クロスカルチャー コミュニケーション

モスクワ旅日記 2003

11 day 「外国人料金」

 Hさんのリクエストでクスコヴォ博物館へ足を運ぶ。18世紀のシュレメーチェフ伯爵の大邸宅跡が博物館として公開されている。博物館の外国人向け入場券と写真許可証を購入して、入口から続く並木道を進む。並木道を挟んで、左側に大きな池、右側には、クラシックスタイルで建てられた木造の館が見える。宮殿のような館と彫刻が飾られた美しい庭園を歩くだけで優雅な気分に浸れる。敷地内に点在する建物も博物館となっており、さまざまなコレクションが展示されている。豪華な貴族の生活をしのびつつ、時間をかけてゆっくりと巡った。

邸内にあるオープンカフェで紅茶など飲み、さらにくつろいでいたところ、社会見学中の子供たちがどっと押し寄せ、一気に喧騒のなかに飲み込まれてしまった。もっとも、無邪気な子供たちの姿を目にするのも悪くはない。そして、子供たちから気軽に話し掛けられるとなんだか嬉しい。「いっしょに歩こうよ」、「写真撮ってよ」という言葉を聞きながら、ロシアも変わっていくのだと実感した。

モスクワの中心地にもどって、工業技術博物館を見学することになった。工業技術博物館では、さまざまな展示物からロシアの技術史を垣間見ることができる。ただし、外国人料金を徴収するくせに英語の説明は、ほとんどない。とにかく、ラジオ、テレビ、顕微鏡、カメラ、タイプから、エンジン、発掘機、巨大なコンピュータ、宇宙船まで並ぶ巨大な展示館を歩き回った。

その後、少々ぐったりしながらもボリショイ劇場まで歩き、バレエ「ドン・キホーテ」のチケットを購入した。以前は、ダフ屋がはびこっていて、チケット売り場には、ほとんどチケットがない状態だったが、ごく普通に当日券があった。ただ、値段設定にあ然とした。5年前は、劇場の一階観客席の前列が5ドルほど、バルコニーの最上階が1ドルほどだったのが、一階観客席の前列が3750ルーブル(約125ドル)、バルコニーの最上階が40ルーブル(約1.3ドル)となっていた。

某ガイドブックに外国人料金が劇場で設定されていると書いてあったので、そんなものできたのとモスクワ在住の友人に聞いたところ、一時期インツーリストが運営していた劇場が外国人料金を設定していたけど、もうなくなったからそんなものないわよと言われた。ただでさえ、だまされる人が多いので、正確な情報を載せてもらいたいと願う。

開演時刻まで余裕があったので、早めの夕食を済ませてから劇場に戻ると入口付近が騒然としていた。何事かと思ったら、一人ずつ手荷物を検査し、金属探知機のゲートをくぐらせている。劇場を占拠したテロ事件が思い起こされる。列に並び、少々手荒いチェックを受け、劇場に入った。700ルーブル(約23ドル)で購入した私たちのチケットは、ボックス席だったため、たどり着くのに苦労したが、ある意味分不相応なほどいい席だった。プライベートなクローゼットとカフェ(バー)、トイレを備えた一階の仕切り席で、テーブルと椅子も各仕切り内に用意されていた。幕の合間、一般のカフェ(バー)やトイレが大混雑するのをよそに、優雅な時間を過ごせる。Hさんは、バーカウンターに腰掛け、グラスワインを飲んでご機嫌だった。もっとも、舞台を脇から眺めることになるので、それほど観劇しやすい席だとは言えないのだけど、ボックス席がこんな風になっていることをはじめて知った。
久しぶりにロシアの芸術にふれて、豊かな気持ちで劇場を後にした。

12 day 「滅びた購買方法」

 住民登録のスタンプが押されたパスポートを旅行会社で受け取った。これでやっと出国できるという思いが頭によぎった。まったく住民登録なのにばかげている。でも、まぁ、本来、住民登録のスタンプが押される住民登録用紙をパスポートに添付して提出することを忘れていたので、なんのおとがめもなくてよかったとも思った。

その足で、Hさんと待ち合わせた地下鉄の駅へ向かい、ノヴォテビッチ修道院を散策する。ピョートルの姉、ソフィアが幽閉された塔と説明しようとして、ふとロシアの歴史をすっかり忘れていることに気がついた。忘れたのはロシア語だけじゃなかった。落ち込んでいてもしょうがないので、ガイドブックを開き説明する。

せっかくなので、プーシキン美術館を観たいというHさんの言葉に促されて、久しぶりに館内に入った。以前には、行われていなかったセキリュティチェックを見て、テロ事件の衝撃がいかに大きかったかを痛感する。入場券を買い、荷物を預け、詳しい説明が聞けるデジタルレコーダーを借りて展示室へと入った。ヘッドホンのマークがついている絵画の番号を入力するとすぐに説明が聞けるので、最初のうちは、あれこれと聞いていたものの、英語ということもあり、だんだん面倒になり、不届き者なわたしは脱落してしまった。彫刻や絵画、ミイラ、骨董品などがならぶプーシキン美術館で、わたしの興味をそそったのは、特設会場で行われていたナショナルジオグラフィックの写真展だった。動物をテーマにしたネイチャーフォトに心を奪われる。わたしの師匠によるとネイチャーフォトを撮影するには、1に忍耐、2に気力、3に体力、4に技術とのこと。待って、待って、待ちつづけて、動物たちの視線を捕らえた写真を見ているうちにレンズを通しているということを忘れ、動物と目が合ったような錯覚にとらわれた。「眼と眼」というタイトルからも、引き込まれるのはわたしだけではないと思う。

その後、「本の家」(本屋)でロシア語教材を探しながら、ここもいつから自由に本が見られるようになったのかと思う。私が留学していた5年前までは、自由に本を触ることができず、係りのおばさんに頼み見せてもらうしかなかった。買うときも、レジでお金を支払ってから、そのレシートと引き換えにおばさんから本を受け取るというシステムで苦労させられた。このシステムは、食料品店などでも同じだったので、ロシア語が不自由だったわたしは、買い物には、つねに紙とペンを持参していた。レジで、商品名と値段を告げるのも大変だったし、売り場で欲しい商品を訴えるのも一苦労だった。そのシステムが、モスクワからすっかり姿を消していた。本を持ち、レジに並びながら、なんだか物足りないような微妙な心境になった。

本の家を出て、3分ほどのところにある趣味の悪いグルジアレストランで夕食を取った。たこつぼのような入口をくぐると店内はジャングルのような内装。そして、案内された席の下には鯉が泳いでいた。モスクワにもいろいろなレストランができたのねと思わずつぶやいた。

13 day 「アエロフロート」

14世紀から17世紀の教会や木造建築が建つ自然公園、カローメンスコエをHさんとのんびり歩いた。静かな丘のベンチに座り、モスクワ川を眺めながら、集まってくる小鳥たちに餌付けをする。しばらく、風景に浸るも、晩秋のモスクワは寒すぎて、凍えながら自然公園を出た。この時期の平日、修理中の建物も多くて、訪れる人もまばらだった。

午後の飛行機で日本に帰国するHさんがまだお土産を買っていなかったので、モスクワでいちばん有名な歩行者天国の通り、また土産物のメッカとも知られているアルバート通りへと向かう。昼食をはさんで、Hさんは、毛皮の帽子、キャビア、グルジアワイン、チョコレートなどを買い揃えた。

見送りをしようとHさんのホテルまでついて行き、ホテルのロビーで予約した車を待つも一向に来ない。30分を過ぎたところで、あと30分は来ないと確信する。実は、現地で働く友人から、アエロフロートのオーバーブッキングが激しいから早めに空港に行かないと個人は乗れないという忠告を受け、出迎えの時間を1時間早めていた。混んでいるからと航空券があるのにさらに20ドル支払わなければ乗せないなんてことを平気でやるアエロフロートを基準とすれば、変更した時刻に現れないなんて普通のことと思われる。

「いざとなれば、白タクを拾うので大丈夫ですよ」
Hさんに声をかけ、ホテルの高いビールを飲みつつ、ひたすら待った。
1時間が過ぎ、そろそろ来なかったら、現地代理店に怒りの電話を入れて、自力で空港へ行こうと思ったところに、看板を持った運転手らしき人が現れた。
あわただしく荷物を運び、車に乗り込むHさんを見送り、家路についた。

久しぶりにおばあさんといっしょに夕食を取ろうとローストチキン1羽(約3ドル)とピタパン(約0.5ドル)、2リットルのスプライト(約1.2ドル)を抱え帰宅するとそんな高いものを買って・・・と言われた。

とうぜん、外食など頭に浮かばないおばあさんは、ここ数日、私が帰宅すると夕飯を食べなさい、食べなさいといろいろなものを冷蔵庫から取り出していた。レストランで20ドルから30ドル支払い晩御飯を食べてきたなど言えない小心者なわたしは、断ることができずに手を伸ばしていた。

半分に切り分けたローストチキンに茹でたじゃがいもとおばあさんお手製のピクルスを添え、おばあさんといっしょにウォッカを飲む。久しぶりに味わう穏やかな食卓だった。

14 day 「最後の晩餐」

 朝から洗濯と買出しに追われる。昨晩、モスクワ在住のKさんとAちゃんから連絡があり、いろいろと相談したところ、わたしのところで集まることになった。チーズ、サラミ、ハム、黒パン、シャシリク用の豚肉、鶏肉、トマト、きゅうり、玉ねぎ、なす、パプリカなどを市場で買い込み、サラダを作り始めたところへAちゃんが現れた。ちょうどお昼どきだったので、チーズ、サラミ、きゅうり、ピクルスを切り、パンにのせて皆でつまむ。

午前中、あまりの重さに却下したアルコール類を近くにできたスーパーマーケットへAちゃんと買いに行く。ワイン2本にウォッカ1本、ビール500ml6缶、ジュース、スプライト、アイスクリーム、それとひき肉を買い足した。

スーパーマーケットの店員が、ひき肉を冷蔵庫から出し、ビニールを開け、においをかいで大丈夫と言ったとき、目が点になった。ちなみにロシア語で「目が点」は、「目が5カペイカ」というらしい。昔の5カペイカコインが、日本の500円玉と同じぐらいの大きさだったからとのこと。

わたしにも匂いをかがせた後、冷蔵庫のなかにけっこう長い間あったからと言い添えられて、親切なのか不親切なのかよくわからないと悩んだ。ロシアの一般的な店に比べて、スーパーマーケットは値段が高いので、商品の回転が悪いと知りつつ、徒歩1分と近いのでついつい買ってしまう。

Aちゃんもこの家に住んでいたことがあるので、勝手知ったる他人の家そのもの。2人して、夕食作りにいそしんだ。
ほぼ料理が出来上がったころ、Kさんが現れた。そして、隣のおばさんも連れてきちゃえばいいのよと平然と言い、孫のマキシムとともにほんとに引きずってきた。
最初は、ぎこちなかったものの無邪気なマキシムに救われて、宴はなごやかに締めくくられた。もっとも、最後は、日本人3人で深夜まで飲み続け、胃腸の調子が悪かったわたしは、かなりのダメージを受けた。

15 day 「ロシアの正餐」

朝の6時、吐き気に襲われて目がさめる。冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、一気に飲んだ。炭酸水だったこともあり、トイレへ直行。その後、ベッドに戻り、9時に目覚めたときは、すっきりとしていた。

荷造りをしながら部屋を片付ける。おばあさんも起きてきて、朝食を作ってくれた。肉団子に茹でた蕎麦の実を油で炒めたものがたっぷりと添えられている皿を見て、一瞬気が遠くなったが、ケチャップをかけて食べる。そして、食後は、紅茶を飲みながら、クッキーなどをつまんだ。もっと食べろ、もっと食べろと進められ、ほとんど断るも、かなりの量が胃袋に入った。

ロシア人(おばあさんたち)は、紅茶の入れ方に特徴がある。まず、濃い紅茶をポットにつくる。その濃い紅茶をカップに少し入れ、熱湯を注ぐ。作り置き?しておいた紅茶でも、熱湯を注ぐのでおいしく?飲める。とにかく生活の知恵なのだと思う。

荷物がだいぶ片付いたところで、残ったルーブルを食料品に換えるべく、近所の食料品店へ出向いた。隣の建物にあるのだけど、歩いて7、8分かかる。ロシアの建物は、一棟がやたらと大きい。冷凍のペルメニとレバーの塊、スメタナ、トボルグ、ウェハウス、クッキー、果物の缶詰などおばあさんの好きそうなものを買い込み、持参したビニール袋に入れて持ち帰る。ロシアで外出するときには、パスポートとビニール袋を持つのが習慣になっている。ビニール袋の値段は3~5円ほど。30円出せば、黒パンが一斤買えるので、ロシア人はビニール袋を洗って使っている。

買ってきた食品を冷蔵庫にしまい、借りたままになっていた皿をおばあさんへの口実にして、隣のドアをたたく。ちょっと挨拶するだけのつもりが、お昼をご馳走になることなった。さすがにおばあさんをはずせないという結論に達したおばさんに2人して誘われる。双方の言い分を十分に聞かされていたわたしは、数十年と付き合ってきたこの2人が仲直りしてくれることを祈りつつ皆が揃う食卓についた。

まずは、ウォッカで乾杯する。孫のマキシムはオレンジジュース。乾杯の祝辞を述べた後、ウォッカグラスになみなみと注がれたウォッカを一気にあおる。その後、チェーサーとなるサイダーやジュースなどを飲む。一度グラスを持ち上げたら、ウォッカを飲み干すまでテーブルに置いてはいけないのがロシアの流儀。ウォッカグラスを人生に見立てているので、充実した人生を願いグラスの淵までウォッカを注ぐのがロシアの礼儀。そして、ウォッカを注ぐのは男性。

おじさんが、白パンにバターを塗りいくらをたっぷりのせ配ってくれる。新鮮な野菜とハム、チーズ、魚のオイル漬けなどといっしょに食べる。乾杯を繰り返し、ウォッカの瓶をみるみるうちに空けていく。

温厚なおじさんと無邪気なマキシムに助けられ、場の雰囲気も悪くない。前菜の次は、暖かい料理。牛肉の煮込み料理とジャガイモのピューレをよそってもらう。このおばさんの料理は、ほんとうにおいしい。モスクワ留学中もよく食べさせてもらった。デザートのメロン、紅茶、外国製チョコレート、クッキーなど、和やかな雰囲気のなかでいただく。楽しい時間は、あっという間に過ぎる。ふと、時計に目をやると出発の時間を過ぎていた。慌しく別れを告げ、しばらくお世話になった家を後にした。

トロリーバスと地下鉄を乗り継ぎ、国際バスが発車する停車場まで行くとKさんが見送りに来てくれていた。
「休憩時間が過ぎたらバスは人数確認をしないで発車するから気をつけなさい。トイレに入るときは、他の人に待ってもらうようにと頼むのよ」
差し入れの水とビールとつまみをわたしに手渡しながらKさんが言った。
だいじょうぶ。だいじょうぶ。と答えるのんきなわたしに不安を覚えたのか、運転手のおじさんを捕まえて、わたしのことを面倒みてくれるように頼んでいた。
「困ったことがあったら電話するのよ」
すっかり旅行添乗員の顔になっているKさんに日本へ帰ったら連絡することを約束して、元気でねと手を振り別れた。