クロスカルチャー コミュニケーション

ペルヘンティアン・ペサール島


波間をジャンプしながら進む高速ボートにしがみつくこと約30分で、マレーシアの東海岸沖に浮かぶ2つの島、ペルヘンティアン・ペサール島とペルヘンティアン・ケチル島沖に到着した。珊瑚礁でかこまれた緑豊かな島は、白いビーチに続く海の色を透明度の高いエメラルドグリーンやサファイアブルーに変えていた。高速ボートではビーチに近づけないので、乗客は小船に乗り移り、それぞれのビーチへ運ばれる。わたしも予約した宿から迎えの小船がきてビーチに連れられた。

高速ボートが出港したひなびた漁村クアラ・ブスッにある旅行代理店で予約したパラダイス・アイランド・リゾートは、小さな木造バンガローが点在するところだった。白い砂浜にせり出したレストランの脇にあるカウンターでチェックインを済ませると係りの女性が鍵を持ちバンガローへ案内してくれた。2部屋共同の小さなテラスに上がり、ドアを開けると天井に大きなファンが付いたかわいい部屋だった。奥にあるトイレやシャワーなどの水周りを確認して鍵を受け取る。窓を開け放ち、ファンをまわしてから、ビーチサンダルに履き替え、島の散策に向かった。

海洋保護区にあるペルヘンティアンは海亀の産卵地として知られる場所で、島の開発は最小限に抑えられていた。主要な交通手段は、手漕ぎボートをちょっと長く伸ばして小さなエンジンを載せたような小船で、同じ島内にあるほかのビーチへ行く際にも利用されていた。
孤立したところだったので、弓張り月のようなビーチを少し散歩して、すぐにダイビングショップを訪ねた。しばらく潜っていない旨を伝えるとリフレッシュダイビングコースを勧められ、明日までに復習しておいてね、とPADI学科教習用テキストのファイルを渡された。日本語版はないの?と聞くと、ごめんね、と謝られた。

宿泊先のレストランで、海を眺めながら夕食を取った後、バンガローのベッドに転がりひたすら英文を追った。わたしのPADIオープンライセンスはいわくつきで、アメリカ在学中に取得したものだけれど、日本語で学科試験を受けている。大学から委託されたダイビングショップの劣等生に対する配慮だった。教室で日本語の試験問題が配られたとき、さすが世界のPADIと喜ぶ一方、日本語版の本と照らし合わせて必死に単語を覚えた苦労が泡と化し気が抜けたのを覚えている。それから10数年を経た今、その努力が少しだけ報われたのか、専門用語で躓くことなく最後まで読みきった。テキストをどけ、ごろりと仰向けになると激しい眠気に襲われる。朝の6時半にハートヤイ(タイ)のホテルを出て、お昼ごろ国境を越えてマレーシアに入国し、コタ・バル、クアラ・ブスッを経由して午後6時頃、この島へ上陸…かなり長い一日だった。午後11時すぎ、耳障りな天井のファンの風にあたりながら眠りについた。


セパレート水着の上にTシャツを着て、すぐ隣にあるダイバーショップへ急いだ。リフレッシュダイビングコースの受講者は4人で、簡単なレクチャーを受けた後、機材のセッティングをして、小船で静かなビーチへ移動した。レギュレーターが外れたときの対処方法、マスククリア、中性浮力の確認をした後、ダイビングスポットへ再度移動した。インストラクターの指示に従い船の縁に腰掛け、右手でマスクとレギュレーター、左手で計器を押さえ、後ろに倒れこむ。1回転しながら海へ放り出された後、海面に顔を出してOKのサインをバディに送り、BCDの空気を抜きながらゆっくり海の中へ沈んだ。小まめに耳抜きしながら、バディと一緒にインストラクターの後をついていく。珊瑚礁を傷つけないように気をつけながら、イソギンチャクと共生するカクレクマノミ(通称ニモ)や珊瑚のかげに潜む小さな熱帯魚に近づいた。少しずつ深く潜っていくと大きい魚と出会う確立が高くなった。ナポレオンフィッシュが目の前を悠然と泳ぎ、ゆっくり去っていくのを見送る。残存酸素を確認して、少しずつ深度を上げた。太陽が差し込む透明度の高い海では、魚の群れを下から見上げるとちょっとまぶしい。水深3メートルほどのところでちょっと留まり、ゆっくりと海面に浮上した。中性浮力や計器と悪戦苦闘した1時間のダイビングを終えて、小船に乗り込んだときには、充実感とともに疲労感がどっときた。ダイビングショップで機材の手入れ方法を教えてもらった後、パンケーキと紅茶が用意されたテーブルにつき、雑談を交えながらダイビング技術の復習となった。一通り説明と質疑応答が終わった後、ログブックにダイビング記録を書き込み、インストラクターから確認のスタンプを貰って、リフレッシュコースは終了した。

またね、と挨拶して、逃げ出すようにちょっと離れた隣のビーチへ移動した。とにかく英語から解放されたかった。わたしにとって英語圏の人たちとの会話は雑談でも集中力が必要で、すでに疲労困憊した頭にはきつかった。砂浜にバスタオルを敷き、その上に寝転び日光浴をする。久しぶりに酷使されて氾濫を起こした頭もしばらくすると落ち着き、激しい頭痛も治まった。そこで、このまま日焼けしたら大変なことになる、と気付き、ほてった体を冷やすべく海でひと泳ぎしてからバンガローに戻った。

レストランで遅い昼食をとっていると「暇なら裏山に1時間程度のハイキングコースがあるよ」とスタッフが声をかけてきた。「30センチくらいのカメレオンがたくさんいるし」と言われ、ちょっと興味をそそられる。ハイキングコースというよりトレッキングコースじゃないのと思いつつ、5分ほど歩いたところで反対側から来た3人の女性とすれ違った。そのとき、彼女たちがわたしの姿を見て大喜びした。そのテンションの高さに圧倒されてしまったけれど、まったく標識がなく、獣道に近いほど狭い小怪を歩いていくうちに彼女たちの気持ちが痛いほどよくわかった。30センチほどのカメレオンは、50分ほど歩き反対側のビーチに近くなった辺りから頻繁に姿を現し、遂には1メートルを越える奴まで現れた。わたしが固まっている間にゆっくり去ってくれたけど、心臓に悪い。実は、奴らはカメレオンではなく「monitor lizard」オオトカゲだった。ペルヘンティアン・ペサール島のビーチには、2メートル近いオオトカゲの生息地があること。見た目は凶暴そうでも、近い種族のコモドドラゴンとは異なり、大人しくて人を襲うことはないこと、を後に知る。反対側のビーチへたどり着いたわたしはすぐに小船を探すも、一艘も見あたらなかった。高級そうなバンガローの前に広がる閑静としたビーチにへたり込んだ後、重い腰を上げて来た道を戻る。海ではしゃぐ子どもたちの声が山に響いてきたとき、本当に嬉しかった。汗だくになってバンガローに戻ると隣人から「どうしたの?」と驚かれた。

夕方、ビーチを眺めながら一人でビールを飲んでいるとダイビングで一緒だった人から声をかけられた。世界のダイビングスポットをテーマにみなで夕食を取ったわたしは、またぐったりとしてバンガローに逃げ込み、ベッドに倒れこんだまま爆睡した。


すっきり目覚めて、ファンダイブに参加するべく隣のダイビングショップへ出かける。ダイビングスポットや注意事項について簡単な事前説明を受けた後、小船でダイビングスポットへ向かった。インストラクターのほかメンバーは4人、和気あいあいとした雰囲気のなかで海に潜った。珊瑚礁のまわりを泳ぐ色鮮やかな熱帯魚を近くに見ながら、ゆっくり進むと時おり小魚の群れに遭遇する。インストラクターは海中に珍しい魚や生物を見つけるとわたしたちに紹介して、水中仕様のホワイトボードに書き込んでいった。熱帯魚のほか、ヒトデ、イソギンチャク、シャコガイ、ウミウシなども楽しみ、海中での1時間はあっという間に終わった。ダイビングショップで機材を片付けた後、パンケーキと紅茶を出され4人で寛いでいるとインストラクターが何冊かの図鑑とホワイトボードを持って現れた。海中で出会った生き物を丁寧に説明してくれるのだけど、日本名でもわからない魚の名前を英語で覚えるのはきつい。唯一覚えたのは、「Nudibranch」ウミウシ、なぜか、紫と黄色のウミウシに惹かれてしまった。ログブックにもしっかり記載して、スタンプを押してもらい解散となった。

午後も午前に引き続きファンダイブに参加した。水族館のような海から上がり、おなじみとなったパンケーキを前に海亀の話をする。「海亀の産卵ピークは7月だけど、4月の終わり頃から海で見ることができる。この時期はまだちょっと早いから難しい。見られなくて残念だったけど」から始まり、マレーシア半島の西海岸を生息域とする海亀は4種類、アオウミガメ、タイマイ、ヒメウミガメ、オサガメで、すべて絶滅危惧種、または近絶滅危惧種に指定されていること。プルヘンティアン島で産卵するのは主にアオウミガメ、産卵期に海亀の卵を保護する活動は、島の生態系を壊してしまう恐れがあるので行っていないこと。漁船の網にかかってしまうほか、ビニール袋や釣り針を飲み込み、命を落とす海亀も多いこと。ボランティアで海中のごみを拾っても次々押し寄せてくるらしい。水質悪化で珊瑚を食べるヒトデが増え、珊瑚が死滅していること。また、珊瑚礁を餌場としているタイマイの甲羅は、鼈甲(べっこう)として人気が高く、狙われているとか。白浜の開発により海亀の産卵地が減少しているうえ、すべての海亀の卵が食用に乱獲されていることなど、和やかな雑談でも内容は重かった。

夕陽が沈む美しいビーチを眺めながら、この島で自然を楽しむマレーシア人がいないことにやるせなさを感じた。マレーシアの庶民にとって、この島の物価は高すぎる。そして、コタ・バルの食堂で出されていた海亀の卵のこと。以前、インドネシアでも見たことがあった。自然と共生している人々にとって、海亀と海亀の卵は、貴重な食料であり、収入源でもある。先進国が加担する開発で生態系を崩され、伝統的な食文化を非難される…などと断片的に考えていたら、「きれいな夕陽だね」と声をかけられた。気軽にビールを飲めるところはここしかないので、酒飲みはみな集まる。ハイネケン、カルスバーグ、タイガー、チャンなど缶ビールの値段は10リンギット(為替レートでは、約310円、私の交換レートでは386円)、グラスを持ったオーストラリア人に「このビールの値段は日本と比べてどう?」と聞かれた。「比べるのは難しいけれど、安いことは確か」と答えると「オーストラリアの2分の1から3分の1だよ。ここの食べ物はもっと安い」という。レストランで出されるシーフード、またはチキンが盛りだくさんのチャーハンや焼きそばも10リンギットだった。夕陽が沈み辺りが暗くなるまで一緒にビールを飲んで別れた。


オオトカゲの写真