クロスカルチャー コミュニケーション

ベトナム迷走記 フエ編

ハノイからフエまでの長距離バスは、最悪の一言に尽きる。偶然、一緒に乗り合わせたミンフクとお母さんに喜んだのもつかの間、隣人のかわいい女性がわたしにぴったり体を押し付け、太ももをさすってきた。ベトナム語で話かけられたので、通路を挟んで隣にいたミンフクに助けを求めた。すると、「ベトナム中部の言葉を話しているのはわかるけど、何を言っているのか分からない。」という。ミンフクは、南部ホーチミンの出身で現在は、中部のNGOで働いている。結局、話は通じず、道中ずっとなでなでされることになる。笑顔でお菓子などを差し出されるので、悪意はないはずだけれど、かなり戸惑った。

バスが走り出してしばらくすると交代の運転手らしき人から足を通路に出すなと注意された。座席の足元にジャッキやら荷物が転がっている状態なのになんで?と思っていたら、おもむろに布団と枕を棚から下ろし、通路に敷き寝てしまった。そして、乗客が乗り降りするたびに布団の上げ下げを繰り返していた。

深夜、運転手たちの話し声で目が覚めるとバスは路肩に停車していた。「何があったの?」とミンフクに尋ねると、「バスのセカンドブレーキが故障したから今修理しているところ。普通に走ることはできるけれど、追い越しがかけられない。」という。運転手たちが2時間近く簡単な工具で試行錯誤の修理をした後、バスは再び走り出した。ただ、運転席のすぐ後ろに座っていたわたしは、荒い運転とぶつかりそうな対向車が気になり、再び眠りにつくことはなかった。夜の9時に出発したバスは、予定時刻を3時間ほどオーバーして、昼の1時過ぎにフエに到着し、スポルトというずる賢いホテルの前で外国人を強制的に降ろした。ホイアンまで行くミンフクとお母さんを見送った後、雨のなか他のホテルを探すのも億劫で、客引きに誘われるままチェックインしてしまった。

翌日も雨、雨期なので文句も言えず、City Tourに参加して、王宮や寺をめぐる。ベトナムの古都フエは、日本の京都のように歴史的建造物が点在していた。そして、拝観料、入場料がかさむのも同じ。「ベトナム人がフランスに来たら、特別料金を課してやる」という内容の言葉が飛び交うほど、外国人料金を徴収されつつも、仲良くなったベトナム人、日本人らとのんびり散策した。

ツアー解散後、日本人3人で夕食をとることになった。ベトナム最後の王朝が存在したフエでは、宮廷料理を楽しめる。米粉をたくさん使うのが特徴で、見た目が上品で美しく、体にやさしい味付けとのこと。

知人に勧められたという店で、おすすめの品とビールを注文する。ビールで乾杯しながら、どんな料理が出てくるのか期待していると笹の葉に包まれた蒸し物がどっさりと運ばれてきた。笹を開くとタピオカ粉の生地に小エビと豚肉が入っていた。タピオカの食感と小海老の風味がたまらない。そして、ビールによく合う。次は、直径5センチほどの小皿がいっぱい運ばれてきた。水で溶いた米粉の上に海老のそぼろや葱がトッピングされているもので、スプーンですくいニョクマムをつけて口に入れる。これもおいしい。 この辺りまでは、注文したものがすべて米粉やタピオカ粉を蒸したものだと気づいていなかった。その後、続々と運ばれてくる蒸し料理に抗いメニューを持ってきてもらうも言葉の壁に阻まれた。結果、蒸し料理全6品を食し、不明瞭な会計を済ませ、店を出ることになる。

なんとなく満たされないわたしたちは、英語の通じるBarへ寄り、焼き鳥のライスペーパー巻き、サラダなどを注文して飲みなおした。

「明日、DMZ(非武装地帯)ツアー(激戦の傷跡が残る旧南北ベトナム国境付近を訪れる)に参加しようかと思うんだけど」とわたしがいうと、「明日は、ホイアンで灯篭祭りがあるんだよ。雨のなか泥まみれでトンネル潜っている場合じゃないよ。ホイアンで一緒においしいもの食べようよ」と誘われた。そして、DMZは幻となった。