クアラ・ルンプール
クアラ・トレンガヌからの長距離バスは、ゆったりした3列の座席で寝心地がよかった。ふと目を覚ますとバスから人が降りるのが見えた。近くの人を捉まえて「クアラ・ルンプール?」と尋ねると、「もう、過ぎたよ。ここは、クラン」と言う。慌てて荷物を抱え、バスを降りた。インド人が集うバスターミナルの食堂は、カレーのいい香りが漂っていた。外はまだ薄暗い午前6時40分、とりあえず、朝食をとりながら考えることにする。ロッティをカレーにつけて口に運びながら、ガイドブックを広げるとクランが歴史のある街でクアラ・ルンプールとアクセスが良いと記してあった。人心地ついて甘いホットミルクティをもらい、明るくなった街へ出た。
インドらしいポスターや看板、サリーを纏い香辛料を売る女性を見てインド人街にいることを知る。まだ閉まっているインドの食材店や雑貨店、衣料品店などの看板を見ながら、のんびりとKTMコミューターのクラン駅へ歩いた。クランは以前、セランゴールの州都で1874年にイギリス人が最初に住居を構えた地とのこと。駅前の一角に残るコロニアル風の建物がほんの少し物語っていた。現在の州都は、クランから10キロほどクアラ・ルンプール寄りのシャーアラムで、スルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・シャー・モスク、通称ブルーモスクのある街として有名だとか。クラン駅から通勤者に混じり約50分でKLセントラル駅に着き、人波に押されるように電車を降りた。プトラLRTに乗り換えて1駅、パサール・スニ駅を出ると見覚えのある場所でちょっとほっとする。10日ほど前に2泊しただけの街でも親しみがあった。
チャイナタウンにあるホテルを予約して、フロントで荷物を預かってもらう。まだ、午前9時すぎ、チェックインまで時間があったので、クラン川とゴンバック川の合流地点に建つイスラム寺院、マスジット・ジャメまで歩いた。1909年、イギリス人の建築家により設計されたモスクは、アーチのある柱廊と白大理石の床、白い玉ねぎを乗せたような屋根が印象的だった。礼拝者以外は寄せ付けない厳かさもあったので、ほかの観光客と同様に川の対岸から眺めた。
現在、マス・ジット・ジャメが建つ辺りでスズが発見されてから、クアラ・ルンプールはスズ鉱山の町として栄えたという。現在はきれいな川だけど、掘り出した鉱石を川ですすいでいた当時、川には泥水が流れていたらしい。クアラ・ルンプールとはマレーシア語で「泥の川の合流地」という意味。クアラ・ルンプール発祥の地には、歴史を象徴する建物が並ぶほか、生活感が残る旧市街が広がっていた。
イギリス統治時代を物語るクアラ・ルンプール記念図書館、国立歴史博物館、独立広場、旧連邦事務局ビルをちょっと眺めてから、マスジッド・インディア通りに寄った。
金のアクセサリー、ステンレスの食器や雑貨、サリー、インドシルクなどの店をのぞいた後、マスジッド・インディア通りと並行しているトゥンク・アドブゥル・ラーマン通りへ移り、マレーシア人向けの生地屋、洋服店をのぞきながら元の方向へ戻る。外国人観光客も多くて、土産物の露店も繁盛していた。
お昼時で賑わう屋台の小さな椅子に座り、ナシゴーレンを食べながら、マレーシア・イスラム美術館までタクシーで行くか、歩いて行くか悩む。「この間、バックパッカーが誘拐された。タクシーは危ないから歩いた方がいい」と10日前に宿泊先のフロントで告げられていた。でも、クアラ・ルンプールはアジアのなかでも治安のいい街だし、暑いなか3キロの道のりを歩くのは辛い。怠惰なわたしは結局、タクシーで美術館へ行き、モスクの設計図や模型、刀や装飾品、セラミック画などイスラムアートを鑑賞した。美術館のあるレイク・ガーデンは、2つの湖を囲むように設計された公園で、熱帯性植物や花で彩られていた。マスジッド・ヌガラ(国立モスク)の前で、アイスキャンディーを買って、歩いてホテルまで帰った。
ちょっと昼寝をするつもりが、気づけば午後9時、でもチャイナタウンのナイトマーケットはまだ宵の口で大勢の人でごった返していた。Tシャツ、ベルト、鞄、時計、DVDなどの露店が道にずらっと並んでいるだけで、なんだか嬉しい。映画のDVDは、4枚10リンギット、露店に置かれたパッケージのファイルを見て選び、客がお金を払うと店員が持ってくる。また、精巧な時計などは、隠して客に渡していた。ちなみにタグの切られたGAPのシャツとOld Navyの長袖Tシャツ、各種DVD、レスポショルダーバッグ、Swatchの時計を買い込み、〆て1500円ほどだった。近くの食堂で雲呑麺をすすり、ホテルに戻るも深夜まで外の賑わいが伝わってきた。
ちょっと早起きして、外に出るとチャイナタウンはもう動き出していた。食堂でお粥を食べてから、散歩がてらに近くのヒンドゥー寺院、スリ・マハ・マリアマン寺院を訪ねた。ヒンドゥーの神々が大勢祭られた門の前で靴を脱ぎ、恐る恐る敷地内に入るとすぐに礼拝堂が目に飛び込んできた。信者が集う礼拝堂のなかに入るのは躊躇われ、端の方から中央の祭壇を眺めていたら、礼拝堂のなかから手招きされた。ぴかぴかの床にあがり、祭壇の奥に祭られているシヴァ神、ビシュヌ神、ブラフマー神の像を見つめる。ヒンドゥー教徒は珍入者に大らかだった。華麗な神々の像や豊かな色彩で描かれた壁画に魅了される。スリ・マハ・マリアマン寺院はマレーシア最大の南インドのヒンドゥー寺院だった。タイプーサム祭では、牛車がこの寺院からヒンドゥー教の聖地であるバトゥ洞窟まで引かれていくと聞き、バトゥ洞窟まで足をのばすことにした。
スリ・マハ・マリアマン寺院から歩いて150メートルくらいのところから路線バスに乗り約50分、バトゥ洞窟の門にある巨大な金色の像を目印にバスを降りた。周りにいる人と励まし合いながら272段の急な階段を上がると大鍾乳洞の入口が広がっていた。なかに進むとヒンドゥー寺院があり、洞窟のいたるところにヒンドゥー教の神々が祀ってあった。洞窟の奥にはさらに階段があり、ぐったりしつつ上がるとちょっとした空間が広がる場所で礼拝所があった。毎年、1月から2月ごろに催されるタイプーサム祭では、この洞窟内で、身体のあちこちに針や串鉄を刺した信者たちの行列が見られるとか。洞窟のなかはとても神秘的だった。
ずらりと並ぶ観光バスを横目にバス停まで歩き、路線バスでクアラ・ルンプールの中心街へ向かう。高層ビルが立ち並ぶビジネス街は、携帯電話を手にした人が多くて、なんだか慌しかった。ちょっと前まで、世界一の高さを誇ったペトロナス・ツイン・タワーを見上げ溜息をついてしまう。高さ451.9メートル、88階建てのペトロナス・ツイン・タワーの1階から6階は、ショッピングセンターになっていて、世界の高級ブランドから雑貨、蜂蜜、化粧品、書籍、カフェ、アイスクリーム、レストラン、マッサージなどの店舗が入っていた。41階と42階には、両方のタワーをつなぐスカイブリッジがかけられていて、41階が展望台として一般公開されている。午前8時30分までに行くと無料で上れるとゲストハウスで教えられたけれど…。午後3時頃、パスをもらいに受付へ行くと、「本日、展望台のパスはすべて終了しました」と男性が叫んでいた。毎日、午前8時30分から1400人分のパスを配るのだとか。エレベーターの順番を待つ多くの人を前にすごすご立ち去った。ペトロナス・ツイン・タワーは、主にオフィスビルとして使われている。
近代的なビル、歴史的な建築物、アジア的な雑居ビルが混じりあった街は、マレーシア人、インド人、中国人、少数民族の人たちによって支えられていた。街を行き交う人の服装もさまざまで、とても興味深かった。