クロスカルチャー コミュニケーション

ベトナム迷走記 サパ、バックハー編

ホーチミンシティ空港のターミナルビルを出てすぐ右斜め前にあるバス停から152番の路線バスに乗り込み、一律運賃3000ドンを手渡すと、「どこで降りるの?ホテルはどこ?」と尋ねられた。「ドンコイ通り行きたい。ホテルはまだ決めてない。」と答えたら、終点のベンタイン・バスターミナルに到着しても、「まだ乗ってていい」と回送車となった路線バスで、ドンコイ通りの近く、ツーリスト・インフォメーションの向かいまで運んでくれた。そして、路線バスを降りるときには、周辺の解説付き。ハノイ空港のミニバスとは、あまりにも対照的で嬉しい出来事だった。

ツーリスト・インフォメーションで荷物を置かせてもらい、ベトナム航空のオフィスへ行き、帰国便の予約確認を済ませ、ドンコイ通りを歩きつつホテルを探してみた。「おしゃれな店や雑貨屋さんがたくさんあって、すごくいいから絶対に行かないと駄目だよ、安いし、毎日、買い物してたんだから、手頃なホテルもあるよ」という友人の言葉だったけれど、ドンコイ通りを日本で例えれば、銀座のめぬき通り、安いはずがない。今までどの店でも1~2ドルで売っていたベトナムの定番Tシャツが10ドルから。もちろん、全く同じTシャツ。雑貨もしかりで、5~10倍の高値がつけられていた。コンチネンタルホテル、シェラトンサイゴンホテル&タワーズなどの高級ホテルも並ぶ通りに、わたしにとって手頃なホテルがあるはずもなかった。

結局、ツーリスト・インフォメーションでデタム通りにあるホテルとそこまでのバイクを手配してもらう。デタム通り周辺は、旅行代理店、ミニホテル、ゲストハウス、レストラン、インターネットルーム、カフェ、バーがひしめき合う繁華街で、エコノミーな外国人観光客で賑わっていた。

翌朝、ホテルで朝食を取り、カンボジア行きのバスを求めて外に出た。するとホテルの並びにシンカフェ(旅行社)があり、直ぐに見つかった。明朝6時45分発、プノンペン行き長距離バスのチケットを手に入れ、人心地ついたわたしは、近くにあるチョロンの中華街へ向かった。

ベンタン・バスターミナルから1番のバスに乗り、終点のチョロン・バスターミナルまで20分ほど。ガイドブックに映画「ラマン」の撮影地と載っていたので、かつてみた映画の記憶をたどりつつ街を歩いた。

1992年公開の「ラマン」は、マルグリット・デュラス(1914-1996)原作の自伝的小説を映画化したもので、フランス人の少女(15歳)と裕福な華人青年との愛人関係を描いている。その密会の舞台となったのが、チョロンの中華街で、怪しい風情と喧騒、退廃感が漂う街として映し出されていた。

現在のチョロンで、映画の面影を捜してみるも、その片鱗すら見いだせなかった。フランス領下、1930年頃のチョロンを舞台としているため、時代的な違いを感じるのか、西欧人が抱く中華街観との相違なのかは、わからない。日本人のわたしには、漢字の看板は親しみのあるもので、中華料理店、中華菓子店、雑貨屋、漢方薬局などを見ると思わず覗きたくなる。市場を中心に華人経営の問屋、小売店が渾然と並び、荷物を満載したバイクやトラックが道を行き交うチョロンの中華街は活気に溢れていた。

チマキや中華菓子を買い食いしながら、ビンタイ市場、チャタム教会、天后宮/ティエンハウ廟、布地や漢方の問屋街をめぐった後、本格的な店構えの薬膳料理店に入った。中国語のメニューを見て、適当に注文すると、しばらくしてセイロが運ばれてきた。予想外だったので少々驚きつつもセイロの蓋を開け、いい香りのする蓮の葉を開いた。すると、蛙の脚が青菜とともにご飯の上に…。すぐに少々訝しげに注文を確認した店員の顔が頭をよぎった。まさか、こんなところで蛙食デビューするなんて、と思いつつ、蛙の太ももを箸で挟んで口の中へ…おいしい。さっぱりしていてこくがある。味、食感ともに鶏のささ身に近い。骨さえ外しておいてくれれば、リアルに蛙だと認識しなくて済むのに、などと心の中で毒づきながらも、すべて完食。味は絶品だった。フランスも蛙食で有名なことを思い出し、今度はフランス料理店で蛙を食べてみてもいいかな、とも思った。ベトナムのフランス料理店は、安くておいしいと評判になっている。

ベンタン・バスターミナルに戻ったわたしは、車やバイクの往来が激しい道路を前に足を踏み出すことを躊躇していた。ベンタン市場を見つめ、思案していると、おばちゃんがわたしの腕をとり、一緒に横断してくれた。おばちゃんのおかげで無事にベンタン市場へたどり着けたわたしは、場内を隈なく歩き、外国人慣れした売り子のおばちゃんたちと小さな駆け引きを楽しみつつ、お菓子や果物を買い込んだ。

若者たちで賑わう繁華街を歩きながら、ベトナム人の地域的な気質の違いを漠然と考えた。歴史的背景によるのか、南の方が大らかなのか、外国人に対して、壁が少ないように思う。ハノイと比べてホーチミンの街には、旧ソ連的な巨大な彫刻や銅像が少なく、外資系の企業が多く進出しているためか、社会主義の影も薄い。現在、ベトナムを旅する外国人に義務付けられているのは、ホテルにパスポートを預けることのみ。ただし、民家に宿泊すると密告されて、当局の人間が調べにくるのだとか。

ベトナムは、1954年から1975年まで、北緯17度線で分断されていた。旧南ベトナムは資本主義、旧北ベトナムは社会主義の道を歩み、大国の介入もあり、南北で激しい戦争が起こった。アメリカの南ベトナム撤退により、1975年ベトナム戦争は終結し、1976年ベトナム社会主義共和国(通称ベトナム)となり統一された。

旧南ベトナムでは、私企業の固有化、資産階級の資産制限など、社会主義への改造が進められ、チョロンの中華街はそのターゲットにされた。経済不況と生活困難からベトナムを脱出した人々、ボートピープルと呼ばれた人の多くが華人だったという。現在のチョロンは、1986年に始まったドイモイ政策(社会主義的計画経済システムから市場経済への移行)の賜物で、華人のたくましい商魂によると思う。

フランスの植民地下、サイゴン(ホーチミン)にて、民間不動産のすべてを華僑資本家が掌握していた、と語られるのにも頷ける。