クロスカルチャー コミュニケーション

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モスクワ 2015

モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港で懐かしい顔に迎えられた。12年ぶりの再会に顔がほころぶ。ガリーナさんの案内で空港を出て、ガリーナさんの息子が運転する車に乗り込む。空港の敷地から出ると道路は車であふれていた。近年、モスクワでは渋滞が当たり前になっているとのこと。狭い隙間に強引に割り込み、前に進んでいくので落ち着けない。道路が空いていれば、1時間ほどの距離を3時間かかって到着した。

ガリーナさんは、モスクワに留学していたときのお隣さん。新しいエレベータに驚きつつ、以前住んでいた部屋の前を通る。一緒に住んでいたおばあさんは10年ほど前に亡くなった。亡くなる少し前、「わたしももう年だし、早く会いに来て」という手紙を受け取ったまま、などと感傷に浸る間もなく、ガリーナさんのお宅に招き入れられた。温厚なご主人と孫のマキシムに歓迎される。住んでいた部屋からガリーナさんのお宅までは2、3歩しか離れていない。

ご主人とガリーナさんは年金生活者、マキシムは大学一年生、PADIのダイブマスターを持ち、スキューバダイビングのショップでアルバイトをしている。両親と一緒に東南アジアで潜ることもあるとか。通学に便利という理由で、マキシムはガリーナさんたちと一緒に暮らしている。

お土産にウイスキー、マフラー、スマホ手袋、五本指靴下などをガリーナさんに渡すと、ロシアではお土産に靴下は駄目よ。死者に贈るものだからと言わた。そして、「儀式的にね」とカペイカのコインを渡された。 ロシアでは、お葬式の花束は偶数本、お祝いの花束は奇数本というのは知っていたけれど、靴下については全く知らなかったと謝罪すると「ロシア人じゃないし当然よ、お金を渡したから大丈夫」と明るく言われた。 まずは、歓迎会ということで、夜の11時すぎに宴が始まった。日本時間では朝の5時。眠い目をこすりつつ、ロシア料理を囲みウォッカで乾杯した。

まったりと遅い朝食をガリーナさんのダイニングキッチンでいただく。ガリーナさんのキッチンにはオーヴン、食器洗浄機、ドラム式の洗濯乾燥機が組み込まれ、ノンフライヤーなどもあった。変わらないのは、大量の食材が備蓄されているところぐらい。

ガリーナさんの食卓で変わったことは、食後に紅茶ではなくコーヒーもすすめられること。インスタントコーヒーを愛用しているけれど、コーヒーメーカーを購入するのも時間の問題かなと思う。 スターバックスを始め、フランチャイズのコーヒーショップが数多く、モスクワに進出している。

近所を散策中、メトロ・ウニベルシチェート駅前のビルに丸亀製麺を見つけた。和食の人気はモスクワでも高く、日本食レストランが点在している。ガリーナさんの家から2分ほどの場所にも「日本の焼き鳥」という店があった。 週末にモスクワ在住の友だち2人がお酒を持参で遊びにきてくれた。2人からモスクワの街が急速に発展していること、かつてお世話になった人たち、ソ連時代の出来事を教えてくれた人たちが次々に他界していることを聞かされる。弔いのウォッカを捧げつつ、時の流れを感じた。

ガリーナさんとバスに乗り、最近できたというショッピングモールに行く。ファッションエリアには、ヨーロッパのブランドショップが並んでいた。高級ブランドは横目で眺め、カジュアルショップで服を物色する。「何かありましたら声をかけてください」と言われ、ちょっと驚く。そして、外資系の接客マニュアルがロシア人に大きな影響を与えたのでは、と思う。

ソ連が崩壊したのは、1991年12月25日。マクドナルドが旧ソ連に1号店を開いたのは、1990年1月31日。開店前から5000人余りが列をつくり、一日の来客数は3万人を超えたとか。社会主義に疑問を感じ、隠れながらラジオで資本主義の情報を得ていた当時のロシア人にとって、マクドナルドの存在は大きかったと思う。1995年10月、私が初めてモスクワで生活し、行列に並び、マクドナルドでビックマックセットを買ったとき、店員が笑顔だったのを覚えている。当時のモスクワでは販売員が笑顔で接客をすることがとても珍しかった。 きれいなショッピングモールでウィンドウショッピングを楽しんだ後、昔からあるショッピングセンターに寄ると店舗がかなり抜けたまま、客もいなくて寒々しかった。

マキシムと2人でキッチンに居たとき、マキシムが夜食のソーセージを食べながら、おばあちゃんの料理はいつも同じだと英語で訴えた。すると、「私の料理はいつも同じだって言っているでしょう」というロシア語が背後から聞こえた。思わず、マキシムと顔を見合わせる。「あなたには超能力がある」と笑いながら言うマキシムに「英語はわからないけど、マキシムが言いそうなことはわかるわ」とガリーナさん。マキシムによるとグラタン、ラザニア、スパゲッティ、エスニック料理などが食べたいけど、ガリーナさんは正統ロシア料理しか作らない。牛タンの煮こごり、ボルシチ、サラダ、ニシンの塩漬け、鳥の丸焼き、サーモンなどは食べたくないとのこと。料理下手なら諦めもつくのだろうけれど、ロシア料理しか作らないところが気に入らないらしい。私の持参した日本のインスタント食品やカレールーをマキシムは喜び、ガリーナさんは横目で見ていた。マキシムに「カレーの作り方わかるの」と聞くと、日本人の友だちがいるから作ってもらうとのこと。

マキシムが生まれる少し前まで、ソ連時代で、一般のロシア人が外国人と接触しただけで射殺されていたこと。また、食べ物や日用品を手に入れるために一日何時間も長い行列に並んでいたことが頭によぎる。屈託のないマキシムを見ているとそんな時代もあったとしか思えない。 ちなみにマキシムが英語を上手に話すのは、ガリーナさんがマキシムを英語教室にせっせと通わせていたから。予習、復習の面倒もみていたので、ガリーナさんもある程度の英語はわかると思う。 マキシムが幼い頃、ロシアの経済は破綻していて、英語ができないといい仕事に就くのが難しかった。マキシムのお父さんはガリーナさんの次男。ガリーナさんの長男は現在アメリカで暮らしている。

外国人は、ロシアに到着後、7営業日以内に外国人登録をする必要がある。インターネットでロシアの旅行社から空バウチャーを購入し、ビザを取得したので、外国人登録の手続きを代行してくれるホテル、もしくはゲストハウスに1泊する必要があった。
「なんで短期の滞在なのにゲストハウスに行かなければならないの?」「お金を払って、外国人登録をしてもらって戻ってくればいいわ」などと最後まで納得がいかないガリーナさんたちに見送られて、モスクワ中心街にあるゲストハウスへ向かった。

ゲストハウスはお世辞にもきれいとは言えない雑居ビルの一角にあった。外国人登録の代行料と宿泊代で2000円ほど支払い外国人登録用にパスポートを預ける。キッチンとリビングはそこそこ広かったものの、ドミトリーは8人部屋で、8畳ほどの部屋に2段ベッドが4台置かれていた。荷物を避けながら二段ベッドに上がりシーツとカバーをセットし、息苦しい部屋から逃げ出した。

リビングのソファに座り、ガイドブックを読んでいるとロシア人の女の子から日本語で話しかけられた。違和感を抱きつつも誘われるまま、彼女の案内で旧アルバート通りを歩き、ドムクニーギで本やCDを探した。昔はレジで先にお金を支払い、レシートと引き換えに本を受け取っていた。本を手に取るには許可が必要だったなんてもう信じられない。ソ連時代の復刻本を手に取り、共産主義のシステムについて、面白おかしく話してくれる女の子を見ても、ソ連の共産主義は歴史の教科書に載っている出来事だと思う。

ゲストハウスに戻ると外国人登録済みの書類とパスポートを渡された。時刻は夜の10時、さっさと寝て、早朝、カメラを持ってゲストハウスを抜け出した。時刻は午前5時45分。まだ、しばらく朝日は昇らない。ボリショイ劇場まで歩き、写真を撮ろうかとカメラを構えた瞬間に建物のライトアップが消えてしまう。ちょうど6時だった。気を取り直して、赤の広場へと歩く。クレムリン周辺には、警察官があちらこちらに立っていたけれど、カメラを片手にうろうろする私に興味はないようだった。

救世主キリスト聖堂
救世主キリスト聖堂
モスクワ川
モスクワ川
チョコレート工場
チョコレート工場
プーシキン博物館
プーシキン博物館
マネージ広場
マネージ広場
歴史博物館
歴史博物館
レーニン廟
レーニン廟
聖ワシリイ大聖堂
聖ワシリイ大聖堂

近くのスーパーマーケットで買い物をして帰ると「高いのに。私たちはアシャンでまとめ買いをするのよ」と怒られた。「アシャン」とは、大型のスーパーマーケットで、食料品から日用品まですべて揃っている。「アシャンは遠いし」と言うと「何を言っているの近いわよ」と言われ、急遽、買い出しに出かけた。ガリーナさん、ご主人と私の3人でトランバイを乗り継ぐも20分ほどで到着した。

空にそびえ立つガガーリン像を見て、どこに居るのかすぐにわかった。アシャンはかつて通った闇市の跡地にあった。学生寮が隣の駅にあったため、チーズ、ソーセージ、お米、チョコレート、ティーパックなどをよく買いにきていた。 TGIFriday(アメリカンフードのレストラン) やダンキンドーナツの前を通り、アシャンに入る。荷物を預けることもなく、おおきなカーとを押しながらの買い物。でも。結局、買うアイテムは同じだった。

「モスクワ大学の購買部でグッズを買ってお土産にしようと思ったけど、モスクワ大学の構内に入れてもらえなかった。最近は警備が厳しいみたい。」と何気なくガリーナさんに伝えたところ、「私も行くわ」とのことで、歩いて15分の場所にあるモスクワ大学の本館受付へ。やはり断られるも、ガリーナさんは動かなかった。ガリーナさんいわく「私は老人だし、テロリストでもないわ。ここで待っていれば、同情をそそる。そして、突然、許可が出るの。私は待つのは平気」とのこと。そして、私が「もう帰りましょう」と促すこと数回、15分を過ぎた頃、突然、「どうぞ」と言われ、私の許可が下りた。ガリーナさんの粘り勝ちだった。迷わず購買部に行き、モスクワ大学のロゴ入りTシャツ、パーカー、ボールペン、メモ帳などを買い込む。見慣れた構内がなんだか今までとは異なってみえた。

荷物をトランクに詰め込み、手配してもらった車で空港まで。ガリーナさんとご主人に見送られ、搭乗エリアに入った。