クロスカルチャー コミュニケーション

ベラルーシ(ミンスク)

リトアニアの首都ヴィルニュスから列車に乗り、ベラルーシの首都ミンスクへ入る。
列車を降りたミンスク駅でインフォメーションを探し、寝台列車の料金を聞く。8万ルーブルと言われ、驚いていたら、40ドルと付け加えられた。1ドルのレートは、2200ベラルーシルーブル。両替を済ませ、10時間後に出発する寝台列車のチケットを買った。2日間有効の通過ビザしか持っていなかったので、あえて無理はしなかった。


まずは、重い荷物を預けて身軽になるべく、オートロッカーと書かれた部屋へ入った。人々の様子から普通のコインロッカーではないことを察し、料金の支払い所へと続く行列に並び、前にいた女性に使い方を尋ねる。
「 この列にならび、受付で名前を登録してもらい、450BP支払いコインを2枚受け取り、まず1枚コインを入れて数字をセットして閉じて、開けるときにもう1枚を使う」
思わず、うーんとうなってしまった。

とりあえず、名前を告げ、料金を支払い、15カペイカコインを2枚もらい、空いているロッカーを見つけ荷物を押し込んで、近くにいた人にもう一度聞く。
「 扉の内側から自分の好きな数字または、アルファベットを合わせ、コインを入れて扉を閉める。開けるときは、閉めたときの数字または、アルファベットを扉の外側で合わせ、コインを入れる」
やっと把握し、荷物を預けることができた。


ガイドブックを持っていなかったので、右も左も分からない。駅前のキオスクで地図を買い、ピロシキをかじりながら、しばし見つめた後、地下鉄に乗った。
プローシャチ・ペラモギ駅で降り、勝利広場にそびえる勝利の塔を眺め、周囲を散策した後、ビストロの看板に誘われて、遊園地の脇にある店に入る。重厚な建物の2階にあるビストロは、りっぱなレストランで、軽食屋とは、ほど遠く見えた。テーブルにきっちりセットされている食器類を見て、少々ひるみ引き返そうと思ったところで、やり手マネージャーに捕まり、席へ案内されてしまった。ちょっと前のロシアの法外に高いレストランと雰囲気がそっくりだったので、こわごわメニューを開く。紅茶、スープが600BP(約0.25ドル)、メインが2000~6000BP(約1ドル~3ドル)。安心したわたしは、昼食をフルコースで注文した。ボルシチのスープ、カツレツとジャガイモ、サラダ、紅茶を暖かい部屋で味わった。とにかく外は寒い。地図を広げ、歩くルートを定めてから、意を決し外に出た。

ボリショイサーカスを過ぎ、ボリショイテアトルに行く途中、人だかりに誘われて入った建物では、商業博覧会が催されていた。1階には、台所用品、電化製品、化粧品、土産物などさまざまなブースが並び、2階には、商談スペースが設けられている。外資系企業が多く集まっていたので、日系企業も進出しているのかと探してみるも、さすがに見当たらなかった。そして、外に出るときになって、この博覧会に入るには、入場券が必要なことが分かった。もっとも、わたしは誰にも相手にされなかったので、そのまま姿を消した。
スヴィラチ川を見下ろす小さな丘の上に建つ、聖霊大聖堂まで、えっちらほと階段を上ったのに、工事中のために聖堂内を見ることができなかった。聖堂入口に設けられた祭壇で必死に祈る人を眺めつつ、奇跡を起こすと信じられているイコンを想う。

聖霊大聖堂の斜め向かいにあるショッピング街は、外資系の店舗が並び、華やかな雰囲気をかもしだしていた。きれいに着飾り、街をさっそうと歩いている人々を見るとこの国が抱えている大きな問題など思い浮かばない。チェルノブイリの影響を受け、その被害に苦しんでいる人々の姿は、とうぜんながらここには無い。寒さに負け入ったセルフ式カフェテリアでは、行列ができていて、スープ、メイン料理、ケーキ、コーヒーなどを頼み1,0000BP(約4ドル)以上支払う若者が多かった。その姿を見て、外資系の企業に勤めているのだろうと察した。外資系企業は、国営企業に比べて格段に給料が高い。ゴージャスに毛皮など着飾っている人々のなかで、薄汚れたコートをまとった自分がなんだか後ろめたくなり、居心地が悪かったので、早々に店を出た。レーニン通りを散策しながら、グムデパートに向かう。
グムデパートは、外資系の店が並ぶショッピング街に比べると格段に安く、庶民的な気がした。ガラス食器専門店でウォッカグラスを6つ買ったところ、3360BP(約1.5ドル)だった。暖かいので、3階建てのグムデパートを端から端まで、チョコレートから毛皮まで見て歩く。そして、最後にREFLEXというグループのCDを6000BP(約2.7ドル)で買い外に出た。

「ミンスクに住む一般の人々は、高いのでグムデパートなどでは買わない。スタジアムディナモで開かれるマーケットで買い物をする」。
その夜、寝台列車で乗り合わせたベラルーシ人から教えられるまで、ミンスクのグムデパートは安いところだと思っていた。1日では、ベラルーシ人の生活を計り知ることはできない。

大祖国戦争史国立博物館に立ち寄るも、予想通りの休館。月曜日だった。第二次世界大戦中、ミンスク郊外にもナチス収容所があり、20万人の庶民が虐殺されたと聞き、その当時の資料を見たいと思っていた。残念だけど仕方がない。建物の写真だけ撮った。
近くにマクドナルドがあったので、暖をとろうとドアを押してみたが、あまりの混雑に席を取ることを諦めた。ハンバーガーの値段は、日本より少し安い程度。物価水準を考えるとおそろしく高いハンバーガーなのにと思う。
スーパーマーケットで身体を温め、外に出ると、主要な建物がライトアップされていた。光に誘われ、スカリナ大通りを散歩する。ネザヴィーシモスチ広場まで来たときには、すっかり凍えていたものの、聖シモン・エレーナ教会をはじめとした幻想的な夜景に心を奪われ、しばらく足を止めた。
ミンスクの街を歩いて分かったことといえば、ソビエトのテーマパークと呼ばれる所以だけだと思う。ミンスクは、モスクワをコンパクトにまとめたような街に映った。そして、ロシア語ですべて事が足りた。