誰もが覚えた唱歌 それは祝日の式典歌だった
last correction 2011/12/28 kodama@a05.itscom.net
「流行り歌」の範疇から外れますが、昭和ひと桁生まれのまでの誰もが覚えている唱歌といえば、「君が代」
は別格として、 「一月一日」、「紀元節」、「天長節」 でしょう。 講堂で整列して、式があって歌を歌って、授業はなくて、紅白の鳥の子餅をもらって帰ってくる。何か得をした気分で歌も覚えたのでしょう。
「どんな唄が流行ったか」(資料編2) の唄本検索では、純粋な唱歌はベスト10に入らず、唱歌の中での上位は外国曲の 「霞か雲か」、「見渡せば」、「蛍」 といったところがですが、最も多く現われた「霞か雲か」で17件、全体としての順位は27番目でとても俗謡の出現頻度に敵いません。 一方、「一月一日」、「紀元節」、「天長節」といった式典歌の頻度はそれぞれ数十件、「どどいつ」、「大津絵節」、「梅が枝」といった流行り唄のトップクラスに匹敵します。
これらの式典歌は、明治26年8月に文部省が 『小学校に於イテ祝日大祭日の儀式ヲ行フノ際 唱歌用ニ供スル歌詞並楽譜 別冊ノ通 選定ス』 と告示して全国的に実施されることになったものです。
この告示、あるいは別冊なるものを直接みてはいませんが、直後に 「祝日大祭日歌詞並楽譜」 などのタイトルで、KDLだけで9件 全8曲の歌詞と楽譜の写しが出版されています。 当時の官製唱歌集としては珍しくすべての曲に作歌・作曲者が明記されています。 代表的なものが 大和田建樹の「文部省御選定 祝祭日唱歌註釈」でしょう。
歌はいずれも七五調文語体、4/4拍子4小節の4段構成で、『汽笛一声新橋を』 へと連なる懐かしの明治唱歌の基本形といえるでしょう。
「紀元節」
雲に聳ゆる高千穂の 高峯おろしに草も木も
なびき伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそたのしけれ 聴いてみよう
(http://www.youtube.com/user/sojukunから 以下同じ)
天孫降臨の神武天皇に草も木も人々もなびき、ひれ伏したと詠っているわけですネ!
ウイキペディアによれば、8世紀はじめに編まれた日本書紀の記述から、この祝日を制定した明治5年時点で旧暦正月朔日に当たる日を新暦に置き換えたところ、『紀元節は旧暦1月1日、すなわち旧正月を祝う祝日との誤解が国民のあいだに広まった』
ので、新たに神武天皇即位日を干支によって計算して明治6年に定め直したのだそうです。 ちなみに諸外国の例を見ていくと、多くの国々が17世紀以降の独立記念日/革命記念日を採用している中で、「紀元節」の場合とやや似ているのが韓国の「開天節」です。
これは1945年8月15日の「光復節」の他に制定された 『13世紀以降に記録された壇君神話に基づく一種の建国記念日』 との事です。
この歌は明治26年の文部省告示よりも前、明治22年12月 東京音楽学校蔵版 「中等唱歌集」に、そして26年3月 伊澤修二 「小学唱歌」 に、高崎正風作歌、伊澤修二作曲として掲載されています。
これ以前にも、「紀元節」と題する歌はいくつか発表されていますが、26年の文部省告示以降の唄本に現われる 「紀元節」 はすべてこの曲のようで、全数あらためたわけではありませんが
2011年12月時点でのKDL検索では明治年間だけで72冊の唄本に掲載されていることになります。 「祝日大祭日歌詞並楽譜」 では
(訂正とお詫び: 『明治22年の 「家庭唱歌之友」に既に掲載され、2012年12月時点のKDL検索では、明治年間を通して85件の唄本に載っています。』 とした以前の記述は誤りでした。)
「一月一日」
年の始めのためしとて 終なき世のめでたさを
松竹たてて門ごとに 祝う今日こそ楽しけれ 聴いてみよう (YouTube)
唄本に現われるのは明治26年、文部省告示の後、明治年間を通して57件の唄本に載っています。 千家尊福作歌、上真行作曲となっています。 祝日唱歌のなかで
「1月1日」は、昭和10年代の子供達にとって一番親しみやすい歌でした。-
「日本の唱歌」 に記されているように、「松竹ひっくりかえして大騒ぎ 芋を食うこそ、、、」 と替唄をうたったものです。
「天長節」
今日のよき日は大君の うまれたまいしよき日なり
今日のよき日は御光の さし出たまいしよき日なり
光あまねき君が代を 祝え諸人もろともに
恵みあまねき君が代を 祝え諸人もろともに 聴いてみよう (YouTube)
明治黒川真頼作歌、奥好義作曲となっています。 (なお奥は明治24年に、中村秋香作,奥好義選曲としてこれら3曲をふくむ全く別の「祝日大祭日唱歌」も発表しています。)
この「天長節」は、明治年間通算では68件の唄本に掲載され、ということはこれら3曲の平均値ですが、明治26年中に現われた9件の「祝日大祭日歌詞並楽譜」 とは別に、同じ26年中に 25種もの唄本がこの歌を取り上げている点が注目されます。 『天皇陛下の御誕生を祝う新しい旗日』 というのは、御屠蘇や羽根突き、かるたの楽しみを犠牲にする感じの
「一月一日」の式典や、正月のお祝いと間違えられた 「紀元節」 に比べて、明治の人々にいかにも新しい祝日が定められたという強い印象を与えたのではないでしょうか?
ただ昭和生まれの私たちはこれを 4月29日、昭和天皇誕生日の歌と思い込んでいたのが、「Happy Birthday to You」 じゃあるまいし元は11月3日にうたう歌で、その次には私たちの知らない人の知らない誕生日にも歌われていたらしい、という事実は、正直いって驚きです。
「君が代」
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
「君が代」は、明治年間通算で100件を越す唄本に現われます。 国歌に敬意を表したという要素もあるでしょうが、なんといっても唱歌の王様です。 この唱歌の他に見られない特異な点は、旋律構成が西洋音楽の音階でないばかりか、俗謡の都節/田舎節でもないこと、これは雅楽調と呼ぶべきなのでしょうネ。
注目すべきことに、「文部省御選定 祝祭日唱歌註釈」には、『古歌、林廣守作曲』と明記されています。
軍歌・唱歌のトップへ トップページへ