RYUTA'S TALK


2003/11/02 - (無題)
気が付いたらココまで来たという感覚。
気が付いたらココに戻っていたという感覚。

ども、隆太です。
一昨日、仙台に行ってきました。
すでにおなじみの仙台マカナ。
藤原さんをはじめいつもお世話になってるハコだけに
非常に楽しめました。この場を借りてありがとうございました。
リハ終了後は恒例となった、牛タンのお店「太助」に直行。
美樹ちゃんは牛食えないので銭湯へ。
この太助、いつ行っても店員がイッパイいてびっくりします。
ライブも非常に楽しんで帰ってくる事が出来ました。
基本的に飲みすぎました。風邪薬飲んでたので
かなり調子崩しましたが楽しかったのでOKです。

そんで翌1日は下北沢ERAでUNDER LIFEと美樹ちゃんの
合同企画に参加しました。
普段あまりやらないBANDが結構いたので楽しかったです。
ライブはトラブル満載でビビリましたが
まぁ良かったんじゃないでしょうか?
UNDER LIFE、美樹ちゃん。お疲れ様でした。
ダ○エー優勝セールの真っ最中なのに打ち上げに
こちらも参加。ERAには焼酎がないのでテキーラサンライズなる
尾崎 魔弓(女子プロレスラー)の必殺技みたいな名前の
お酒をかなりのハイペースでガンガン飲んでたら
意識がどんどん薄れて、カウンターで寝てました。
結局、対バンのポピュレーション(カタカナでごめん)の
車にお世話になって帰宅しました。ありがとね。

と、まぁ飲み過ぎの2日間でした。

最近こんな感じです。
昔、大嫌いだった「ただ楽しい」という感覚でライブやってます。
だからとても楽しいです、ライブが。
2連チャンは久し振りで体力的に少々きついところもありましたが
体力なんて搾ればいくらでも出てくるもんです。

仙台マカナの藤原さん、スタッフの皆さん
UNDER LIFE&美樹ちゃん
お疲れ様でした。
ありがとうございました。






2003/10/15 - ありゃ!!
とっくに期限切れてたのね・・。
ぜんぜん忘れてた・・・・。前回が超大作だっただけに
期限なんてすっかり忘れてた。
富山は相変わらず面白かったとだけ書いときます。
それ以外に言葉が見つからないし。

え~改めてこんばんは。RMの隆太です。
すっかり冬めいて参りました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
私は仕事に大忙しです。大変です。最悪です。
でもまぁ生活を支える唯一の糧なのでがんばります。
バンドの話です。曲出きません(こればっか・・)
しかしながらいくつかアイデアがあったりパーツ、パーツは
いろいろ出来上がりつつあります。
でもこのパーツ達をいい感じに繋げてくのが難解なわけで、
あちらが立てばこちらが立たずみたいな感じです。
最近レコーディングという物をしたくてたまりません。
とっとと曲作ってミニアルバムくらいはリリースしたいですよ、実際。
まぁ、意外と前向きです。珍しく(笑)
いい曲を作るべく、毎日チャリンコ通勤中に鼻歌で作曲したりしてます。
あと5曲か6曲出来たらなんか出します。
自分を追い詰めたりして搾り出します。
生まれてくるであろう曲たちに期待しながら
明日もチャリンコこいでがんばります。

わぁ~ポジティブぅ~・・・・。


2003/09/26 - あ、期限です。
きっと、富山のお話が聞けると思いますので、体育座りで待っててください。


2003/08/26 - (無題)
高田が立ち上がり、田村に語りかけます。
田村は泣きじゃくりながら高田の言葉に聞き入ります。
「田村ぁ、お前よくこのリングに立ってくれたよ。
こんな嫌な役、よく引き受けてくれたよ。
田村ぁ、お前、男だ。ありがとう」
田村にマイクを渡す高田。
田村は涙顔で
「高田さん、ありがとうございました。そして、いろいろ
暖かい目で見ていただいて、ご迷惑をおかけしてどうもすいませんでした。
何を言っていいかわからないんですけど夢と・・・、感動をありがとうございました」

格闘技にはその瞬間だけじゃない大河ドラマのような出来事が起こるんだよ。
長年の怨讐を越えてわかりあえたりするドラマ。
だから格闘技をこれから見続けたい。

高田延彦、ヒクソングレイシーに二連敗。
ホイスグレイシーに完敗。イゴールボブチャンチンに完敗。
マークケアーに惨敗。
それでも立ち上がった高田。
マイクベルナルドに消化不良試合。
ミルコクロコップにチキンと言われ
引退試合、後輩田村潔司にKO負け。
いいとこ無しの高田延彦が最後に見せた
すべてをひっくり返す散り方。
これから無敵のスーパースターが出てきても
高田のような大河ドラマは作れない。
勝たなきゃ終わりの格闘技の世界でこんなに
負け続け、こんなに輝いた最後を向かえた高田は
最高のプロレスラー、アイアムプロレスラーだった。


どうでした?こんな素敵なドラマが格闘技にはあります。
高田引退試合PRIDE23はビデオでも出ています。
高田、田村の歴史もわかりやすく説明されてます。興味のある人は
是非レンタルして見て下さい。

あ~長かった。またねぇ~!!


2003/08/26 - 新説、隆太の格闘シンドローム
2ラウンドも田村はローキックのみ。
高田の足も限界が近ずいたその時高田はがむしゃらに
こぶしを振りながら田村に突っ込みます。
高田が田村をコーナーに追い詰めた瞬間
この試合で唯一出した田村の右フックが高田のあごを
打ち抜きました。高田の生涯初の失神KOでした。
終了のゴングがなった瞬間田村
「やってしまった」という顔でリング中央で頭を抱えて
うずくまります。憎しみ、尊敬していた高田を
KOしてしまった。そんな感情がドーム全体に広がります。
寸前までブーブー言ってた馬鹿なファンも
一瞬にして無言になりました。
高田の壮絶な散り方にドームが静まり返りました。
この瞬間高田はすべての非難やブーイングを清算したのでした。
最後の忘れ物、田村の手で最高の散り際を見せたのでした。


2003/08/26 - 続々、新隆太の格闘シンドローム
距離をとって向かい合う2人。
田村はローキックを非情なぐらい高田に入れていきます。
2人はもつれ合って、田村が高田に馬乗りになります。
本来顔面にパンチを入れる最大のチャンス。
でも殴れない
田村。顔を伏せ何もしない田村。
そのままスタンド状態にもどります。
一ラウンド終了間際高田の下腹部に田村のキックが入ってしまいます。
うずくまる高田に場内が
引退試合までこれかよ的な空気がながれます。
しかし高田はものすごい量の脂汗を流しながら立ち上がります。
後に高田は引退試合くらいはブーイングは嫌だったからさぁと語ります。
手を出さない」高田に対する少量のブーイング」を聞きながら1ラウンド終了。
インターバル中もうつむき加減の田村。
引退試合だからといってけして負け試合をする気のない高田。
対照的な2人を2ラウンド開始のゴングが戦いを促します。



2003/08/26 - (無題)
そして11月24日

素晴らし試合が続きいよいよメインイベント。
まず田村の入場。いつもの赤いキャップをかぶった田村が
リングイン。いつものように四方に礼。
キャップを脱ぐとまるで新弟子時代を思わせる坊主頭。
この時点でワシ号泣。
そして高田延彦入場!!おなじみの
映画ロッキーのテーマ「トレイニングモンタージュ」が
流れる中、ガウンのフードを深くかぶった高田が花道を
最後の花道を進みリングイン。

ゴング直前リング中央で向かい合う2人。
田村は高田の顔を見つめる事が出来ません。
わがままをとうしてきた罪悪感からなのか
2人の視線は交差する事無く1ラウンド開始のゴングがなりました。



2003/08/26 - (無題)
時は流れて2003年

負のイメージが定着してしまったまま、高田の引退試合が
11月24日の東京ドームPRIDE23に決定します。
対戦相手は未定、PRIDEの運営会社は世界の強豪をぶつけると発表。
当時の強豪と言えばノゲイラ、小川直也、吉田秀彦か?!と騒がれましたが
高田の一言であの男の名前が一気に膨れ上がります。
「僕の選手生活には、一つ忘れ物がある」

やばい泣きそうになってきた。

そう7年前、自分の団体、スタッフ、所属選手を守るために
新日本プロレスとの対抗戦にやむなく踏み切り
わがままを聞いてやる事の出来なかった「田村 潔司」の事でした。
最後は田村とやり残した「真剣勝負」をするために田村との対戦を
PRIDEのリングでやろう、真剣勝負をやろうと決意します。

しかしっ!!当時の田村は「赤いパンツの頑固者」と言われるほどの
うそをつかない性格。(試合用のパンツが赤だから)
そんな田村がはたして高田戦を受けるのか?
マスメディア、すべての格闘技ファン、プロレスファンが
やきもきしました。

しかし田村は高田の引退の解釈人を務める事を決めます。
「なんで俺なんだろう?何で今更俺なんだろう?」と
深く悩んだ結果、高田最後のリングに上がる事を決めました。

しかも田村は以前から顔面パンチありのルールを完全否定していました。
「人の顔が殴られているのを見て盛り上がってるやつらは馬鹿だ」
というほど毛嫌いしていました。
そんなPRIDEのリングに上がる、まして憎んでた高田
尊敬する高田の顔面を殴れるのか?
みんなの焦点はそこにしぼられました。



2003/08/26 - 新隆太の格闘シンドローム
そして高田は新日本との対抗戦(客の奪い合い)に負け、
Uインター倒産、新たに立ち上げたキングダムもあっという間に倒産。
一発逆転をかけ高田道場を立ち上げてPRIDEという
格闘技イベントで当時無敵と言われていたヒクソングレイシーに
挑戦しますが、二連チャンで敗れます。
誰も名乗りを上げないプロレス界の為に挑戦したのに
プロレス界からはぼろかすに言われ、猪木にいたっては
「よりによって一番弱いのが出て行った」とか言う始末。
高田延彦 冬の時代の到来です・・・・。


その後は猪木ボンバイエでマイクベルナルドと消化不良の
引き分け、ミルコクロコップと消極的な試合で引き分け、
ミルコ本人にチキンとまでののしられます(おめぇもチキンだと
ミルコに心の中で叫ぶ私でした)
そんなこんなで高田イコールつまらない試合、ブーイングと言う
イメージが定着してしまいます。
(ベルナルド戦はしょうがないけどミルコ戦は骨折してたんだよぉ)



2003/08/26 - 続々隆太の格闘シンドロ-ム
そんな中、変わらない状況に業を煮やした田村はリングの上で
マイクを使いバックステージの高田にとんでもない言葉を投げかけます。
「高田さん、僕と真剣勝負してください」

この発言は会社的にも許されない事でした。
真剣勝負を売りにしている団体の選手が
真剣勝負をしたがる。なんか変でしょ?
そう、今までの試合は真剣勝負じゃないの?
今までの田村対高田戦はシナリオでもあったの?
だから田村が勝てなかったのか?
と、まぁいろんな意味で大反響を呼んじゃいます。
結局干された状態に田村は突入。
次世代のエースといわれた田村は毎大会第一試合の前座扱い。
そんな日々が続きます。(ちなみに前座の相手は桜庭が多かった)
そんな中Uインターは経営がうまくいかず倒産寸前。
新日本プロレスと潰し合いと言う名目で業務提携をしてしまいます。
Uインターの若い選手(金原、桜庭、高山、安生etc)は
会社がピンチなら、高田さんが言うならと対新日本に参加します。
桜庭は心の中で(長州とやれるのかぁ)と喜んだそうです(笑)
でも、田村は格闘技色の強いUWFスタイルに強いこだわりを
持っていたため、頑として参戦拒否。一人別の道を行く事になります。

結局高田は対新日本に本格的に乗り出し、
田村は自分のスタイル(UWF)を追及するために
道を分かつのでした。





10 / 9 / 8 / 6 / 5 / 4 / 3 / 2 / 1