大辞林によれば1585年頃始まったとされる、端唄の古典とも言うべき歌ですが、明治の一般大衆に広まったのは、「春雨」と同じようにむしろ軍楽隊のブラスバンドや西洋楽器の流行のおかげと考えられます。越後獅子
己が姿を 花と見て 庭に咲いたり 咲かせたり
そこなおけさに 異なこと言われ 寝まり寝まらず 待ち明かす
御座れ 話しましょう こん小松の 木陰で 松の葉のように こんこまやかに
弾いて歌うや 獅子の曲 −日本俗曲集より
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明治36年のガイスバーグの録音では、三舛屋勝栗は音楽を竹琴を快速調で、 里朝は胡弓入り、ややゆっくりスタートして 「ハッ来た!」 の掛け声からテンポを上げて賑やかに歌って居ます。このほか、「吾妻婦人音楽連中」 と 「東夫人音楽連中」 なるグループが1トラックずつ受け持って、明治後半の洋楽器による この旋律の流行を裏付けています。