クロスカルチャー コミュニケーション

コロンビア川渓谷

オレゴンの大自然を満喫すべく、寝袋とテント、充分すぎる食糧をマイクロバスに積み込み、コロンビア川沿いにある州立公園へと出発した。ハイウェイ84を西に進み、ポートランドの西16マイルにあるトラウトデールから、美しい景観が望めるコロンビア川歴史旧街道に入る。風景を楽しむために設計された旧街道は、コロンビアゴージの崖に沿って森を切り進んでいるため、コロンビア川渓谷を見下ろし、崖から落ちてくる滝を近くに感じることができる。また、旧街道沿いには、州立公園も多く、わたしたちのキャンプ地もここにあった。


キャンプ場に設置してあるグリルで、ハンバーガー、ホットドックを焼き、簡単な昼食を取った後、ハイキングコースへと移動した。
森に茂る木々の大きさを感じつつ、小径を歩き、点在する滝をめぐる。木漏れ日を受けながら、小さな丘に登ると、清らかな小川があった。靴を脱ぎ、流れに足を入れ、ちょっと川下へと歩く。ロープが目に付いたその先で、小川は忽然と消えていた。慎重にロープをまたぎ、1、2歩進むと崖を転がり落ちる水が見え、急に背筋が寒くなった。膝下にゆるやかな水の流れを感じるだけなのに、足をすくわれそうな気がして、早々に川岸へ上がる。未知の川を下る危険をコロンビア川への支流、幅5メートル、高さ10メートルほどの滝で認識するとは思わなかった。


コロンビア川は、カスケード山脈を横断しているため、ルイス&クラーク探検隊をはじめとし、多くの開拓民が西部を目指し、危険な急流をいかだで下っている。いかだに幌馬車を載せ、未知の激流を下るのは無謀で、多くの人が命を落とした。水先案内人として、ネイティブアメリカンが雇われるようになっても、難所であることにはかわりなかった。
その後、業者がフェリーを就航させ、法外な運賃を請求した。フェリーの運賃に憤慨したサム・バーロウがフッド山の険しい森を数人で切り開き、カスケード山脈を越える道を執念で貫通させた。コロンビア川を恐れた開拓民たちは、幌馬車一台につき5ドルを支払いバーロウの道を通った。しかし、その道は、想像以上に険しく、幌馬車を吊り上げないと進めなかったとか。


コロンビア川渓谷にひっそりと残る船着場を訪ねた。どのような思いで厳しい難所を潜り抜け、ここまで辿りついたのか、開拓民の胸中を推し量ることすらできないほど、川は穏やかだった。1937年に建設されたボナビルロック&ダムにより、コロンビア川本来の姿は消えている。ダムの上流では、ネイティブアメリカンの漁場も飲み込まれ、数種類の鮭が絶滅したという。溯上時期の異なる4種類の鮭がネイティブアメリカンらの主食だった。
ダムが建設され、川の流れが管理されているコロンビア川では、ウィンドサーフィン、ラフティング、カヌー、カヤックなどのウォータースポーツが楽しめる。フッド山の袂にあるコロンビア峡谷には、強風を巧みにとらえて、舞い上がるプロのウィンドサーファーたちが多い。世界大会も催されるほど有名なウィンドサーフィンのメッカでもある。かつては、ネイティブアメリカンらが、コンスタントに吹く風を利用して、ドライサーモンやドライフルーツを作っていたという。


キャンプ地でテントを張り、みなでバーベキューを囲む。景色と空気がきれいなところでの食事はおいしい。食後は、野生の鹿を見に森を散策する。夕日をバックに現れた鹿の姿は感動的だった。すっかり辺りが暗くなった頃、星空を眺めながら眠りにつこうと寝袋に潜り込んだ。しかし、寒さに負け、テントの中へ避難することになる。
野鳥のさえずりで目覚めたかったのだけれど、テントの入口でまるまって寝ているところを友だちに踏みつけられて起きた。それでも、森林のきりりとした朝は、すがすがしい。冷たい水で顔を洗っているとき、ふと、リスと目が合った。見つめ合うことしばし、リスはくるりと背を向けてとことこ歩いていった。そのリスの姿を見ていた友だちが、オレゴンのリスは太りすぎで、機敏さがないよね、と言うので、きっと、幸せに暮らしているんだよ、とこたえてみた。ネイティブアメリカンが春になると摘んでいたハックルベリーの実をたらふく食べたのでは、と推測する。


アメリカンブレックファストを平らげ、キャンプ場を後にしたわたしたちは、さらに滝をめぐり、支流でビーバーを探した。その昔、毛皮商人らに乱獲されたため、残念ながら見つけられなかった。オレゴン州のニックネームはビーバーで、州旗の裏側にもビーバーが描かれている。


コロンビア川渓谷には、大小合わせて108もの滝がある。いちばん有名なモルトノマの滝は、コロンビアゴージの南壁に沿い、2段に分かれて落ちている。滝の落差は約189メートル。滝つぼ付近に立つと細かい水しぶきを全身に浴びることとなる。上を見上げ、あんぐり口をあけ、迫力あるよね、とつぶやいたのは、わたしだけではなかったと思う。
このモルトノマの滝には、モルトノマ族の酋長の娘が愛する夫や人々を助けるため、高い崖の上から身を捧げ、その後、その崖から水が噴出し、滝が生まれたという伝説がある。
娘が生贄になるという伝説は、万国共通なのね、と思ってしまった。