2011/08/10    koduc@me.catv.ne.jp                         


         かんかんのう と 梅が枝                   


「かんかんのう」といえば、落語 「らくだ」のテーマ、「死びとにかんかんのうを踊らせるぞ」と大家さんなどを脅かしては、通夜の酒肴をせびるあの「レーレドレー ミレドラソ、、、」ですよネ。 そしてそれは 「梅が枝の手水鉢、、、」 で知られるメロディ。 ところが17世紀前半、大阪や東京は深川、永代寺の境内で大評判をとったという 「かんかん踊」 の音楽は、ホントはどうもこれとは少し違うようです。 
明治25年の 「日本歌曲集」(永井岩井・小畠賢八郎、 大阪)に掲載の「漢々能」をご覧ください。 珍しく アコーデオンと打楽器による3声部の合奏曲 として掲載されています。 これが文政3-5年(1820-1822)、一世を風靡した「かんかん踊」の音楽でしょう。
       
電子音で聴く

同じ明治25年の 「手風琴独稽古」 に載っている 「かんかんのう」 と、 「梅が枝」を比べてみましょう。
                                      
この 「かんかんのう」 は、「シーシラシーーラ シドラファミーー」 と読めます。  一方 「梅が枝」のほうは、「ラーラソラーー シラソミレーー」 となっています。

                        電子音で聴く                       電子音で聴く     
唄ってみよう 

You tubeに明治末年のレコードがありました: 「猫じゃ猫じゃ 明治42-43年片面盤」 がそれです。 「THE AMERICAN RECORD 東京 吉原 〆冶」 とあって、「猫じゃ猫じゃ」に続いて「梅が枝」を歌っています。 これは正に田舎節/陽旋ですネ。

                         聴いてみよう


KDLで「梅が枝」を探すと、明治年間だけで45件見つかりました。 旋律構成はいずれも 「ミソラ シレミ」 あるいは 「レミソ ラドレ」 の田舎節/陽旋です。 なかで最も古いのは明治21年梅田磯吉による 「音楽早学び」です。 一方、 「かんかんのう」 は 「九連環」 と名づけられたものを含めて14件、そのうち3件は楽譜がないか あっても私には判読不能でしたが、「梅が枝」の元唄であるはずの 「レーレドレーー ミレドラソーー」という田舎節の旋律は僅か2件、残りの9件はすべて 「シーシラシーラ シドラファミー」 の都節/陰旋なのです! 
落語に出てくる田舎節の 「かんかんのう」 らしき唄は、KDLでは明治34年大阪 「月琴胡琴明笛独稽古」 にはじめて出てきます。
先代の柳家小さんは、いい気分で田舎節の「かんかんのう」を唄っていますが、鳴り物入りの上方落語ではどうなのでしょうか?桂文吾師匠はどう唄っていたのでしょうか?宿題です。
(注. ウイキペディアによれば、「らくだ」は 4代目 桂文吾(1865-1915)が完成させ、三代目柳家 小さん(1857-1930)が大正時代に東京に移植したということです。)     

              明治34年大阪 「月琴胡琴明笛独稽古」

実はこの譜にはリズムの表示が欠けており、歌詞も漢字の音譜を無視して貼り付けられていますが、ここでは「日本歌曲集」のリズムをそのまま借用して上記の工尺譜を五線譜になおしてみましょう。

 唄ってみよう

都節 「かんかん踊」の替唄もご覧いただきましょう。 日清戦争中の明治28年に出版された 「手風琴独案内征清歌曲集」 (箸尾竹軒 東京 青木嵩山堂)には、敗北した清軍をからかって、次のような 「九連環」 の替え唄が出てきます、-なんとイイ気な文句ですネ!


  唄ってみよう

この 『だんだんのー』 という出だしの文句は明らかに、『かんかんのう/漢々能』 から、また2段目の 『いっぺん勝ちたい』 は 『イッピンタイタイ』 からきており、そして旋律は「かんかん踊」そのままの都節/陰旋というわけです。 実はこれと同じ「だんだんのー」で始まる替唄が他にもありました。 25年大阪 「粋の倶楽部 一名糸のしらべ」、それに発行年不詳大阪 「新撰端歌集」です。

             だんだんのご意見で もうやめる気は気じゃが まいちど見たい掛行灯       
            めんこがしたさに思案す 勘当ならせえゝゝ ほれものとは いふはずゝゝ 
         

ひどい文句ですが、ひとつ注目したいことがあります。 それは、『だんだんのー ごいけんでー』 という文句を普通に読んだときのイントネーションが、都節の 「シーシラシーラ シドラファミー」 にピッタリだということです。 つまりこれは 「かんかん踊」 から直接の替唄なのです。 これにたいして落語に出てくる田舎節のほうは、「レミドラソー」 ではなく 「ミレドラソー」 です-『きゅうのれんす』っていう感じですネ。 - 大阪言葉で 「手水鉢」 は、『チョーズバチ』 と発音されるんでしょうか? 『夕やーけ 小焼けーの か赤とんぼ』 と同じケースなんでしょうか?-これも宿題です。

明治時代、一般大衆の間で流行ったのは、田舎節/陽旋の 「かんかんのう」 なのかそれとも都節/陰旋の 「かんかん踊/漢々能」 だったのか、この問題がやはり宿題として残ります。 但し、文政年間に流行った節、嘉永2年に歌舞伎の舞台で喝采を受けた節は都節の方だったと考えられます。-このことは田辺尚雄の「明治音楽物語」を読んで分かります。-田辺が中村仲蔵から聞いた話の中で、仲蔵は 『ほんの想像で木琴を模製し、律板13枚を筝の平調子に合わせてこしらえて、菊五郎がそれを打ち、私は唐人の衣装で踊りを、、非常の喝采を博しました。云々』-筝の平調子13音は「ミラシドミファラシドミファラシ」の都節に違いない。




        

                      九連環に戻る          トップページへ