2015/02/26    kodama@a05.itscom.net    

        最初に本格派の軍歌を覚えたのは小学生だった! 


兵士たちが「嗚呼正成よ正成よ」とか「そもそも熊谷直実は」とか歌って行軍していた頃、兵隊節でないマトモな軍歌を歌って教えたのは小学校の教師たちであり、真っ先に覚えたのが子供たちです。 「唱歌校門を出ず」といわれていますが、軍歌は教室から外に向かって広がっていったのです。                                       (同時代からの証言−未完)


        敵は幾万             山田美妙作詞 小山作之助作曲   

        敵は幾万ありとても すべて烏合の勢なるぞ 
       烏合の勢にあらずとも 味方にただしき道理あり
       邪はそれ正にかちがたく 直は曲にぞかち栗の
       堅きこころの一徹は 石に矢の立つためしあり 
       いしに立つ矢の例あり などておそるることやある
       などてたゆとうことやある
                          唄ってみよう

当時最も流行った軍歌の一つが 「敵は幾万」です。 明治24年の「国民唱歌集」に載っており、これが初出でしょう。 同じ歌が「進め矢玉」という題名でも登場します。 唄本には 「敵は幾万」 として、20年代4件、30年代9件、40年代7件、それに同じ旋律を別の歌詞で 「進め矢玉」として各十年代に1件ずつ、合計23件あらわれており、唄本から見た明治の流行り唄 全体の17位に相当します。


      元寇         永井健子作詞作曲             

        四百余州をこぞる 十万余騎の敵 
       
国難ここに見る 弘安4年夏の頃
                     唄ってみよう

替唄の多いことでは、おそらく「元寇」に敵う軍歌はないでしょう。 昭和10年代、小学生たちは 『四百余人のルンペン ざる持って門に立ち おっさん銭お呉れ くれないとパンチやるぞ』 などと唄っていました。 KDL検索では、20年代6件、30年代13件、40年代6件、合計25件で全体の13位に相当します。 作詞・作曲ともに陸軍軍楽隊の永井健子です。 後に 「雪の進軍」を 『天籟慮主人』 として発表する彼は、25年にこの歌を 『人籟楽士 作歌並撰曲』 として「音楽雑誌」に発表しています。


       勇敢なる水兵 

        煙も見えず雲もなく 風も起こらず波立たず
        鏡のごとき黄海は 曇り初めたり時の間に             
電子音で聴く    

しばしば 「敵は幾万」から始まったように云われていますが、ヨナ抜き、ピョンコビート軍歌の典型は、佐々木信綱・奥好義による 「勇敢なる水兵」でしょう。 詩と西洋音楽の大御所が集まって、日清戦争のニュースから勇士たちの奮戦ぶりを描写した、山田源一郎編 「大捷軍歌」 シリーズに掲載されました。 Youtubeでは、ダークダックスが八番まで通して歌っています。



    
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