『麦の海に沈む果実』の作中に言及される本・映画などについてのコメントです。
それにしても、狭い場所を通って思いがけず広い場所に出るというのが、この学校のお気に入りのパターンのようだ。なんだか、『パノラマ島奇談』みたい。(p.86)
江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』は、姿形がそっくりの大金持ちの友人になりかわり、その家が所有する小島に自分の理想卿を建設してしまう物語。その想像を絶する奇妙な「夢の国」は、パノラマ館の仕掛けを使い、実際の広さの何倍もの広さに見える世界が作られています。
『パノラマ島奇談』については「給水塔」にも言及があります。(『象と耳鳴り』p.49)
また、現在連載中の『黒と茶の幻想』はY島という島を舞台とした物語で描写される景色のひらけ方には『パノラマ島奇談』のめまい感のようなものを彷彿させます。
作者への影響度が高い作品と言えるでしょう。
あの曲を聴くと、全然違うんだけど、なぜかいつも『チェロキー』を思い出すんだよね。(p.160)
理瀬とヨハンが『展覧会の絵』について話す場面で、理瀬は『古城』が好きだといい、ヨハンは『リモージュの市場』が好きだと言う。その後に続くヨハンのセリフは上記のものですが、『チェロキー』はノイ・ノーブル作曲のジャズ・スタンダードで、チェロキー・インディアンを題材とした曲と思われます。日本人的には郷愁をそそるメロディーだなあと思います。(なぜか私はチンドン屋さんを思いだすのですが(^^;)。
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』はオリジナルのピアノ版より、ラヴェル編曲のオーケストラ版の方が耳にする機会が多いでしょう。
平たく言うと、『薮の中』の現代版みたいな話ね。こっちのタイトルは『広場の証言』っていうんだけど。(p.171)
五月祭で演じる芝居について、憂理が理瀬に説明する場面のせりふにでてくる、芥川龍之介の「薮の中」は『今昔物語』の原話をもとにした短編。
裏山の薮の中で見つかった死骸はなぜそこに横たわる羽目になったのか? 死体の発見者にはじまり、当事者たちの証言・告白は相矛盾し、果たしてどれが真相なのかわからないままに終わる。
黒澤監督の映画『羅生門』もこの作品を元にしています。
青空文庫 にも収録されています。
「あ。塔晶夫ですね」
ヨハンがテーブルに積んである本の背表紙を見て目を輝かせた。(p.240)
『虚無への供物』の作者、中井英夫のペンネーム。出版当時の塔昌夫名義の本は希少でしょうね。
もっとも、2000年2月に東京創元社から塔晶夫名義の『虚無への供物』が再刊されています。
境界の人、中井英夫の幻想味あふれる作品について書き出すと長くなるので、それはまたの機会に。
なんだかこの主人公はあたしに似ている。みんなは幽霊を見るような顔であたしのことを見る。(p.310)
夢で何度も見た家を実際に見つけた主人公が訪れると、その家の主人は幽霊におびえて出ていったところで、その幽霊というのは・・・。
嵐の晩、部屋をノックした人間の影を追いかける理瀬のモノローグの中にでてくるこの小説は、アンドレ・モーロワの「家」という短編。
長島良三編、偕成社文庫の『フランス怪奇小説集』 に収録されています。ちなみにこの子供向けのアンソロジー、以下の通りなかなかおもしろいラインナップです:
「牝猫」(ジャック・ヨネ)、「壁抜け男」(マルセル・エイメ)、「大蛇」(プロスペル・メリメ)、「手」(ギイ・ド・モーパッサン)、「家」(アンドレ・モーロワ)、「サン・ドニの墓」(アレクサンドル・デュマ)、「緑色の怪物」( ジェラール・ド・ネルヴァル)、「罰あたりっ子」(ポール・フェバール)、「ウッズタウン」(アルフォンス・ドーデ)、 「断頭台の秘密」(ヴィリエ・ド・リラダン)、「オノレ・シュブラックの失踪」(ギョーム・アポリネール)、「ミイラづくり」(マルセル・シュウォップ)、「記憶のある男」(モーリス・ルブラン)