クロスカルチャー コミュニケーション

ポーランド (ルブリン)

のんびりとした田園風景のなかを列車は走り、ワルシャワ中央駅を出発してから、約2時間半ほどでルブリンに到着した。8人掛けのコンパートメントは、2等席ながら居心地がよかった。列車を降りて、駅前からバスに乗り、旧市街のインフォメーションセンターを目指した。

インフォメーションセンターでユースホステルの予約を入れてもらい、荷物を置かせてもらう。この間、近くにいた女の子が通訳を買ってでてくれていた。お礼をいいつつ外へ出て、ルブリン城に向かうべく旧市街を横断した。

丘の上に建つルブリン城は、城というよりも要塞のような雰囲気をかもしだしていた。第2次世界大戦中は、ナチスに反抗した政治犯が収容されていた牢獄だったというのもうなずける。城内は博物館となっていて、17世紀~19世紀のポーランド絵画、銀製の食器、民族衣装などが飾られていたが、館内は閑散としていた。聖三位一体礼拝堂のフレスコ画前でのみ観光客、社会化見学の子供たちとすれ違った。シャガール展が、特設ホールで開催されていたため、人は皆そちらに流れているようだった。

旧市街にあるカフェで一休みした後、ルブリン歴史博物館が入っているクラクフ門へ戻った。小さく歴史博物館と書かれたドアをやっと見つけ、中に入り、積み上げられたダンボールをよけ、人がやっとすれ違えるほどの階段を上った。そして、事務所のような木造のドアを押すと、ようやく博物館の入口らしく受付の人が座っていた。見学者は、わたし一人だけだったが、展示物のみならず、年代の入った建物も歴史を物語る興味深い歴史博物館だった。

インフォメーションセンターで荷物を引き取り、何人かに尋ねながらひたすら歩き、ユースホステルへたどり着いた。受付のおばさんは、英語はほとんど通じなかったが、流暢なロシア語で対応してくれた。館内は、閑散としていて、部屋はとうぜんのごとく一人。
昨夜とは対照的に静かな夜だった。

翌朝、バスに乗りマイダネク強制収容所まで向かう。バスの窓から巨大なモニュメントが見えたので、隣に座っている人にマイダネク?と尋ね、うんとうなずくと同時に慌ててバスを降りた。

インフォメーションセンターでドキュメントフィルムのチケットを買おうとしたら、5人からしか上映しないという。ほかに見学者が来る気配がまったくなかったので、5人分(10zt 約3ドル)支払い、英語版のなまなましいドキュメントフィルムを見た。

脳裏に映像を焼き付けたまま、マイダネク強制収容所跡に入った。小雨の降るなか、パンフレットを頼りに広大な敷地に点在する施設のルートをたどる。

監視人もいない施設に入ると「ここで髪を切られた」という看板が目に入った。少し進むと体温を上げ、毒ガスのまわりを早くするために使われたシャワー室。そして、その先が、厚いコンクリートに覆われたガス室。チクロンB(毒)の缶も展示されている。この場所で大量虐殺が行われていた事実をつきつけられても目を疑ってしまう。信じがたい面持ちで、外に出て展示バラックへと進んだ。

犠牲者のさまざまな展示物が現実に起きたことだと訴える。
積み上げられた無数の靴の谷間を歩いているとき、強風が吹き、木造バラックのすきまからうめき声のような音が聞こえ、途端に背筋が寒くなった。

以前、ネイティブアメリカンに興味を持ち読んだ伝記のなかにあった一節が頭によぎる。古い靴は大切にしなければいけない。その靴は、あなたの行くべき場所を知っているから。
主を失って積み上げられた靴から、犠牲者の片鱗が見えたような気がした。そして、あまりにも多い犠牲者の数に絶句してしまう。靴に埋もれていく自分から逃げるようにバラックを出た。

収容場を再現したバラックをのぞく。土の上に敷かれた4列の藁は、収容者のベッド。この過酷な場所に500人もの人々が詰め込まれていたと考えると胸が詰まる。晩秋、かなり厚手のコートを着ていても凍えるこの場所で、薄い囚人服をまとい、強制労働に借り出され、食事も満足に与えられなければ、死は避けられない。

本降りになった雨のなか、焼却炉の施設まで足を伸ばす。施設に入ってすぐの部屋に置いてある石の台が、遺体のなかから金歯や銀歯、飲み込んでいる貴金属がないかどうか調べるものだったと知り、ナチスへの嫌悪感がさらに増した。何万という遺体を焼いた当時のままの焼却炉を眺めながら、人はどこまで残酷になれるのかと考えてしまう。

旧市街に戻り、なんとなく入った大聖堂で、懺悔のために列をなす人々、祭壇の前でひざまずき一心に祈る人の姿を見て、自分は異質な存在だと感じながらも、犠牲になった人々の冥福を祈る。

人気のないユースホステルで、南京大虐殺の話題がリーガの宿であがったことが思い出された。
「日本が大虐殺を行った事実を中国で知り、すごい衝撃を受けた」
「日本では、そのことについて話をしないの?」
うん。と答えるしかなかった。