ベトナム迷走記 サパ、バックハー編
寝台列車で一晩揺られた後、マイクロバスで1時間半ほど曲がりくねった山道を上り、ようやくサパに到着した。ハノイのホテルを夜8時に出て、翌朝の7時すぎにサパのホテルにチェックイン。そして、9時30分からトレッキングがスタートすると告げられたとき、ちょっと気が遠くなった。列車で同室になったドイツ人、マレーシア人らと深夜まで話し込んでいたので、ほとんど寝ていない。気だるさを振り払うようにシャワーを浴び、レストランに行く。ベトナム最高峰のファン・シ・パン山が望めるテラスで、フランスパンとオムレツ、紅茶をいただいた。サパは、フランス人が夏の避暑地として開発した場所、冬に訪れるには少々寒いけれど、きりりと冷えた澄んだ空気は心地よかった。
9時30分、ホテルのロビーに行くと5人ずつのグループに分けられた。ベトナム人の母娘トラァン、メィフク、スイス人の姉妹オフェリア、サブリナとともに黒モン族の服を着たガイドに引率されて歩き出した。さまざまな民族衣装を纏った人々が集うサパマーケットを通りすぎ、しばらく歩くと歌声が響いてきた。メィフクが小学校を指差し、校庭で児童が国歌を斉唱してるよ、と教えてくれる。山道に入る前までは、6人で賑やかに話をしていたものの道が険しくなるにつれ、会話は減っていった。辺り一面に広がる棚田を見渡しながら、アップダウンを繰り返す。本格的なトレッキングならば、リュックと登山靴を用意するべきだったと後悔しつつも、豊かな田園風景をカメラに納めながら遅れないようについていく。水牛が田んぼを耕していても、豚やアヒルが横にいても特に気に留めなくなった頃、やっとラオチャイの村に着いた。3時すぎ、5人で遅い昼食を囲む。フランスパンのサンドイッチで栄養を補給したわたしたちは、ラオチャイ村の小学校や少数民族の生活を垣間見て、タバーン村へと歩き出した。普段からアルプスの山々をトレッキングしているオフェリア、サブリナは、最後まで元気だったけれど、残りはぐったりとして、タバーン村に到着するとマイクロバスが待っていて、乗り込むと20分ほどでサパに到着した。なんだか複雑な心境に陥ってしまった。
翌朝7時30分にサパのホテルを出発した16人乗りマイクロバスは、蛇行した悪路を3時間走り続け、やっとバックハーにたどり着いた。全員よれよれの状態で、マイクロバスを降り、市場に向かう。屋台で売られている芋餡が入った大福、饅頭、粽などをみんなで試食。わたしには慣れ親しんだ味でも、西欧人には厳しいようで、顔をしかめている人も多かった。市場では、生活に必要なものすべてが商われ、眺めているだけでも楽しい。正装した多くの山岳民族が集まる市場で、特に目を引いたのは、カラフルな民族衣装を纏った花モン族の人々。10時間以上かけて歩いてくる人も多いとか。市場は、毎週日曜日に催されている。
昼食後、近くの村に寄り、民家の様子を見せてもらう。土間が3部屋と台所、土間の1室には木製ベッドがあり、子どもたちがお昼寝をしていた。台所には大きな竃が2つ、外にある井戸の横には洗った食器が並べられている。屋根裏にはとうもろこしが干され、庭には豚が数匹。生活感があふれていて興味深いけれど、住民の心情を考えると落ち着かなかった。
マイクロバスでの帰路、中国の河口とベトナムのラオカイをつなぐ橋の袂で休憩。中国側から大きな荷物が自転車や荷押し車で運ばれてくる様子を眺めた。そして、さらにマイクロバスに乗りサパへ。
辺りはだいぶ暗くなっていたけれど、ちょっとサパの町を歩いてみる。小さな商店、食堂が並ぶ通りを歩いていたら、昭和30年代を舞台にした「三丁目の夕日」の町並みと重なった。食堂に置いてあるテレビを店の外から夢中で見ている子どもたち、炭火で肉を焼く姿、麺の屋台など、懐かしい風景に思えた。もっとも、民族衣装を身に着け、バイクに跨っている女の子もいたけれど。
その夜、ホテルのレストランで、メィフク、オフェリア、サブリナとわたしの4人で、ベトナムのダラット名産ワインを3本、ビールを6本空ける。ウェイトレスが呆れて、鍵をかけて帰ってね、と先に去ってしまったので、それ以上追加できず、退散して就寝。
午前中はのんびりと過ごし、昼食後、カットカット村へトレッキングに出かける。カットカット村では、未だに花嫁をさらってくる慣習があるという。女の子は、連れてこられた家で3日間暮らし、気に入れば、そのままその家で暮らし、嫌なら実家に帰るのだという。また、誘拐といえば、村の子どもたちが中国に連れ去られる事件も多いらしい。藍染を生業としている家を見学した後、滝へ移動して、しばし休憩。今までずっと山を下ってきたから、帰りは登りが続くのかと憂鬱になったところで、バイクタクシーがしっかり待ち構えていた。サパマーケットまで、約100円。根性なしのわたしは、もちろん乗った。そして、ゆっくり走ってね、とお願いした。
夕方、マイクロバスでラオカイまで送ってもらい、駅前のレストランで食事をした後、ハノイ行きの寝台列車に乗り込んだ。翌朝5時、ハノイ駅に到着し、オフェリア、サブリナとともにタクシーの値段交渉にあたる。通常の5~6倍をふっかけてくるドライバーたちを相手に30分戦い、2倍の値段で手を打ち旧市街へ。ハノイに帰ってきたのだと実感する。