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        はじめに: どんな唄が流行ったか?

以下に示すデータは、近代デジタルライブラリー(KDL)所蔵の唄本から、(1) 個々の歌の出現頻度、(2) KDL資料の日本十進分類法(NDC)による分類ごとの書籍数の変動をを集計して得たものです。
明治の45年間に唄本自体が大きく変化しています。 明治10年代までの唄本は木版刷りで、 「開化大津絵節」、「夕暮れのかえうた」など、タイトルに元唄の名を冠した替唄集の形をとり、唄ごとにイラストをつけたものが大部分を占めています。 20年代には活版刷りが主となり、イラストが消え、タイトルには「何々軍歌集」「何々流行歌」、また数字・漢字・かな・五線譜などの楽譜が顔を出し始めます。 軍歌・唱歌が登場するばかりでなく、俗謡自体にも大きな変化が起こり、10年代に上位を占めた「紀伊の国」「羽織かくして」など、端唄と呼ばれる唄の多くは姿を消してしまいます。 30年代になると唄本の大部分は、タイトルに楽器の名を用い、俗謡・軍歌・唱歌三つのジャンルの歌を集めて、歌詞・楽譜を揃えたものが主体となっています。

(注) ただしKDLの資料には、明治10年までのデータが欠落しています。 西沢爽氏の 「日本近代歌謡史」、グローマー氏の 「幕末の流行り歌」、中村洪介氏の「近代日本洋楽史序説」など、此の時期の流行り歌について手懸りとなり得る文献を未だ充分調べてはいません。 また、社会・経済の混乱にともなう伝統的な俗曲の世界の衰微、書店/出版業の不振、国会図書館の前身である上野図書館の成立・建設時期と資料収集の過程など、この間の状況を示すに足る資料も、今後収集していきたいと思ってはいます。 たとえば:
明治5年2月 和田蔵門の内側の旧会津藩邸からの出火で、京橋・銀座・木挽町の出版書肆の多くが焼けた。仮名垣魯文は著述生活に見切りをつけ、よく6年横浜に移り、月給20円で神奈川県庁の雇員となった。魯文のような平民にとってはそれが一種の出世であった。 (伊藤整「日本文壇史1 p21


(1) 代表的な流行り歌を特定する

先ず、唄本への掲載頻度によって当時の流行り歌を特定するというこの方法について、またその結果として得られたデータの信頼性ついて記しておきたいと思います。
流行り歌を特定するため2006年3月までに国会図書館の蔵本から利用した唄本の数は203冊、この段階までに数えた唄の題名は975 曲に達しています。 集計に際して次のルールを適用しました:

1) 日本語の歌詞のない「明清楽」の歌、および「君が代」などの祝祭日唱歌を除外する。 (流行り歌という概念に当てはまらないので除外 したが、 結果から見るといずれも無視できない影響を残している) 
(2) 出来る限り実際流行ったであろう歌だけを集めるために、端唄・軍歌など、ひとつのジャンルでおよそ30曲以上集めたものからは集計し ない。
(3) 一冊の唄本に掲載された複数の替え歌は一つの元歌と数える。
(4) 分冊として発行されたシリーズはそれぞれ独立した唄本として扱う。 
(5) 発行部数は特定できないので、その寡多は無視する。 
(6) 作業量節減のため、曲名は基本的にKDLで作成した目次から拾うこととし、目次が作成されていない原本まで深追いはしない。
 (このやり方の最大の欠陥は、判読の困難な/不可能な木版刷りの古い唄本ほど探索網から漏れている可能性が高い点だ。)
この方法の主な問題点として、次のような事柄が考えられます。     
(1) KDLに収集された唄本が当時出版された唄本全数に占める割合が不明であり、また何らかの偏りを持つ可能性もなしとしない。
(2) 唄本の読者層が一般大衆の好みを代表しているとは限らない。
 − ざれ唄・春歌のような、印刷されない唄は拾えない。
 − KDLのストックには、図書という形態以外の、読売り/瓦版の類が見当たらない。
(3) 歌が実際流行った時期と出版された時期との間には、かなりのズレがあるはずだ。
(4) 唄本から得られるデータは、東京・大阪などの大都市に限られている可能性が高い。
結果として得られたデータは、表1・表2が示すように、個々の歌の掲載頻度のピークは、古茂田・大竹等の文献による初出年よりはるかに後の年代となっています。 唄本−流行り歌の選集− という性格からしても、ここから得られた結果は、或る短い期間に爆発的に流行した歌というよりは息の長い、いわば流行り歌の中のスタンダードナンバーといった性格を持つことになります。 また特に明治20年代の後半以降は、楽譜を掲載して各種楽器の教則本のような形態をとるようになった唄本からしても、社会的には中間層以上の人々に愛好された歌ということになるでしょう。


         表1 KDL所蔵の唄本からみた明治のベストヒット12曲

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

  どどいつ

俗謡

48

54

0

6

108

(江戸)

 大津絵節

俗謡

9

24

8

5

46

(江戸)

 梅が枝

俗謡

2

17

15

8

42

M11/1878

 春雨

俗謡

3

20

9

6

38

(江戸)

 宮さん宮さん

俗謡/唱歌

16

11

6

32

M1/1868

 金比羅舟々

俗謡

12

14

6

32

M27/1894 *

 十日戎

俗謡

17

8

6

31

M2/1869

 越後獅子

俗謡

14

9

7

30

(江戸)

 抜刀隊

軍歌

2

23

2

2

29

M18/1885

10

 ひとつとや

俗謡/唱歌

11

11

5

27

(江戸)

11

 かっぽれ

俗謡

2

6

13

6

27

M7/1874

12

 ホーカイ節

俗謡

11

10

5

26

M24-5/1897-8*

注1.数字は2008年11月10日時点でのKDLデータによる。 
  2.太字で現した出現度数はそれぞれのピーク年代を示す。
 
3文献による初出年は、*印は大竹紫葉1915、その他は古茂田信夫他1994による。

       表2 ジャンル別・年代別に代表的な流行り歌を加える

 軍歌/唱歌の中で最も多く現れた歌

 

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 来たれや来たれ

軍歌/唱歌

− 

19

3

3

25

M21/1888

 元 寇

軍歌

− 

6

13

6

25

M25/1892

 敵は幾万

軍歌

− 

4

9

7

20

M24/1891

 

 

 

 

 

 

 

 

 唱歌の中で最も多く現れた歌

 

 

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 霞か雲か

唱歌

− 

5

7

5

17

M16/1883*

 見渡せば

唱歌

− 

10

4

2

16

M14/1881*

 蛍

唱歌

− 

4

8

3

15

M14/1881*

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治30年代に初めて現れた軍歌

 

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 雪の進軍

軍歌

− 

− 

9

5

14

M28/1895*

 勇敢なる水兵

軍歌

− 

− 

7

6

13

M28/1895*

 (軍艦マーチ)

軍歌

− 

− 

− 

6

6

M30/1897

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治30年代に初めて現れた唱歌

 

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 鉄道唱歌

唱歌

− 

− 

6

5

11

M33/1900*

 (ウサギとカメ)

唱歌

− 

− 

2

6

8

M34/1901*

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治30年代に初めて現れた俗謡

 

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 縁かいな

俗謡

− 

9

6

4

19

M6/1878

 

 

 

 

 

 

 

 

 文献により 明治初期に流行ったとされる俗謡

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 ノーエ節

俗謡

− 

8

7

2

17

Edo(1862 **)

 あさくとも

俗謡

4

9

1

1

15

Edo***

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の兵隊節    

 

 

 

 

 

 

 

題 名

分 類

M-10s

M-20s

M-30s

M-40s

Total

文献による初出年

 戦 友

唱歌/軍歌

− 

− 

− 

3

3

M38/1905

1. 文献による初出年は、
  *印: 初版の出版年  
 **印: 藤沢衛彦 「図説日本民族学全集第5巻」 第一出版 1960による
 *** 印: 「日本音楽大辞典」 による
 無印: 古茂田信夫 「新版日本流行歌史」 社会思想社、1994 による。   
2.. 網掛け・太字で現した出現度数はそれぞれのピーク年代を示す
3.文献により明治初期に流行ったとされる俗謡については、後の検索で上記のほかに 「チョンキナ」 が注目される。


唄本から見るかぎり、明治の流行り歌の世界では俗謡が軍歌や唱歌を圧倒的にリードしています。 この傾向は出現頻度13位以下の歌でも、表2のデータが示すように、明治30年代・40年代のみのデータでも変わりません。 


(2) NDC分類ごとの書籍数の経年変化からみた明治の流行り歌の動き

次の表3、KDL資料の日本十進分類法(NDC)による分類ごとの書籍数の変動から、時代の流れに伴うそれぞれの歌のジャンルの大きな動きが見て取れる。 

      表3 NDC分類ごとに現れた ジャンル別・発行年別の書籍数   

Meiji year

(A) NDC=767唱歌集   からタイトルに「軍歌]を含む書物の数

(B) NDC=767唱歌集   からタイトルに「唱歌」を  含む書物の数

(C) NDC=768.5      長唄・はうた・どどいつ   に分類された書物数

(D) NDC=760 音楽・舞踊      275冊から拾い出した      唄本/教則本の数

年代不明

1

3

0

0

M-1〜9

0

0

0

M-10

0

0

0

0

M-11

0

2

0

M-12

0

0

0

M-13

0

0

10

0

M-14

0

1

10

0

M-15

0

0

0

M-16

0

0

3

0

M-17

0

0

0

M-18

0

0

0

M-19

46

2

20

0

M-20

24

6

8

1

M-21

12

11

24

0

M-22

7

11

6

1

M-23

3

9

3

3

M-24

3

11

1

1

M-25

13

15

4

5

M-26

29

12

3

4

M-27

50

10

9

5

M-28

1

4

7

1

M-29

0

2

1

1

M-30

0

0

2

1

M-31

0

3

0

8

M-32

1

0

1

4

M-33

4

33

0

2

M-34

2

33

0

5

M-35

2

20

0

2

M-36

1

11

1

6

M-37

6

10

1

1

M-38

2

7

1

5

M-39

0

4

1

7

M-40

0

1

3

6

M-41

1

25

0

3

M-42

0

13

3

4

M-43

2

15

10

6

M-44

2

24

8

5

M-45

1

8

2

2

total

204/among 607

296/among 607

175

82/among 275

注1.数字は2008年11月10日時点でのKDLデータによる。 
  2.グレーの帯は、日清戦争および日露戦争の年を示す。
  3.太字で現した出現度数はそれぞれのピーク年代を示す。

 表3のうち、(A)NDC=767唱歌集」のグループに現れた「軍歌」の欄では、明治19年に突如としてブームが訪れる。その中身は、「軍歌」と銘打った旋律を持たない歌詞集/長詩集とその複製、さらには殆ど複製に近い追従版からなり、発行所は全国に広がっている。後述するようにこのブームが、兵隊節と呼ばれる独特の軍歌を生み出すことになる。 明治25年、日清戦争を前にして始まった再度のブームも、前回とほぼ同様の歌詞集/長詩集だ。戦争が始まった278月の翌月まで爆発的で、続く28年からの5年間に僅かに2冊を見出すのみというこの極端なブームは、軍あるいはその他の政府機関の働き無しには考えられない。これとは対照的に日露戦争に際しては、軍歌あるいは軍歌集は殆ど全く無反応だった。

 (B) 「NDC=767唱歌集」のグループに現れた「唱歌」の欄では、まず明治20年代に毎年10部前後の唱歌集が現れる中で合計十数部にのぼる@「祝祭日唱歌集」が注目される。(注2
30年代の初めに唱歌集の数は一旦減少しているが、33年突如として起きたブームが35年まで続いている。これらの歌集の多くはそのタイトルに特定の都市名と「鉄道」「地理」を含んでおり、後述するように33年発行の「地理教育鉄道唱歌」の大流行に反応したものと理解できる。 40年代に起きたブームの内容には顕著な特徴がみられず、これは主として明治40年の小学校義務教育化とこれに伴う唱歌カリキュラムの充実を反映していると理解する。

 (C) 「NDC=768.5長唄・はうた・どどいつ」に分類された出版物を見よう。明治初頭のことは資料不足でわからないが10年代には、タイトルに「開化」を冠した江戸以来の流行り歌の替え唄集が盛んに出版されている。 軍歌ブームと全く同じ明治19-21年に大きなブームが起きているが、「軍歌」の追従版と違ってこちらは従来通り木版刷りの替え唄集で、俗謡の世界に何か変化が起きたという事由も見当たらない。19年に発売された20部の内訳は、珍しく金沢・大坂・富山など東京以外の都市から出版されたものが過半を占めている。 全国の連隊駐屯地で起きた軍歌出版ブームが、俗謡唄本の出版をも活気づけ、ひいては都会のはやり唄を全国に広めたという可能性が考えられなくはない。日清戦争の27-28年の小さな俗謡ブームでは「討清−」「ちゃんちゃん征伐−」などと題して、わが軍の勝利に酔い敵兵を侮辱する替え唄集が目をひく。 30年代に入るとここに分類される替え唄集は激減し、俗謡の多くは他の軍歌や唱歌と共に楽譜付きの歌集に現れるようになる。明治末に小さなピークが見られるが、ここでは何故か「はうた集第1〜第5」「端唄注釈」「都々逸及俗曲集」といった研究書的色彩の強い表題が目立ち、早くも俗謡時代の終焉を暗示するかのようだ。  

 (D) NDC=760 音楽・舞踊」の中から、唄本/教則本としての表題を持つものを拾い出した。 表題の多くは楽器の名を冠したもので、大部分が俗謡・軍歌・唱歌という三つのジャンルを網羅したものとなっている。明治20年代の半ばから該当する本がほぼ継続して現れ、明治末年まで同じような状況が続く。 表題に驚くほど多種類の楽器が現れる中で、20年代には手風琴、30年代には吹風琴、40年代にはヴァイオリンが目を引く。30−40年代の唄本に多いハーモニカという表題は、この分類には現れない。− NDC分類上でのポピュラーとクラシックの微妙な境界がここにはある。 

(3) 唄本の変化から 音楽の伝播方法と楽器の変遷、日本/明清/西洋の変遷を読む (未完)
  

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(注1) この研究のために2006年3月までにKDLから収集した唄本の数は203冊、この段階までに数えた唄の題名は975 曲に達している。 集計に際し次のルールを適用した: (1) 九連環など日本語の歌詞のない「明清楽」の歌、および「君が代」などの祝祭日唱歌を除外する。(2)出来る限り実際流行ったであろう歌だけを集めるために、端唄・軍歌など、ひとつのジャンルでおよそ30曲以上集めたものからは集計しない。(3) 複数の替え歌は一つの元歌と数える。 (4)分冊として発行されたシリーズはそれぞれ独立した唄本として扱う。 (5) 発行部数の寡多は無視する。 この集計作業の最大の欠陥は、私に判読できない唄本、目次がなくページ数の多い本など古いものほど探索網から漏れている可能性が高い点であろう。
(注2) 流行り歌の範疇に入らないという理由で祝祭日唱歌は研究対象から外したが、「君が代」 をはじめ 「紀元節」、「一月一日」 などの唄本への掲載頻度を表2-1にあてはめると、3〜5位といった上位を占める。 1933生まれの筆者の世代の多くの人がそれらの歌詞と旋律を記憶している事実からしても、明治時代の唱歌普及に最も大きな役割を果たしたのは、文部省制定の祝祭日唱歌であった可能性が高い。