ノーエ節


野毛の山からノーエ 野毛の山からノーエ  野毛のサイサイ 山から異人館を見れば
お鉄砲かついでノーエ お鉄砲かついでノーエ   お鉄砲サイサイ かついで小隊進め 

天満橋からノーエ 天満橋からノーエ  天満サイサイ 橋から城の馬場を見れば
鉄砲かついでノーエ 鉄砲かついでノーエ  鉄砲サイサイ かついで小隊進め

 「新版日本流行歌史」  古茂田信夫他 1994 より 


替唄 「旅順港から」  ― 「日清戦争流行歌曲譜付き」 明治27年/1894 町田桜園 より

旅順港から ネ−エ 旅順港からネーエ
旅順サイサイ 港から支那兵を みれば            元唄を町田桜園の旋律で唄う

なんとこれは、シドミファラシの都節/陰旋ですネ。 堀内敬三の 「ノーエ節」 は 「維新マーチ」 から転化したものではないか
という説も尤もな気がします。「本邦洋楽変遷史」ー三浦俊三郎(−1937)から その維新マーチを聴いてみましょう。

                                       維新マーチ


オッペコヒャラリコ − 「吹風琴独案内」 明治23年山本桃水より  

オッペコ ヒャラリ コノーエ  オッペコ ヒャラリ コノーエ
チーチガ タイタイ トチトノ  オッペコ ヒャラリ コノーエ

                             
              オッペコヒャラリコ 山本桃水 

町田桜園の記録した旋律が「正調」だったというわけではないようです。 というよりも、田舎節/陽旋で唄われていた地方の里謡が町にながれて三味線の影響を受け都節に変化して流行る という多くの例の逆で、実際世に流行って後に残ったのはこの田舎節の方だったワケでしょう。                                     

         

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