参考作品 〜その他〜


恩田陸のその他の作品中またはあとがきなどで言及される本・映画などについてのコメントです。




『果てしなき旅路』『血は異ならず』
ゼナ・ヘンダースン ハヤカワ文庫SF
 
 「子供の頃に読んだお気に入りのSFに、ゼナ・ヘンダーソンの『ピープル』シリーズというのがあった。
・・・(中略)
 ああいう話を書こうと気軽な気持ちでこのシリーズを始めたのだが、・・・(『光の帝国』あとがき)」


 どこかに本来自分が属すべき場所があるはず。
 自分を取り巻く世界への違和感、疎外感。それを癒す物語。

 <<故郷>>を後にしなければならなかった遠い星の種族が、旅の途中で遭難し、地球に不時着。散り散りとなった彼ら=<<ピープル>>は、地球人=<<外界人>>の前では超能力を隠しひっそりと暮らしている。ヴァランシーが教師として赴任したクーガー峡谷もそんな彼らの住む町だった。

 『果てしなき旅路』は<<同胞(ピープル)>>さがしの物語であり、孤独に生きていた<<ピープル>>の一人が<<同胞(ピープル)>>に出会うまでの話、<<ピープル>>と地球人の血を両方受け継いだ子供たちの話、<<外界人>>からの迫害のため過去の記憶を封じ込めた陰欝な<<ピープル>>の町の話などが語られます、また、<<ピープル>>の手助けをし、その能力の存在を半信半疑ながら信じるようになる<<外界人>>の医師や、まったくの地球人であるが超能力をもつ女性なども登場します。そして『血は異ならず』では『果てしなき旅路』の後日談、新しい故郷の星へと旅立った人々が<<帰郷>>する物語や、過去の<<故郷>>の脱出談などがつづられます。

 ”『光の帝国』より明るい”という感じ方は、まさしく時代を感じるということなのかもしれません。『SFマガジン』1999年2月号の「豊饒の1950年代SF」特集で、『果てしなき旅路』の第一話「アララテの山」が掲載されているのですが、その解説(恩田陸)に
 「・・・しかし、何よりも感動したのは、語られるストーリーの力というものを全面的に信頼している作者の無邪気さだった。明るい未来しか見ることのない無垢な若者の眩しさを感じた。ニッポンも、SFも、私もあなたも、みんな遠いところまで来ちゃったよなあ。(p.307)」
とあって、思わずうなづいてしまいました。

 でも、やっぱり好きですね、こういう話。
 大いなる試練の後には必ず救いがあると信じる明るい未来はもちあわせていなくとも、人の善なる部分というものをまだどこかしら信じていたいわけで。私は「ヤコブのあつもの」や「知らずして御使いを舎したり」がお気に入りです。

 また、十代の頃なら間違いなく<<ピープル>>の視点で読んだはずの物語を、ヘルパーとしての外界人の視点で読んでいる自分に気がつくと、ちょっと切ないですね。「属すべき場所が見つからないなら、一人の方がいい」と割り切って流れた時間を振り返りたくなったり、ヘンダーソンの話で盛り上がれるような友人との出会いのありがたさを感じたり・・・。ちょっと回想モードになってしまいました。

 『果てしなき旅路』、『血は異ならず』は残念ながら入手困難です。『ピープル』シリーズではありませんが、ヘンダーソンの名作「なんでも箱」(『SFベスト・オブ・ベスト(上)』ジュディス・メリル編/創元SF文庫収録)は手に入りやすいと思いますので、未読の方はぜひおためしください。



『九マイルは遠すぎる』ハリイ・ケメルマン ハヤカワ・ミステリ文庫  
 「待合室の冒険」で列車事故で遅れた電車の到着を待っている間、多佳男が読んでいた文庫本。「九マイルは遠すぎる」は本文中にあるとおり有名な古典ミステリ短編。短編集『九マイルは遠すぎる』には、このアームチェア・ディテクティブ、ニッキイ・ウェルト教授シリーズが8編入っています。ハリイ・ケメルマンといえば、『金曜日ラビは寝坊した』(ハヤカワ・ミステリ文庫)に始まるラビ・シリーズも私は好きです。



『D坂の殺人事件』江戸川乱歩
 「新・D坂の殺人事件」の本歌。言わずと知れた明智小五郎初登場の乱歩作品です。春陽堂書店はじめあちこちの出版社からでていますが、創元推理文庫の乱歩シリーズの第二巻、短編集『D坂の殺人事件』は初出時の挿絵付き、編集には北村薫の名前があります。
 江戸川乱歩といえば私の場合はやっぱり夢幻の間にさまようような幻惑的な作品が好きで、たとえばポーが古びないように乱歩の作品も古びないなあと思います。



『青色廃園』森川久美  
 「廃園」のあとがきに「森川久美氏が『青色廃園』で登場した時はとてもショックを受けた」とありますが、さすがに初出当時(1976年)の”LaLa”は私は読んでいませんでした(^^;。しかし森川久美ファンとしてはこの名前がでてくるとはうれしい限りです。『南京路に花吹雪』は言うまでもありませんが、初期作品では『シメール』もお気に入り。一時期原作付き歴史物を多く描かれていましたが、ぜひまたオリジナル長編で読者を酔わせてほしいものです。
 これから「青色廃園」を読みたいという方は古本屋めぐりにせいをだしていただかないと難しいかと思いますが、白泉社の花とゆめコミック『青色廃園』または角川書店の森川久美全集第11巻『春宵曲』に収録されています。

*森川久美ご本人のHP:ドルチェでいこう(More dolce, please) 



『たけくらべ』樋口一葉  
 『木曜組曲』冒頭に引用される古典。
 最後に美登利が友人たちを拒絶した理由についての国文学者の「初潮説」に対して、
 「そんなのどかな説が長いこと定説になるとは、国文学とはずいぶんとおめでたくロマンチックはそして完全な男社会であることよ。(『木曜組曲』p.4)」
と絵理子が回想します。
 私は定説というのはよく知らなかったのですが、ずっと昔に読んだ時には、髪を嶋田に結った美登利が、病気なのかと訊ねる正太に「更に答へも無く押さゆる袖にしのび音の涙」うんぬんとあって、「ああ、花魁になるんだ。」と思った記憶があります。

 岩波文庫、新潮文庫、角川文庫、集英社文庫など本屋でさがせばすぐに見つかりますが、 ネットで無料で入手できる青空文庫にもありました。



『危険がいっぱい』 The Love Cage  
 「閉じ込められているのは誰?/TVで見た映画にそういうのがあった。アラン・ドロンが出ていた(『木曜組曲』p.19」)」
 うぐいす館に向かう林田尚美が鳥かごの連想から回想する映画。
 ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の原題”The Love Cage”、邦題『危険がいっぱい』(確かにこの邦題はいまいち(^^;)だと思います。本文中に「情婦の娘」とある役を演じていたのがジェーン・フォンダ。
 細かいストーリーは私の記憶が定かではないので、あらためて見る機会があったら書き足します。



『青幻記』一色次郎
 「ある映画の記憶」に重要なモチーフとしてでてくる映画と原作の小説。作中で主人公は作者を山本周五郎と勘違いしていたが、一色次郎であることが判明する。

 「ある映画の記憶」に付随するエッセイ「密室、この様式美の極み」に文献リストがあり、筑摩書房とありますが、何故かうちにあったのはけいせい版『青幻記・海の聖童女』(集団・形星)というマイナー版でした。あらすじは作中に出てくるとおり。透き通るような叙情詩を携えた物語であるとともに、貧乏が一種のエンターテイメントになり得る飽食日本の生活に慣れ切った身にとっては、この大正末から昭和初期という時代背景をもって語られる物語は気の滅入るような暗さをもった物語でもありました。死を目前に踊る母の舞のシーンははかなくも美しい幻・・・圧巻です。


*他の関連作品のページに行く→『三月は深き紅の淵を』『麦の海に沈む果実』『月の裏側』『ライオンハート』、『黒と茶の幻想』


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