クロスカルチャー コミュニケーション

ポーランド (ワルシャワ)

早朝ワルシャワに着いたわたしは、駅構内に荷物を預け、トラムに乗り、街の中心へと移動した。居心地のよいカフェを見つけて、朝食を取りつつ、ガイドブックを開く。眠気に襲われるもユースホステルは午後の5時まで入れない。ホテルの部屋を取ればよかったと後悔しつつ、キューリー夫人の博物館へと向かった。


キューリー夫人の博物館で日本人観光客の団体とぶつかり、ポーランド人は、キューリー夫人のことにそれほど関心を持っていないと聞く。学校で名前を教えられる程度だそうな。また、そのことを反映してか、博物館は、かなりこじんまりしていた。

旧市街を少し歩いた後、ワルシャワ歴史博物館を見学し、爆撃で破壊された街並みの写真を見てあ然とした。博物館の窓から見える旧市街市場広場と戦後に撮られた旧市街市場広場の写真を見比べ、よくここまで復元したものだと感心する。作業にあたっては、レンガ1つ狂わせず、壁の割れ目まで再現したという。

旧市街にある軽食屋で、しばし休憩をした後、ワルシャワ中央駅に荷物を取りに行く。そして、そのまま駅付近で写真を撮ってしまったことが、思いがけない不幸につながった。タクシーの勧誘を装った男にカメラ機材一式入ったバックをひったくられる。幸い、パスポート、カード、現金のたぐいは、肌身離さず身に付けていたので、無事だったものの、ちょうど脱いでいたコートも盗られ、まさに身包みを剥がされた気分だった。

犯人には一銭の得にもならない撮影済みのフイルム27本だけでも返してほしいと願うのもむなしい。しばらく呆然としてしまったが、ひもじいと余計気分がうつになるので、スタンドカフェでシャウルマ(ケバブ)をかじり、コーラを飲み、マーケットに入り、コートを買った。新しいコートを着て、ユースホステルにチェックインして、騒がしいなか早々に就寝した。


翌朝、荷物をすべて持ち、ユースホステルを出て、ワルシャワ中央駅へ向かった。
「ワルシャワは治安が悪いから、絶対に立ち寄ったら駄目よ」
モスクワで隣人から聞かされた言葉が頭によぎる。なぜ、昨日思い出さなかったのだろう。
ワルシャワ中央駅構内にある英語の通じるインフォメーションで、鞄をひったくられたので、警察署を教えて欲しいと尋ねたところ、同じく駅構内にある警察署まで案内してくれた。1時間半後に通訳が来るとのことだったので、近くの喫茶店で時間をつぶし警察署に戻る。6年前にワルシャワを訪れた友人から、ロシア語も普通に通じるから大丈夫と聞いていたが、街中には、ロシア語なんて話すものかという雰囲気が漂っていた。警察署内でも英語で話せとロシア語で言われ、英語の通訳を待った。


現れた通訳は、感じのいい20代の若者だった。ロシア語など習ったことないと言う。
警察官がなかなか来なかったので、気さくな兄ちゃんと雑談に励んだ。
「友人がスロバキアに行って、新鮮なパンを欲しいと言いつづけたけど、ずっと古いパンしかもらえなかった。何でだろうって思ったら、ポーランド語では、新鮮なパンという意味が、スロバキアでは古いパンという意味だった」
「モスクワにいたとき、エクアドル人が、同じような間違いをしてた。ロシア語でスーカは、売春婦。エクアドル語では、金髪美人。地下鉄で落としたペンを拾ってくれた金髪のロシア女性に対して、ありがとうスーカと言ってしまったらしい」

こんな感じで、話をしているとやっと警察官が現れた。身元確認から始まって、状況説明、被害品、金額など、通訳を介して説明し、言われるままにあちこちへ署名した。通訳が調書をすべて読み上げた後、以上のことに間違いはありませんと英語で一筆書き、1時間ほどかかった事情聴取から解放された。英語の証明書はインターポールが絡むので10日かかると聞き、ポーランド語の被害証明書を受け取り、通訳の兄ちゃんにお礼を言い、ルブリンへと出発した。