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カンボジア迷走記 シェムリアップ編(アンコール遺跡群)

アンコールワットの回廊を歩きながら、戦場カメラマン、一ノ瀬泰造を思い出す。1973年、アンコールワットを撮影するため、ベトナムから弾薬輸送船に便乗して、内戦の激化するカンボジアに入り、クメールルージュに捕まり処刑された。ピューリッツァー賞を夢見た一ノ瀬泰造が挑んだのは、クメールルージュ占領下のアンコールワットで、周囲には、無数の地雷が埋められていた。一ノ瀬泰造の最後のメモは、「地雷を踏んだらサヨウナラ」。カンボジア全土には、未だ400万~600万個の地雷が埋まっている。


アンコールワットは、12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として建立され、その後、仏教寺院へ改修されたという。9世紀から600年間にわたり、東南アジアに君臨した巨大国家アンコール王国によって築かれた総数1000を超える石造建築、アンコール遺跡群の1つで、アジア最大の石造寺院。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられている。


日本語ガイドのたどたどしい説明を遠くに聞きながら、クメールルージュによる破壊、内戦で受けた弾痕が痛々しくもあるけれど、荘厳さを決して失わないアンコールワットを写真に撮っていた。大伽藍の細部にまで刻まれた美しい装飾に目を奪われ、しばらく佇んでいるとガイドに早く早くと急かされる。ツアー客はわたしを含めて3人、もう少しゆっくり見たい、というのが共通意見だった。第二回廊から急勾配な石段を登って第三回廊にあがるとアンコールワットの造形美をも堪能できる。連子窓から、周囲の伽藍とカンボジアのジャングルを感慨深く眺めた。


アンコールワット
アンコールワット
ガーナ神
アンコールワット ガーナ神
アンコールワット
第三回廊に上がる石段

昼食をはさみ駆け足で、アンコールトム(南大門、バイヨン寺院、像のテラス、ライ王のテラス)、プラサットスープラット、タ・ケウ、タ・プローム、アンコールワットをめぐり、夕日を観賞するためプノンパケンに登った頃には、ぐったりしていた。夕日に輝くアンコールワットよりも、人の多さに圧倒され、早々にカメラの三脚を片付け、退散した。ゲストハウスに送り届けられて、ツアーは終了。


アンコールトム
アンコールトム バイヨン寺院
アンコールトム
アンコールトム
タ・ケウ
タ・ケウ
タ・プローム
タ・プローム
アンコールワット
アンコールワット

実のところ、アンコール遺跡群についてほとんど知らなかったので、シェムリアップから約270km離れたタイとの国境上にもプレアヴィヒアという寺院があると聞き驚いた。もっともこの地域は治安が悪く、また寺院敷地内にも地雷が除去されていない区域があるので、訪ねるにはちょっと覚悟がいるかも。
次回は、しっかり日程を取って、シェムリアップを中心にして各地に点在する遺跡を個人でのんびりまわりたいと思う。


その夜、アンカービールを飲みながら、アンコールワットの入場料について、ちょっと興味深い話を聞いた。入場料を徴収しているのは、ベトナム系の企業であり、収益の10数パーセントだけが、遺跡の修復と管理にまわされているとのこと。アンコールワットの入場料は、1日20ドル、3日分40ドル、1週間分60ドル。カンボジア人は無料。近年、膨大な数の外国人観光客がアンコール遺跡群を訪れている。


カンボジアがフランスの植民地だった頃、ベトナム人がフランス人に代わって、重い税を取り立てていたため、カンボジア人のベトナム人に対する感情は古くから悪いという話もある。確かに素朴なカンボジア人に対し、ベトナム人は狡猾な感がある。


話をしたドイツ人は最後に「郊外のあまり知られていない遺跡なら入場料を取られないし、そこに行くべきだ。人も少ないからのんびりできる」と付け加えた。ゲストハウスの客はしぶとい。


シェムリアップ
シェムリアップ
シェムリアップ