クロスカルチャー コミュニケーション

モスクワ迷走記 1998年 … 1月/2月

ロシアの新年は、ビンなどを割る音で始まる。赤の広場にも大勢の人が集まり、がんがん割る。クレムリン周辺の地下鉄駅は、人が多く危険だからという理由で閉鎖。でも、もう、それぐらいのことでは驚かない。そして、1月7日がロシア正教のクリスマス。クリスマスツリーも出現し、華やかな感じになる。街のイルミネーションに心を癒された。

また、デノミが執行され、1000ルーブルが1ルーブルとなるも、なんの混乱もなかった。それ以前から1000の位は無視されていたので、当たり前かもしれない。牛乳1リットルいくらと尋ねて、6といわれたら、6000ルーブルということだった。また、新しい紙幣への移行ものんびりしていた。

ロシアが経済危機に襲われたのは、この年の夏。わたし自身は一足早く、昨年末ごろから財政破綻に陥り、2人用ブロックを1人で借りるのが厳しくなった。そこで、かつてのルームメイト、イサベラのもとに一時避難させてもらいホームスティ先を探していた。そして、友人の持ってきたおいしいけど裏があるアルバイトを引き受ける。Food is food.気分はそんな感じだった。結果的には、引き受けるべきではなかったと思う。

寮内も室内もあいかわらず賑やかで、日本語を勉強しているロシア人たちもよく遊びにきていた。なかには、漢字も完璧に覚えている学生もいて、四文字熟語で争って負けたときは、日本人として悲しかった。憂鬱、薔薇、胡椒など得意げに書いていく奴には勝てない。また、無料で日本語を教えている教室にオウムの影がある噂を聞き、キリスト教の布教活動とダブってしまった。


にぎやかな寮を出て、年金生活者のおばあさんから間借りをした結果、わたしの生活は一変した。わずかな年金で慎ましく暮らしている人を前にして派手な生活はできなかった。家主のおばあさんは、もう10年ぐらい観劇どころか、モスクワの中心地にも行っていないという。毎日、テレビで放送されている映画を楽しみに生きているようだった。めんどうみのいい人だったゆえにわたしは、しばらくの間、下痢に悩まされた。おばあさんの料理を食べると胃腸の氾濫にあう。牛乳を日の当たる場所に置いておき、発酵したものをヨーグルトだといい飲む人とは張り合えない。ロシア人から牛乳は沸かしてから飲むものだと教えられていたのは、なんだったのだろうとも思った。とにかく、おばあさんの調理する食材が古いことと大量の油を使うことに原因があった。ロシアに来てから2度目の洗礼だったが、今回も1ヶ月ほどで落ち着いた。

暇なので、テレビを観る生活になった。「キャンディキャンディ」や「スパイダーマン」など日本のアニメほか、ロシア語であるあるあるあるというところまで同じな「クイズ100人に聞きました」も放送されていた。また、「Xファイル」やロシア版「60 minutes」、映画「レオン」なども人気があった。

ソビエト時代に制作されたロシア映画は、1本8時間から10時間あり、展開がゆっくりで味がある。ただ、かなり雑に制作されており、ソビエト時代の映画の間違い探しを指摘するして、笑いを誘うテレビ番組もあった。男女が並んで座っている次の瞬間、2人の位置が入れ替わっていたり、腕時計の位置が左右逆になっていたり、身につけていたアクセサリーがなくなったりと細かいことを挙げるときりがない。

しばらくテレビを見続けて、気が付いたことは、画面に殺人シーンが映し出されることの多さ、ハッピーエンドで終わるドラマ、映画の少なさだった。新しい職業として、殺し屋が生まれている国なのだから、ショッキングなシーンを規制するべきだと思った。ちなみに殺し屋は、200ドルほどでも引き受けると聞いた。やっぱり、胸に包丁が刺さった死体をそのままニュースで流すのはどうかと思う。


クラブやバーで飲むことがめっきり少なくなり、おばあさんの友達らとジャムを舐めながら、お茶を飲むことが多くなった。日本でロシアンティーといえば、紅茶にジャムを入れるが、本場では、ジャムや砂糖を口に入れ、紅茶を飲むもよう。クッキーやビスケット、チョコレートなどをつまみながら、おばあさんたちの昔話に耳を傾けた。

ロシア北部出身のおばあさんは、第2次世界大戦の最中、モスクワにある軍事工場に集められ、学徒勤労に励んだという。北部から来たので、訛りが強く、教官からも歌を歌っているときだけ、正しいロシア語を話すなぁと言われたほどだった。当時、工場の行き帰りは、歌を歌いながら行進していたからねとのこと。標準語を話せるようになるまで、かなり苦労したから、外国人は、別に完璧なロシア語を話せなくてもかまわないと思う、複雑なロシア語の格変化なんか無視してもロシア人は相手が何を言っているか分かるんだからと言ってくれる心強い茶のみ相手だった。

また、第2次世界大戦中、モスクワ近郊に住んでいて、ドイツ人たちと鉢合わせしてしまったというおばあさんもいた。ドイツ人は野蛮で出会ったら殺されると教えられていたけど、紳士的で、人間的な人たちだったから驚いたと話していた。この話を休暇を取って短期留学に来ていたオランダ人にすると、あっ、恋に落ちちゃったの?といった。えっ、と聞き返すと、ドイツ語とオランダ語は言葉が似ているから、攻めて来たドイツ兵と恋に落ちるオランダ女性は多かったのよと平然と言われた。