2012/01/15 kodama@a05.itscom.net

論文 「明治の流行り歌」〔注1〕の要旨

  この研究で私は先ず 国立国会図書館のウエブサイト、近代デジタルライブラリー(KDL)から拾い出した唄本の中に現れる歌を集計し、最も高い頻度で現れる歌を明治の代表的な流行り歌と特定し、これに併せて当時流行ったとされながらこれらの唄本にあまり多く現れなかったいくつかの唄、特に明治後半に 生まれた歌・流行った歌 の中から、同時代および以後の資料によって主要なものを補いました。 この作業の過程でもうひとつ、KDL所蔵の膨大な唄本の、NDC分類によるジャンル別・発行年別の所蔵冊数の変化が、明治大衆音楽の上に起きた大きなうねりを端的に表していることに注目し、記述しました。 次に、当時の唄本に記載された楽譜の信憑性を検証し それらを解読して、ガイスバーグによる明治33年の録音からの採譜とあわせて、五線譜と音声に再現した上、この時代の 俗謡と 軍歌・唱歌 の特質の違いがどこにあるかを検証しました。 

流行り歌の構造的特徴を解析するための鍵とした主な着眼点

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歌詞構成と表現: 文語と口語の区別、七五調など歌詞のシラブル構成の規則性/自由度、囃子言葉の有無、歌詞の主題よりもむしろ、歌い手が顔を出すか、歌い手の気持が誰かに向けられているか、諧謔味や皮肉など、その表現に注目する。
 * リズムの構造的特徴: 2拍子における強弱の逆転あるいは律動(basic beat)の中断、ピョンコビートと逆ピョンコビート、シンコペーション、拍の頭をはずした(オフビートな)歌い出しなど、主としてリズム構造の自由度に注目する。

 * 旋律、特に音階の構造的特徴: 核音/終止音の位置、および或る旋律が、diatonic major/minor、4-7抜きなどの5音音階、小泉文夫提唱の4種のテトラコルド(TC)と俗謡に多く現れる二つの中間音を持つ2種類のテトラコルド、− 以下これらすべてのテトラコルドを粗く2分して「都節テトラコルド」、「律-民謡テトラコルド」と呼ぶ(注2ー 同じく小泉文夫提唱の4種類の基本音階のいずれに当てはまるかに注目する。 俗謡の旋律構造については、最終的に半音階を含む「都節タイプ」と、含まない「田舎節タイプ」の2種に大別する。 これはほぼ上原六四郎提唱の「陰旋・陽旋」に相当する。
 * 歌詞と旋律の関係: 歌詞のシラブル構成と音楽的フレーズ構成の関係、歌詞の話し言葉としてのリズム・抑揚と唄われる旋律との関係。


   この研究から得た結論の主なもの

以上の研究から得た結論の主なものは以下の通りです:
 明治年間を通して、俗謡が流行り歌の世界を圧倒的に支配した、一方新しい唱歌の分野を断然リードしたのは軍歌だった。
 軍歌の先駆は明治15年の「新体詩抄」だが、一般大衆にとって軍歌なるものは、「軍歌」と題するいくさを主題とする旋律のない長詩集とその翻刻版による、明治19−20年の全国的な出版ブームだった。行進のリズムに合わせて兵隊たちはこれを俗謡的旋律でさまざまに歌った。本格的な軍歌の主なものは日清戦争までの唄本に既に現われていたにもかかわらず、明治25−27年にはこの「旋律抜きの軍歌本」の2度目の出版ブームが起きている。明治という変換期にあらわれたこの「兵隊節」は昭和に至るまで歌い継がれることになる。

 明清楽の流行は、明治10年代の始めに−軍歌・唱歌よりも早く−47抜き音階の或る階層への普及をもたらしている。これに伴い工尺譜は、明清楽ばかりでなく、俗謡、軍歌、唱歌の伝播にも大いなる役割を果たした。  明治20年代の中頃から多くの唄本は、種々の楽器名を表題に持つとともに、すべてのジャンルの歌を数字譜、工尺譜あるいは五線譜と共に掲載卯するようになっていく。二人の軍楽隊リーダーと楽器店によって発行された「日本俗曲集」がこれをリードした。以後の歌集に掲載される俗謡はその多くをこれに依拠しており、明治十年代までの唄とははっきり一線を画している。−例外は最も流行ったと考えられる「どどいつ」と「大津絵」のみ。
 明治33−35年に起きた、地名や乗り物を表題に持つ唱歌集の出版ブームは、明らかに 「地理教育鉄道唱歌」の爆発的流行を反映している。「日本俗曲集」と同じ楽器店から発行されたこの歌が、流行り歌になった最初の唱歌だ。

 俗謡のもつ注目すべき特質は: 話し言葉による自由な歌詞構成、しばしば現れる諧謔や皮肉、拍の頭をはずした歌い出しとシンコペーション、しばしば臨時記号・調号を伴う洗練された旋律。−俗謡の旋律で特に注目すべき点: わらべうたの場合と違って、小泉文夫による四つの「基本的音階」もとより、四つの「基本的テトラコルド」もそのまま当てはまることは稀だ。特にある種の陽旋の場合、「律テトラコルド」と「民謡テトラコルド」の区別は意味を成さない。上原六四郎の指摘したとおり、幾つかの俗謡は陽旋・陰旋二通りの旋律をもつ。「どどいつ」の旋律は明治の流行り歌すべての中で、東京近辺の話し言葉の抑揚に最も近いと考えられる。

 対照的に軍歌・唱歌の特徴は: 難解な文語体、七五調の繰り返し、ピョンコビート、そして47抜き−注目すべきはむしろこれらの例外だ。明治28年の「雪の進軍」では、兵士達の辛さや不平が洒落とともに、さらには軍当局に対するあからさまな不信が、日常語で、シンコペ−ションを伴って歌われる。この歌が現役の軍楽隊長によって作られ、軍の主導による大軍歌集に発表された、−当時それだけの言論の自由があったことに驚かされる。


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〔注1〕[POPULAR SONG OF THE MEIJI ERA - A STUDY OF HAYARIUTA AND THE NATURE OF THEIR POPULARITY BASED ON SONG COLLECTIONS IN THE KINDAI DEGITAL LIBRARY: A thesis for the Master of Arts ( honors) of the University of New England, July 2010 KODAMA Takeshi]

(注2) 唄本に現れた明治の俗謡に数多く現れるふたつの中間音を持つ2種類のテトラコルドを、論文[POPULAR SONG OF THE MEIJI ERA] では、 2つの中間音を持つ都節TCの意味で「miyako-2-TC」、律TCと民謡TCの組み合わせの意味で「ritsu-minnyou-TC」と呼称している。 この資料編では俗謡に現われたこの2種類のテトラコルドと小泉の「都節TC」「律TC」「民謡TC」の3種類、これらすべてを、より粗く半音階の有無によって2種類に分類した。 即ち、半音階を含む「miyako-2-TC」と「mioyako-1-TC」を包含して「都TC」と呼び、半音階のない「ritsu-minyoo-TC」・「ritsuTC」・「inyoo-TC」の3者を包含して「律-民謡TC」と呼び、それぞれ中間音が1つあるいは2つあり得るものとした。 (論文[POPULAR SONG OF THE MEIJI ERA] p15参照)