かんかんのう と 梅が枝
同じ明治25年の 「手風琴独稽古」 に載っている 「かんかんのう」 と、 「梅が枝」を比べてみましょう。 KDLで「梅が枝」を探すと、明治年間だけで45件見つかりました。 旋律構成はいずれも 「ミソラ シレミ」 あるいは 「レミソ ラドレ」 の田舎節/陽旋です。 なかで最も古いのは明治21年梅田磯吉による 「音楽早学び」です。 一方、 「かんかんのう」 は 「九連環」 と名づけられたものを含めて14件、そのうち3件は楽譜がないか あっても私には判読不能でしたが、「梅が枝」の元唄であるはずの
「レーレドレーー ミレドラソーー」という田舎節の旋律は僅か2件、残りの9件はすべて 「シーシラシーラ シドラファミー」 の都節/陰旋なのです! 実はこの譜にはリズムの表示が欠けており、歌詞も漢字の音譜を無視して貼り付けられていますが、ここでは「日本歌曲集」のリズムをそのまま借用して上記の工尺譜を五線譜になおしてみましょう。 唄ってみよう 都節 「かんかん踊」の替唄もご覧いただきましょう。 日清戦争中の明治28年に出版された 「手風琴独案内征清歌曲集」 (箸尾竹軒 東京 青木嵩山堂)には、敗北した清軍をからかって、次のような 「九連環」 の替え唄が出てきます、-なんとイイ気な文句ですネ! 唄ってみよう この 『だんだんのー』 という出だしの文句は明らかに、『かんかんのう/漢々能』 から、また2段目の 『いっぺん勝ちたい』 は 『イッピンタイタイ』 からきており、そして旋律は「かんかん踊」そのままの都節/陰旋というわけです。 実はこれと同じ「だんだんのー」で始まる替唄が他にもありました。 25年大阪 「粋の倶楽部 一名糸のしらべ」、それに発行年不詳大阪 「新撰端歌集」です。 だんだんのご意見で もうやめる気は気じゃが まいちど見たい掛行灯 めんこがしたさに思案す 勘当ならせえゝゝ ほれものとは いふはずゝゝ ひどい文句ですが、ひとつ注目したいことがあります。 それは、『だんだんのー ごいけんでー』 という文句を普通に読んだときのイントネーションが、都節の 「シーシラシーラ シドラファミー」 にピッタリだということです。 つまりこれは 「かんかん踊」 から直接の替唄なのです。 これにたいして落語に出てくる田舎節のほうは、「レミドラソー」 ではなく 「ミレドラソー」 です-『きゅうのれんす』っていう感じですネ。 - 大阪言葉で 「手水鉢」 は、『チョーズバチ』 と発音されるんでしょうか? 『夕やーけ 小焼けーの あか赤とんぼ』 と同じケースなんでしょうか?-これも宿題です。 明治時代、一般大衆の間で流行ったのは、田舎節/陽旋の 「かんかんのう」 なのかそれとも都節/陰旋の 「かんかん踊/漢々能」 だったのか、この問題がやはり宿題として残ります。 但し、文政年間に流行った節、嘉永2年に歌舞伎の舞台で喝采を受けた節は都節の方だったと考えられます。-このことは田辺尚雄の「明治音楽物語」を読んで分かります。-田辺が中村仲蔵から聞いた話の中で、仲蔵は 『ほんの想像で木琴を模製し、律板13枚を筝の平調子に合わせてこしらえて、菊五郎がそれを打ち、私は唐人の衣装で踊りを、、非常の喝采を博しました。云々』-筝の平調子13音は「ミラシドミファラシドミファラシ」の都節に違いない。 |