誌」(第一巻第九号 明治43年)に記しています。 ただし本居が 「さる人が嘗て歌舞音曲紙に云々、、」 として引用している元の資料については未だ宿題です。