モスクワ迷走記 1997 … 10月/11月/12月
9月から始まった文系予備学部のクラスにも慣れ、まったりしているところへ友人がアルバイトの話を持ってきた。気軽に引き受けたら、マフィアの仕切る闇市での市場調査だった。
某日系メーカーの依頼で、週末、闇市の出入り口に立ち、人々が買った商品を調査する仕事で、時給10ドル。ロシアの闇市では、家電製品を梱包しないので、ダンボールに印刷されているメーカー名、製品番号を容易にチェックすることができる。闇市にある3ヶ所の出入り口に1人ずつ立った。
市場や闇市で働くロシア人は少なく、南方から来たマイノリティの人々が多かった。また、違法入国している中国人なども多く、混沌としていた。
会社側から企業名を出さないようにと言われていたが、怖そうなお兄さんたちから詰問されたので、答えると態度が豹変し、社長を知っていると口々に言った。さらにいくらで働いているのかと聞かれたので、ロシア人の賃金を考慮して、日給20ドルと嘘をついた。すると中国人かと尋ねられたので、日本人だと答えると、日本人がなぜ、そんな安い金で働いているのかといわれ、ここはロシアだし、学生だからとごまかした。
マイナス10度のなかで、律儀にチェックしていると後ろで見ていたお兄さんが20ドルでそんなにまじめに働くことはないといって、即席のイスをこしらえてくれ、火にあたらせてくれた。そして、チョコレートやアメ玉、シャウルマ(ケバブ)なんかも差し入れてくれた。この人たちは、いったいいくら稼いでいるのだろうかと思ったが、居心地は悪くなかった。
ほかの出入り口に立っていた男の子たちは、邪魔にされ、蹴られたりしたらしく、ロシアの男は、女に甘いと嘆いていた。ロシア人の道徳として、女性に手を出さないということが叩き込まれているのか、外国人排斥運動などでも女性が被害にあうことはめったになかった。ナイフなどで恐喝されるのもほとんどが男性だった。
寒さのなかで日給60ドルは安すぎるというわたしたちの会話を隣で聞いていたウクライナの女の子が、突然、怒り出した。
「わたしなんかウクライナでは、日当6万ルーブル(約1000円)で、朝8時から夜8時まで吹きさらしの露店で店番をしていたのだから」
みな返す言葉がなかった。
モスクワには、電化製品の市場、衣類の市場、革・毛皮製品の市場、本の市場などがあり、デパートや商店より安く、品数が豊富なので、つねに賑わっていた。
衣類市場では、コピー商品がずらりと揃えられていて、アディダスの偽物Tシャツが、200円、野球帽が100円ほどで売られていた。中国、トルコからの製品が多く、粗悪な物が多かったが、とにかく安かった。衣類市場のなかにあった中国料理店(食堂)の水餃子、焼き餃子、ラーメンがおいしかった。ただ、器がプラスチックで、風呂場の桶で食事をしているような気分になるのをこらえなければ食べられなかった。きっと神経質な人は、食事ができる場所ではないと思う。
1人部屋を求めて、寮内で移動した先で、韓国人夫妻、ウンジェとジョンアーと仲良くなっていた。そして、新しいクラスにも韓国人が多かったこともあり、モスクワの韓国人社会に浸ることになった。
モスクワには、多くの韓国人が暮らしており、韓国コミュニティができあがっていた。韓国を経済危機が襲った年だったこともあってか、韓国系のレストランでは、韓国人学生は半額で食べられる店もあった。わたしもまぎれて焼肉やビビンバ、キムチなどを食べさせてもらった。ほんとうにおいしかった。また、韓国系ホテルやアパートの一室で韓国食材を扱っている店、ベトナム系の豆腐屋などの情報も多かった。辛ラーメンのパックをダンボールで買い込んでいたこともあり、この時期、3日に1度は辛ラーメンを食べていた。
ただで韓国料理が食べられるという理由から、日曜日に教会へ行く学生もいたが、真剣に教会活動を行っている人が多かった。北朝鮮の人への援助活動も行われているとのことで、カンパ袋などもまわっていた。
ある日の夕暮れ時、いつものようにジョンアーの部屋でお茶を飲んでいると大量の白菜と大根が台所に運び込まれてきた。巨大な白菜が20個、桜島大根もどきが10本ほど積み上げられるとジョンアーも目が点状態になった。ジョンアーいわく、ロシアサイズの白菜と大根だと思ったから。ロシアの市場で売られている白菜、大根は、直径が10~15センチほど、長さも20~30センチほどしかない。人づてに頼んだという白菜、大根は、韓国系ロシアの人々が栽培したもので、遠路トラックで運ばれてきたものだった。
なにはともあれ、キムチ作りが始まった。寮内で塩、にんにく、唐辛子をかき集め、バスタブと巨大洗濯桶を洗った。その後、私は4時間かかって大根をすべて千切りにして、洗濯桶に放り込み、ジョンアーは、水キムチにする外側の葉を除き、白菜を四分割にし、塩を振って、バスタブで塩漬けにした。そして、にんにくをすり、調味料や唐辛子などを千切りにした大根を混ぜ、白菜に塗りこむ具を完成させたところで、朝を迎えた。
2人して学校をさぼり、塩漬けの白菜を洗い、具を葉の間にはさみ、さまざまな容器に詰め込み、およそ70キロのキムチを仕込んだときには、体から魂が抜けていた。
モスクワでは、英語ができると給料が2倍になるので、みな必死で勉強する。そんなおり、かつての同居人サムラーが無料の英会話教室のチラシを持って遊びに来た。1人では心細いからと誘われついていくと思いがけない場所だった。インターナショナルスクールと日本人学校に通う子供たちが共有している体育館が会場だった。
受付でパンフレットを手渡され、何で無料なのかが分かる。布教活動の一環だった。アメリカ人2人が、1時間ほど英会話を教えた後で、宣教師が言葉巧みに勧誘をしていく。一度もお祈りをしたことがないイスラム教徒のサムラーと大乗仏教の申し子のわたしは、適当に聞き流していたが、周囲の人々は真剣に耳を傾けていた。オウム真理教に騙されたロシア人が多かった理由が少しだけ分かった気がした。
英語とロシア語による表現方法の違いなどがおもしろく、数回、英会話だけ参加したが、毎回、そこに集まる人々の素朴さに驚かされた。英会話だけで逃げてしまおうなどと考えるのは、わたしたちだけだった。そして、劇場に無料招待するから、みなさんで来てくださいという教会の誘いに食いつくロシア人を見て、なぜか心が痛んだ。
モスクワで冬の楽しみといえば、芸術鑑賞で、バレエ、オペラ、コンサート、劇、サーカスなどのシーズンとなる。夏には簡単に買えたチケットも冬は早めに手配しておかないと取れない。ボリショイ劇場のチケットは、チケット窓口で発売されると同時に買い占められてしまうので、ダフ屋から買うことが多かったが、それ以外の劇場は、キオスクや劇場のチケット売り場で、100円から500円で手に入った。ロシア人は、安いチケットを買い幕が上がると同時に舞台の方に押し寄せ、空席を奪いあう。しっかりと正装した人々が繰り広げるので、始めのころは、呆然としてしまった。もっとも、もっと上手は、はじめから前の席に平然と座っている。劇場に入って、自分の席に人が座っていることなぞ珍しくなかった。ロシア人いわく、舞台で演じる人も前がすかすかだったらやる気がしないじゃないかと。なにかが違うと思うのだけど。
夏には、うざったいほど空に居座っていた太陽の姿を見る機会がめっきりと減った。曇り時々雪という天候を繰り返し、さらに朝の10時すぎに明るくなったかと思うと午後3時過ぎには暗くなってしまう憂鬱な日々の中で、気分転換をはかるためにせっせと劇場に足を運んだ。定番の演目のほか、風刺劇も盛んで、風刺のロミオとジュリエットなどもあった。大爆笑が起こるロミオとジュリエットというのは、なかなか新鮮で楽しかった。
エロチーチェスキーテアトルという劇場もあり、劇団員は全裸で演じていた。男性3人、女性4人で繰り広げる微妙な世界。演目は忘れてしまったが、ジョンアーと舞台を鑑賞中、とつぜん舞台になにやらあやしい雰囲気が漂った。そして、1人の男性がそそくさと退場してしまった。ラスト近くだったこともあり、ほかの劇団員も少し踊ったのちに次々と退場。その3分後、エンディングになぜか全員私服で登場。笑顔で手を振っていた。
???の私に何が起こったのかジョンアーが教えてくれた。そそくさと退場した男性のモノが大きくなる瞬間を目撃したそうな。舞台上で、全裸の女性と向かい合ったところで、むくむくとしてしまったらしい。大爆笑してしまった。
バレエ留学にきた韓国の女の子から、ボリショイ劇場の裏方話を聞いた。
「ボリショイ劇場って、客が入るところだけきれいだけど、裏はものすごく汚いの。近くでみると衣装とかもぼろぼろだし。それに、早く行かないと小さいサイズしか残ってなくて、苦しい思いをしなかがら踊ることになるの」
彼女は、腰を悪くするまで、群舞としてボリショイの舞台に立っていたという。
「舞台の上でみんな黙って踊っていると思うでしょう。でも、みんなターンして振り向いた瞬間にあと1回まわったら終わりだとか、なにか食べに行こうよとか話してるの」
くったくなく教えてくれた。彼女はまだ10代。
「学校にもう、ぜったいバレリーナなんかに向いてないような子も留学に来るの。先生はわかっていても何もいわないでやさしく教えてた。絶対に無理なのに」
外国人が公演での役をお金で買っているという事実を聞いた後だったので、複雑な思いで聞いてしまった。あるロシア人が言った。ロシアはいい国だ。金さえあれば何でもできる。