クロスカルチャー コミュニケーション

モスクワ迷走記 1998年 … 5月/6月

「ランチャイラマを返せ」そんなプラカードを掲げた人々が中国大使館の前に30人から40人ほど集まっていた。東洋人の姿は少なく、残りはどこの人たちなのだろうと思いながら、学校へと向かった。95年の夏、モンゴルのウランバートルで偶然にもダライラマ14世のお経を聞いた。ランチャイラマもダライラマと並ぶ高僧とはいえ、まだ子供なので心が痛む。幼い写真も掲げられていた。ダライラマ14世は、チベットから亡命している。

アパートの近くに北朝鮮大使館もあったので、北朝鮮大使の息子(2歳)が行方不明になったときには、多くの警官が周辺を捜索するのを目の当たりにした。子どもは、2キロ離れた用水路に浮かんでいたという。
「親が殺したのよ」
隣のおばさんが言った。
「大人5人、子ども1人でピクニックをしていて、子どもがいなくなるのに気づかないはずわないわ。子どもは知能遅れだったらしいわよ」
ロシア人の目にも北朝鮮は不気味な国と映っているようだった。
モスクワには、かなり多くの北朝鮮人が住んでいた。そして、関わらなかったが、脱国の闇ルートも存在していた。


ロシア生活も残り少なくなり、季節もよくなったからと、モスクワ郊外にある名所・旧跡を巡る週末を過ごしていた。ある日曜日、元同居人のKちゃんとメーリホヴォにあるチェーホフの別荘に向かうべくクールスキー・バグザールから列車に乗った。時刻表を確かめ、1時間半でチェーホフまで行くと信じて座っていたから、まさか、そのまま列車に閉じ込められ、車庫まで連れて行かれるなど夢にも思わなかった。多くの人が降りいくなか、のんびり座っていたわたしたちにアゼルバイジャンの男性が声を掛けてくれ、慌てて降りようとしたが間に合わず、わたしの目の前でドアが激しく閉まった。いっしょに閉じ込められたアゼルバイジャンの男性が、車両に取り付けてある非常用電話で車掌と連絡をとろうとしたが、一向につながらず、列車は動きだしてしまった。乗客が残っているかどうかの確認は、まったくなかった。Kちゃんとわたしは、車窓からの景色を呆然と眺め、どこまで行くのかなぁとつぶやくだけだった。しばらく列車は走り続け、幸運にも駅の隣にある引込み線に停車した。

そして、今度は、どうやって列車から出るかという問題に当たった。ドアは開かないし、窓から出るにしても2メートルほどの高さがあった。しばらく思案していると整備の人が通りかかった。そして、列車のいちばん前のドアが開いていると教えられ、長く続く車両をえっちらえっちら移動し、やっとの思いで外に出た。そこから、車庫を横切り、ホームによじ登り、時刻表を見ると次の列車が来るまで2時間ほどあった。目の前を乗るべき列車が通り過ぎていくのをむなしく見つめ、ホームにしゃがみこんだ。

アゼルバイジャン出身の男性は、故郷に仕事がまったくないから、ロシアに出稼ぎにきている。帰りたいけれども帰れないと嘆いていた。時間が充分にあったので、すっかり打ち解け、チェーホフの別荘よりも自分の別荘に来ないかとしきりに誘われた。おいしいピクルスや野菜が別荘にはあるし、シャシリクも焼ける。丁重にお断りしたものの、少し心が動いたのはKちゃんもいっしょだったらしい。

チェーホフ駅からさらにローカルバスで30分揺られ、やっとメーリヴォにたどり着いた。「かもめ」や「ワーニャ伯父さん」などの名作を生みだした別荘は、かわいい居心地のよい場所だった。モスクワから75キロしか離れていないとは思えないほど遠かったけれど。


7月のジュニアオリンピック開催にむけて、軍隊がモスクワに集められたもよう。トラックの荷台に詰め込まれた兵士たちの姿が目につくようになった。兵士らが、街中の警備を始めたので、ネオナチ集団もだいぶ声を潜め、悪徳警官の影も薄くなった。また、外国人の目につくところにある闇市は閉鎖され、浮浪者も締め出された。この期間、パスポートの提示を求められることもなかった。モスクワオリンピックのとき、子どもが多い街だと思われるのを嫌って、子どもたちをモスクワから移動させたという国のやることは違う。

とにかく平和になったので、Kさんと気晴らしに劇場へと出かけた。入口で学割があると聞き、すかさず学生証を提示して、なかに入った。怪しげな場所ではあったが、無邪気によくみえる最前列に席を取った。そこが、過激なストリップ劇場だとは気づかなかった。全裸の女性と全身網タイツの60過ぎのじいさん、首に縄をつけられ、犬のように歩く薬中のような男を見て、目が点になった。そして、全裸の女性がわたしの膝を跨ぎ、激しく腰を振ったときは、もう笑うしかないという感じだった。本番もありのような感じで、全裸の女性たちが男性陣にアプローチしていたものの、応える男性はいなかった。ただ、パンツを下ろした男性はいたので、Kさんと品評に励んだ。


モスクワの中心街では、簡単にドラッグが手に入る。マーケットなどで、吸うかと声をかけられたら、もちろんタバコではない。また、ボリショイ劇場の前にいる売人は、つねに胸ポケットの財布を見せることで、ドラッグを持っていることを示していた。警察もいちおう取締りは行っているようで、クラブにいる全員を検挙し、摘発を行っていた。この取締りに巻き込まれ、一晩留置所に閉じ込められ、翌日尿検査を受けて釈放された友人もいる。もっとも、マフィアが仕切るモスクワの街にあっては、警察が本気で売人を検挙するつもりはないようだった。