どどいつ (都々逸)                                   

明治を代表する流行り唄はなんといっても 「どどいつ」 でしょう。 KDLからの唄本検索で、「長唄.端唄.どどいつ」の大半 、つまりは俗謡唄本の大半を占めるのが 「どどいつ」 なのです。
「どどいつ」 の大きな特徴は、唄い手により 文句によって節が微妙に変わることです。 「どどいつ」 は唄にのせたメッセーなのです。 唄い手の気持ちに応じて好きな文句をかなり自由な節回しで唄っているわけです。 ― 明治の流行り歌の中で 「どどいつ」 は、歌詞の抑揚にもっとも近い旋律を持つものと言えるでしょう。 では明治の唄本 から 「どどいつ」 を拾ってみましょう。 
(どどいつの千変万化な旋律については、ガイスバーグの録音からのデータ等の、
「どどいつ」の歌詞と旋律 をご覧ください。)   

「新作くらまどど一集」 (明治21年 堤吉兵衛) より:



「みすじの友 一名・詩入都々逸」
(明治22年 喜楽斎編) より:



「花街柳巷 花競粋の粧」 (明治17年 江島金太郎著、倉田皆真補) より
− タイトルが示すように、247首すべてが粋筋からの投稿らしく、作者の名前入り(茶屋/廓名共)となっています。


片言の ほうほけ今日は 思いが届き 梅と狂うて 嬉し啼き
              ヨシ丁   濱田家    繁松
ほととぎす たしか鳴いたと 庭石づたい 幾度はだしで 通うたやら
         コンパル  菊家     いな
かほう者だよ あの客人の 伽は煙管と 煙草盆  
                   ネヅ    相八幡    濱浦
菊見戻りに ふと言いかわし 今宵くるかと 根津に待つ               ネヅ   大八幡    薄雲
人は涼しと 言ふ川岸に なぜか蛍が 身を焦がす                    ネヅ   大八幡    濃紫 
思ふお方に 盃さされ 呑まぬうちから 赤い顔                    ニホンバシ         小さと

「文句入り」も載っています。― 通常の7-7-7-5の真ん中に 清元や常磐津などを挿入しています。               
  義理も世間も たつその意見

(お俊 堀川) お詞むりとは思はねど そも逢いかかる初めより 末の末まで言交はし 
  なんの今更 切られよか  
                              ヨシハラ  相満楼 栄山 

  承知で惚れたる お前の邪険 

(常磐津 お駒) 叩いて腹が癒えるなら 心任せにした上で もう堪忍をしてやると  
  言って笑ふて くださんせ 
                                  ヤナギバシ 扇家 たけ


「宇都宮町芸妓並ニ娼妓名入百々一集」 (明治22年 伊藤正之助編) より
−お国なまりそのままに、宇都宮町の芸妓と娼妓の源氏名が読み込まれ、さらには所属の店らしい名称も出てきます。

                                     (こちらは私のオセッカイな注釈です)
夕べの疲れか 朝寝は小よし 御座敷あるぞへ 翁ーい 
 −オキナさんでは可笑しかないか コレ読んだのは小ヨシさん?
浪花やともあれ 静香にをしよ 君に知れぬか くつの音
  −ナニヤともあれバレたら困る 気が気じゃないよ静香さん
喜の助なへのは 私がそそほ 藤つか者と あきらめて   −気の利かないのはお藤の粗相 不束者とあきらめな! の意?
                                        お藤さんは、喜の助屋付の芸妓さんなのでしょう
こいも姿も 器量もよいが 上の名前へが きに掛かる   −声も姿も器量もよくて 肥さんじゃないコイさんヨ 宇都宮弁?
夜半の嵐に 福助られて 粋な御方と 身をむすぶ      −嵐が来なけりゃ福助さんは 粋なお方に片思い
伊達のそふどに 正尾か忠義 それは正岡 こりゃ正尾  −濁点いらずの言葉の遊び 達者なものだネ正尾さん

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