ベトナム迷走記 ハロン湾編
バイチャイの港を埋め尽くすクルーズ船と観光客の多さに圧倒されつつ、桟橋へむかった。船員の手をかりて、船先から乗り込むと船尾へ進むように指示される。なんで?と思いつつ荷物を抱えていくと、船の縁を乗り越え隣の船へ移っている人の姿が見えた。海に落ちたらどうするのよ、とつぶやきながら三艘経由してやっと目的の船に乗り込んだ。屋上デッキにのぼって、まわりを見渡すと船、船、船。いったいどうやって出港するのだろう、と不安になった頃、少しずつ動きだして、航路が開けた。
歓声とともに出港して、ほどなくするとキャビンに料理が運ばれてきた。さすがに海の幸が豊かなハロン湾、ベトナム風シーフード料理に舌鼓を打つ。デザートのドラゴンフルーツにさしかかった頃、奇岩が出現した。子どもたちの声に誘われて、みな、カメラを片手にデッキへ出る。にょきにょきと海上に姿を現す奇岩は、厚い石灰岩層が侵食されてできた自然の造形で、山水画で知られる中国の桂林、石林の奇岩と同じもの。
船はゆっくりと奇岩の間を進み、海上に浮かぶ漁村、小舟で漁をしている人々をかすめ、ティエンクン鍾乳洞がある島へ到着した。ここの港も大混雑、他の船を経由して上陸、色とりどりのライトでショーアップされた鍾乳石というのも新鮮で楽しい。これは、亀に似ている、こっちは、アイスクリームだ、クラゲだのと話しながら歩いた。
船内で夕食をとり、くつろいでいるとバチッという音がして、電気がすべて消えた。発電モーターの故障で復旧の見込みなし、とのことで、ガイドの照らす懐中電灯を頼りに各自のキャビンへ荷物を持って移動。2人部屋の相方は、英語を母国語とするシンガポール人の女性。PDAで撮った映像を編集するという彼女を残し、屋上デッキへのぼった。月明かりでの読書を試みるも暗すぎて挫折、わずかな月光で浮かび上がる奇岩をしばらく観賞して、真っ暗なキャビンへ戻った。
翌朝、カットバ島に上陸して、ホテルにチェックインした後、マイクロバスで移動。ガイドに連れられ、ちょっと坂道を登ると何やら窪みがあり、奥には鉄の扉が見えた。全員が揃ったところで、鉄の扉が開けられ、洞窟のなかにつくられたコンクリートの部屋に通された。そして、一列に並べられた私たちは、通訳を介して軍服を着た老人の話を聞く。
ベトナム戦争当時、アメリカ軍によるハノイの空爆が激しかったため、多くの人がこの辺りの島へ疎開してきたという。この洞窟は、病院として使われ、老人も10年間働いたのだという。洞窟内は広く、いくつもの部屋、運動場やプールもあった。洞窟を出たところで、老人から、英語でどこから来たの?と尋ねられた。日本から、と答えると満面の笑みをたたえ両手で握手をしてくれた。その後、老人は、後ろにいたアジア系の人には声を掛け、握手をしたのだけれど、欧米人には声を掛けなかった。同じツアーのイギリス人、オランダ人も気づき、彼はわたしたちに声を掛けたくないのだと思う、老人に違いを説明するのは難しい、などとぼやいていた。二人の会話を複雑な思いで聞きながら、笑顔で見送ってくれる老人を後にした。
カットバ島内をマウンテンバイクで走った後、ボートで無人島に渡った。そこで、相方と一緒にカヌーに乗る。揺れる、落ちる、泳げないと騒ぐ上にまったく漕げない奴だったので、落ち着いて風景を楽しむことはできなかったけれど、リゾート気分は満喫できた。