クロスカルチャー コミュニケーション

モンゴル旅日記(ウランバートル⇒イルクーツク⇒リストヴィアンカ⇒イルクーツク⇒新潟)

11 day

ふと気がつくと10時を過ぎていた。遅い朝食を取り終わったころ、隣に住んでいるガイドのおばちゃんが訪ねてきて、郵便局までいっしょに行くことになった。歩きながら、夏の間は旅行業もしているけど、普段は銀行で働いていると教えてくれた。ゴビ砂漠でおじさんが、なれそめを教えてくれたというと強気なおばさんもなんだか照れ笑いをしていたのが印象的だった。
ガイドのおばさんと別れ、郵便局でお土産用の記念切手を買ってから、チョイジンラマ寺院博物館を訪ねる。微妙な寺院で、地獄絵だけが脳裏に焼きついた。
いったん家に寄り、トンガさんも交えてゲルの博物館を訪ねた。直径24メートルの世界一大きなゲル、500トゥグルグ札に描かれている古い移動式ゲルのほか、展示用ゲルがいくつかあったけれど、中を見ることはできなかった。その帰り道、市場に寄り、寝台列車でウランバートルからイルクーツクまで移動する間の食料を買い込む。1ドルが460トゥグルグのレートで、パン1斤が150トゥグルグ、ソーセージ500グラムが800トゥグルグ、クッキー1キロが800トゥグルグだった。

あわただしく夕食を取り、おかあさんからの差し入れを受け取り、散らばった荷物をバックに詰め込んで、別れの感傷に浸る間もなく家を出た。車で駅まで行き、ガイドのおばさんに寝台列車のコンパートメントまで案内してもらい笑顔で手を振って別れた。
「タラッタッタ・ターラ・ラッララー今日はモンゴルのウランバートルからロシアのイルクーツクまで結ぶ国際列車をお送りします」
“世界の車窓”気分に浸っているわたしたち二人を乗せた列車は、ゆっくり動き出した。
予定通り、午後9時の出発。色鮮やかな夕焼け空を車窓から絵画のように眺める。刻々と表情を変えるモンゴルの夏空にしばし心を奪われた。

12 day

翌朝、列車はスフバートル駅に停車していた。ふくちゃんによるともう3時間近く止まっているらしい。まったりとしていたところ、鍵をかけたはずの扉が突然がらっと開けられ、軍人が数人立っている姿を見た瞬間、一気に眠気が飛んだ。
モンゴル出国手続きのためだった。密入国防止のため躍起になっているらしく、天井裏や床下までこじ開けて調べる。ロシア側のナウシキ駅で行われるロシア入国手続きも同じで、出入国手続きだけで5時間以上も費やした。
うんざりしているところへ自称女子学生が現れ、持参したかぎを使い、天井や壁を開けた。荷物を隠し、香水を振りまいた。嫌な予感が頭をかすめたけれど、ふくちゃん同様、何も気づかないことにした。

ほどなくして、列車は走り始めたものの、速度の遅さにあ然とした。車窓からの景色も全く変化がない。食べ物を広げながらひたすら座席でごろごろしていた。停車駅のプラットホームにブルーベリーや魚のくん製が売られている風景が珍しくて、のぞき込んでいたら隣人から差し入れられる。それほど物欲しそうに見えたのかと悩むも、どちらも舌になじんだ。
その夜、怪しげな女性はみかんを残して去った。そして、深夜にロシア人夫妻が乗り込んできた。わたしたちが日本人だとわかると妻のほうが言葉をかけてくる。
「わたし、歌手で日本の歌も知ってる」
突然、ロシア語で『恋のバカンス』を歌い始めた。驚いているわたしたちに数曲披露した後、大きな荷物の中から中国ばしを取り出したかと思うとクッキーを挟み、配ってくれた。言葉がよく通じないわたしたちにもめげないで話し続けた陽気なおばさんだった。

13 day

早朝、ふくちゃんの腕を取りばんざいをさせて、暗やみのバイカル湖に向かって叫んでから、おばさんたちは下車したらしい。
「大きなバイカル湖にばんざーい」
後日、陽気なおばさんがどうしても伝えたかった夫の職業がロシア語の辞書を引いて分かる。弁護士だった。大柄な妻に尽くす小柄な夫を付き人だと信じて疑わなかったので、思わず笑ってしまった。

寝具を車掌に剥ぎ取られ、わたしが目覚めたのは7時。まだ到着まで1時間もあるのというのに寒くて寝ていられなかった。イルクーツク駅を目前に長時間停車して、時間調整を行い、きっかり予定時刻の午前8時に到着した。

列車のドアが開くと見覚えのあるガイドが乗り込んできて、わたしたちを出迎えた。その後、4人のオーストラリア人とともにマイクロバスで、リストヴィアンカへ向かった。
バイカル湖畔の高台に建つホテルへチェックインして、部屋に入ると窓からバイカル湖が広がっていた。水平線を望める湖を目にするのは、はじめての経験で、混乱した頭がこれは海だよ海とささやいた。青い空、青い湖、緑の湖畔は目に鮮やかで、いつまで眺めていても飽きることはなかった。

手もちの缶詰などを開け、部屋で昼食を取った後、リストヴィアンカ湖畔の村を散策に出かけた。窓枠の装飾が可愛い木造の家を眺めながら、聖ニコライ教会まで歩き、のんびりとした雰囲気が漂う村を満喫した。草花が咲き乱れてる風景からは、冬の厳しさを想像できない。バイカル湖のほとりでふくちゃんと二人腰を下ろし、ただひたすら大海のような湖を見つめた。透明度の高い水は、浅瀬に沈む丸い石の姿を鮮明に映し出す。スニーカーと靴下を脱ぎ、チノパンの裾をめくり、湖に足を入れると予想以上に水が冷たかった。遥か遠くとはいえ、アザラシも生息している。バイカル湖で泳ごうと水着を持参したものの使うことはなかった。
ホテルまで近道をしようと少々急な丘を登り、汗をかいたまま、レストランへ直行して、ビールを注文した。オームリのくんせい、白身魚のフライ、パン、サラダをつまみながら、冷えたビールを飲む。やっぱり、おいしいものを食べれるのは幸せ。日本人の口に合う料理を堪能した。
2日ぶりにシャワーを浴びて、すっきりとしたところで、バイカル湖からの帰り道に買い込んだビールと赤ワインを飲む。つまみは、モンゴルでもらったチーズ。ひとしきり飲んで、揺れないベッドで就寝。

14 day

レストランでの朝食中、昨日バスでいっしょになったオージーの1人からボートをチャーターしたからいっしょに乗らないかと誘われた。さっそく荷物をまとめてフロントへ預け、オージー4人とホテルが運行するマイクロバスに乗り、船着き場へと移動する。近くの売店でチョコレートとビールを6缶買い込み、ボートに乗り込んだ。
バイカル湖のさわやかな風を受け、透明な水を押し分け進むのは、気持ちがいい。岸辺の水は、木々の緑も映し出し、エメラルドグリーンになっている。前方で、泳いでいる人の姿を見つけたオージーたちが歓声を上げた。タスマニアから来た陽気なオージーたちは、エグゼクティブなおじさんだった。2人が弁護士、1人が歯医者、1人がビジネスマンで、モスクワから寝台列車で4日間かけてイルクーツクまで来て、これからさらに寝台列車で北京までいくという。夏の休暇を使い、ユーラシア大陸横断の旅を楽しんでいるオージーたちを目の当たりにして、ふくちゃんと深いため息をついた。

青い空の色をそのまま映した湖の上を1時間ほど進み、博物館と水族館が近くにある桟橋へ停泊した。ボートを降り、まずは博物館へ入館する。ホルマリン漬けの魚が、民家の狭い一室に展示されているだけだった。気を取り直して、隣の部屋に移動すると10数匹の魚を飼育している水族館だった。サメがいるから気をつけてと係員兼ガイドにいわれ、まじまじと見ると15cmほどの奴で、もう笑うしかなかった。今までに見学したなかで、いちばん小規模な博物館と水族館だった。ちなみに入館料は1ドルほどで、英語のガイド付き。バイカル湖固有の魚、オームリの説明が聞けたということでよしとして、再度ボートに乗り込んだ。
散歩がてらホテルまで歩き、テラスからバイカル湖を眺めつつ午後を過ごし、夕方、迎えにきたマイクロバスに乗り、みなでイルクーツクのインツーリストホテルへ向かった。

アンガラ川岸に建つ12階建てのインツーリストホテルは、設備こそ整っているものの、部屋は期待はずれだった。荷物を下ろし、イルクーツクの中心街を歩き、食料品店で量り売りのキャンディを買う。これは、おそろしくまずかった。もう少し街を探索してみたかったのだけれど、店がすべて閉じてしまったので、ホテルへ引き返した。ビールを買いに売店へ行くとオージーの1人がなんでそんな大きな冷蔵庫がありながら冷えたビールがないんだと店員を怒鳴りつけているところだった。なぜかロシア人は、生ぬるいビールを平気で飲む。諦めきれないわたしたちは、レストランでお酒を飲むことにした。

-leftロシア最後の夜をオージー4人といっしょにシャンパンで祝う。しかし、薄暗い店内には、大音量の演奏が鳴り響き、隣に座った人の声すら聞き取れない。あまりの騒音に耐え切れず、ビールも食事もそこそこに退散した。レストランは、食事をするところではなく、軽くお酒を飲みながら踊るところとロシア人に教えられたのは、それからずっと後のことだった。
オージーたちと別れ、ふくちゃんとアンガラ川沿いを散歩する。夏の夜、川沿いの遊歩道で涼んでいる人の姿は多い。350もの河川が流れ込むバイカル湖から水を流出させる唯一の川は、水量も多く流れが速かった。立ち止まり、ものすごい速さで流れていくアンガラ川を見つめていると呑み込まれそうになる。
夜空を見上げると今宵も悲しいほど大きな月が輝いていて、星たちを隠している。満天の星空を諦め、月夜に照らされた神秘的なアンガラ川に視線をもどした。

15 day

この旅はじめての朝食ブッフェに喜び、朝から旺盛な食欲を見せていると隣に座った日本人からキャビアを食べないかと誘われた。闇で買ったから日本に持ち込めないし、もう食べ飽きたからという。さっそく、クラッカーにのせていただく。プチプチしていておいしい。全部食べちゃってというので、遠慮なく瓶を開けた。お隣さんに食欲なさそうですねというと、1週間どこのホテルに泊まっても同じような朝食メニューでもう飽きたからといった。モンゴルでの食生活を振り返ると悲しくなる。

ふくちゃんは、ゴビ砂漠を出てから毎日ペットボトルを振って、馬乳酒をかき混ぜていた。かき混ぜると黒い虫が混入しているのが目立つ。ほんとうに飲むの?というわたしの言葉にふくちゃんは日本で考えるといっていたけれど、結局、飲めなかったらしい。草原や砂漠では、ふつうに飲み食いしていた物も、通常の生活に戻るとすぐに受けつけなくなってしまった。

ホテルのロビーでオージー4人組とお別れをして、一路空港へ向かった。チェックインカウンターのところで、バイカル湖畔の岩石を拾い過ぎて超過料金を支払っている団体といっしょになった。石マニアのようだった。どこをまわってきたのと話しかけられ、モンゴルですと答えるとあそこもいい石があるんだよねといわれた。たしかにゴビ砂漠は鉱物の宝庫とも呼ばれている。トルコ石や孔雀石など、比較的簡単に見つかるらしい。ただし、国外への持ち出しは禁止されていた。

機内では、地球の裏側の光をバイカル湖で集める研究をしている人に出会う。なにやら個性的な人が集まる飛行機だった。そして、その機内食もすばらしく個性的で、きゅうりの輪切りにオームリのスライス、ビスケットにパン、飲み物だけだった。なにはともあれ、飛行機は無事に新潟空港へ着陸した。