クロスカルチャー コミュニケーション

ロシアプチ留学 2005

1月20日(木)

試験の終わったツェルハンドルが文法の宿題を手伝ってくれていたので、文法のクラスでは最強だったけれど、会話のクラスでは、付け焼刃は利かなかった。いつものようにおとなしく過ごし、放課後を迎える。

ジーヨンの日用品を揃えに、レーニンスキー プロスペクト駅の近くにある雑貨のデパートへ足を伸ばした。懐かしい場所でもあるのだけれど、趣はすっかりと変わっている。雑然と陳列されていた商品は、ショーケースや棚にきちんと並べられ、しっかり区切られた店舗ごとに精算所もある。ジーヨンは、プラスチック製品を扱っている店でハンガー、電化製品店で延長コードを買った。わたしは、友人のリクエストに応え、台所用品店でロシア製のヤカンを買った。フランス、イタリア、トルコなどからの輸入品が多く、ロシア製を見つけるのに苦労した。かわいい食器が目に留まり、手に取るとそれは日本製。思わず笑ってしまう。日本では見かけない絵柄だったので、まったく分からなかった。

地下鉄で移動して、薬局、外資系スーパーマーケットを巡り、細かい日用品を揃えた後、携帯電話の販売店へ寄った。ジーヨンの携帯電話の番号から契約内容を確認してもらい、プリペイド用のカードを買う。販売員に説明してもらいつつ、お金をチャージしようとするもできない。あれっ?ということになり、販売員が調べに走る。お金を使い切り、使用できなくなった携帯電話は、オペレータに回線を開いてもらわなければならないので、プリペイド用カードは使えないと判明した。カードは販売員の兄ちゃんに引き取ってもらい、あらためて別紙に記入して、入金手続きを終えた。携帯電話は、明日の昼までに使えるようになると教えてもらい店を後にする。販売員の応対が予想以上によくて驚いた。

携帯本体の相場は100ドルほど、ロシア人にとって安くない額なのだけれど、かなり普及している。闇で安い機種が売られているのでは、と疑ってしまうほど。携帯を首から提げて歩いていた友達が、ひったくりの被害に遭っていることもあり…。

一般電話の市内通話は無料で、携帯電話にかけても料金は発生しない。にも関わらず、携帯電話の相手に電話するときには、自分の携帯電話からかけるらしい。モスクワの携帯電話システムでは、電話を受ける側にも料金がかかり、一般電話からの方が携帯電話からよりも、受ける側の負担が大きいからとの理由。ロシア人にもそんな心遣いがあるなんて…と思ってしまった。

1月21日(金)

サンクトペテルブルグの街並みは、ヨーロッパ的だけれども、モスクワの街並みはアジア的だと思う、とロシア語クラスの休憩時間にハンガリーの留学生が言った。どうして?と聞き返すと、サンクトペテルブルグの道は、縦横にしっかりと整備されているけれど、モスクワの道は、曲がりくねっていて秩序がないから、という。ハンガリーではキャスターをしているという彼女の説明には説得力があった。1年間の休みを取り、モスクワに来ているの。ロシア語を話せる人がいないから、ディレクターも了解してくれた、と言うので、有給?と聞くと、それは無理だったわ、と大きく頭を振った。

寮に戻ったわたしは、ベッドの上でモスクワとサンクトペテルブルグの地図をしげしげと眺め、たしかに違いを認めた。ただ、地図上では、無秩序なモスクワの道も、街を歩いているときには、まっすぐにしか思えないほど、広い間隔で曲がっている。アジアの入り組んだ路地や道とは、イメージが掛け離れているなどと考えていたところで、部屋の扉がノックされた。

入って、と声をかけるとツェルハンドルと彼女の友達2人が現れた。友達が1人部屋に移りたがっていて、部屋を見せて欲しいと…。いくら払っているのと聞かれ、1ヶ月170ドルと答えるたら、皆、えっ、という顔になり、1人部屋希望の男の子がオーチン、オーチン、オーチン、オーチン、オーチン ドーラガ!と叫んだ。すっげぇ、すっげぇ、すっげぇ、すっげぇ、すっげぇ、高い!という意味、わたしのロシア語能力をよく理解している。一緒にきた女の子が、彼は1年間に200ルーブルだけ支払っている、と付け加えた。今度は、わたしが、聞き返えす番だった。えっ、1年?というと、そうよ、って。1ドルのレートは、28ルーブルほど。

外国人料金だから、とわたしが告げると、ジーヨンはいくら払っているのか聞いてみる、とツェルハンドルが隣にいった。ジーヨンが90ドルと答えるのが聞こえ、そして、うそぉ、同じ部屋なのに、というツェルハンドルの声が響いてきた。

国立大学では、授業料を支払うのは外国人だけで、ロシアの学生は無料。ちなみに、Kさんの通う医学部は年間1650ドル、外国語学部は年間5000ドル。違和感を覚えるのはわたしだけ?
モスクワ国立大学の医学部を卒業すれば、日本の医師国家試験を受けることができるらしいので、お得といえば、お得かも。まだ、前人未踏の域だけど。ソビエト時代にモスクワ国立大学医学部を卒業した日本人はいるのだけれど、モスクワ国立大学が日本で認められていなかったため、受験資格がなかったとか。その人たちは、ロシア語の医療通訳として活躍しているらしい。

1月22日(土)

イズマイロフスキー パールク駅での待ち合わせに最初に現れたのはS大教授だった。軽く挨拶をして、今日はボロネジに行っていてこれなかった友達が、会いたがっていたんですよ、論文を読んでいるらしくて、と伝える。あんなの読む奴いるんだ、というので、最近出してないからテーマを変えたのかしらって言ってたけど、と付け加えたら、テーマ変えてないよ、耳が痛いなぁって頭を抱えていた。

ほどなくして、M大教授、Kさん、教え子くんが到着した。皆でイズマイロフスキー パールクの土産物屋を目指して歩く。マトリョーシカの顔なんて、どれも同じだからとなげやりなわたしの隣で、Kさんは、しっかり選別し、しっかり値切って、わたしに渡してよこした。マトリョーシカは、日本のこけしをモデルに作られたロシアの木工民芸品で、開けても、開けても、中からでてくるように作られている。頼まれていたので、いくつか買い込み、待たせていた男性陣に詫びつつ、真の目的地、衣類市場のなかにある中華料理店へと移動した。

アジアのバザールを連想させる市場のなかに「唐人餃子城」はある。看板のなかに少しロシア語が入っているほかはすべて中国風。一階は食堂、二階はレストランといった雰囲気。二階に上がり、まずは、ビールを注文して、中国語のメニューを見つつ、水餃子、焼きビーフン、マーボ豆腐、鶏のから揚げ、八宝菜、青椒肉絲、五目麺などを頼む。モスクワで入手可能な食材を巧みに用い、見事な中華料理を作り上げる中国人には脱帽する。ビールで乾杯後、中国の蒸留酒とともに料理をいただき、舌鼓を打った。

その後、旧アルバート通りにあるハードロックカフェに移動してお茶を飲み、ひとまず解散。
近くのスーパーマーケットに寄り、ガーリャさんへの入院見舞いの果物、お菓子を買い込んだ。Kさんの誘惑を振り切り、かつての隣家を訪ね、おじさんに見舞い品を託して帰宅した。
土産物店
土産物店
衣類市場内
衣類市場内
山盛りの水餃子
山盛りの水餃子

1月23日(日)

モスクワの情報誌「ダスーク(余暇)」で大きく取り上げられていた写真展を鑑賞しにいく。クロポトキンスカヤ駅から番地をたどり、10分ほど歩くと人々の行列と写真展の看板が目に入った。30分ほど列に並び、学生料金60ルーブルを支払い入場する。人の流れに沿って写真を丁寧に追っていく。人垣は、黒人男性と白人女性が全裸で絡んだ写真など、心ならずも、どきっとしてしまうものに集中していた。新進気鋭の写真家と称されていたので、もっと個性的な写真を期待していたわたしには、普通に思えた写真展もロシア人にとっては、かなり刺激的なもののようで、食い入るように写真を見つめている人が多かった。

休憩室では、ネスカフェがキャンペーンガールを使い、コーヒーの試飲会を行っていた。一般の入場料が150ルーブルすることもあり、ネスカフェがターゲットとする人々が集まっているからだと思う。モスクワでは、コーヒーもステイタスとなっている。マクドナルドが高級感を店内に演出したマックカフェを展開しているほか、街中にコーヒースタンドも現れている。コーヒーを飲んでいる人が多いなか、自動販売機でココアを買ったら、周囲の視線が痛かった。飲料の自動販売機は、モスクワでは、かなり珍しい。そして、無料のコーヒーを受け取らないことも…。コーヒーが苦手だと理解してくれた人は少なそうな気配だった。
マクドナルド&マックカフェ
マクドナルド&マックカフェ
マックカフェ側のレジ
マックカフェ側のレジ
コダックのフォトセンターが近くにあることを思い出して、のぞいて見たらサーカスの写真展を開催していた。学生料金20ルーブルを支払い入館する。わたし以外誰もいなかったので、躍動感溢れる動物の写真や演じる人々の写真をのんびり眺め、外に出た。寒いなかを歩いているうち、トイレに行きたくなったので、プーシキン美術館の個人コレクション部へ寄ることにした。入場料10ルーブル(学生)は、モスクワのトイレ使用料と変わらない。カフェもあるし、美術品も鑑賞することができるので、一石二鳥以上の価値がある。

少々疲れ気味でもあったのだけれど、斜め向かいにある近代アートの絵画ギャラリーをまわってから、ジーヨンの待つ、寮へ戻った。

慣れないモスクワ生活の疲れを癒すべく寮でのんびりしていたジーヨンとボリショイサーカスにでかける。サーカスを見るのは初めてと楽しげなジーヨンを見て、誘ってよかったと思った。荷物検査を受け、会場に入り、コートと荷物を預け、指定席に着く。ほどなくして照明が変わり、オーケストラが紹介された後、ピエロが出てきてサーカスが始まった。通常の演目でよかったとひそかに胸をなで下ろした。
ボリショイサーカス
ボリショイサーカス
ボリショイサーカスの売店
ボリショイサーカスの売店
ドーナツ6個入り
ドーナツ6個入り

1月24日(月)

マスコミュニケーションのクラスで、アメリカ人のマーサが保留となっている年金者への無料交通券についての記事を要約して発表した。交通費がかかっては病院へも行けないという老人の声、無料交通券を使用する人としない人での不公平をなくすために年金に一律200ルーブル加えるという案、財源不足を訴える行政の意見のみで、結論は先送りという内容だった。

何か質問のある人は、と問われたので、ロシアの経済は好調なのになぜ、財源不足なのかと聞いてみた。すると、所得税が低すぎるからだという予想外の答えが講師から返ってきた。イタリアでロシア語を教えていたとき、所得税をイタリア、ロシアのどちらで支払いたいかと聞かれた。イタリアでは、所得の30パーセント、ロシアでは、13パーセントと聞き、とうぜんロシアを選んだ、という。法人税はどうなっているのだろうと頭によぎるも、正しいロシア語で話すことが求められていたので、質問できなかった。

年金の額は人によって違うのだけれど、モスクワでは、月額3000ルーブルほど。200ルーブルの価値は重い。お金が欲しい人も多いと察する。病院の診察代は無料でも薬代は有料という現実もある。

数日前、キオスクで調理パンを買っていたとき、おばあさんが来て、いらないパンはありますか、と販売員に尋ねた。ない、と断られる姿がいたたまれなくて、どのパンがいいですか、とおばあさんに聞く。事情を察した販売員が彼女が買ってくれるからどれがいい、と聞いても、おばあさんの反応はなかった。2、3個適当に見繕ってと販売員に頼み、包んでもらう。カペイカを握り締めているおばあさんには、調理パンよりルーブルを渡した方が生活の糧になると知りつつも、ためらう自分が苛立たしい。わたしが早くこの場を去れば、販売員が気を利かせ、調理パンが現金に換わるかもと考え、お金を払いすばやく立ち去る。ありがとう、という言葉を聞くのが妙に後ろめたかった。調理パン3個の料金は、50ルーブル(約200円)ほどなのだけど、10ルーブルあれば、大きな黒パン1斤を買える。白パンのバケットなら、6ルーブル。そんなことを考える一方、わたしにとっての50ルーブルは、バーで飲むビール一杯分の価値でしかない。良心の呵責をくすぐられた。

ソビエト時代、老後の心配はなかったので、退職の日を目指して一生懸命働いていた。その結果、こんなことになるなんて、年金生活者が哀れだと嘆くロシア人は多い。

後日、モスクワでは、無料交通券の配布を決定したものの、他の市では、財政不足を理由に保留のままというニュースを耳にした。
夕方、日本語の堪能なロシア人にテキストを訳してもらおうとKさんのホームスティ先に押しかける。カレーをご馳走になりつつ、少し訳してもらったものの、リョーシャのおばあさんが大事にしている昔のアルバムを解説つきで鑑賞する機会に恵まれてしまい、宿題は闇に葬られた。

70年前のポートレイトがこんなにきれいに残ってるのってすごいよね、というKさんの言葉を受け、うん、デジタルより、手焼きの白黒写真の方が風情があっていいね、と答える。ライカのカメラが欲しくなった。すっかり、昔の写真にはまり、深夜1時過ぎ、白タクにて帰宅する。