sakura & ichiro

同窓生のお宅、お店、縁の地、お勧めのスポットetc
どこかで見たような「さくら」と「一郎」が皆さんをご案内します

第六話

四畳半で宇宙を見たい!

登場人物(注意:さくらと一郎は実在の人物ではありません)
さくら----目黒区緑が丘出身。11中を卒業後、何をしていたかはよく判らないが、 ステキなだんな様と巡り合い、カワイイ二人の子供達に囲まれて幸せな日々をおくる。

一郎----目黒区自由が丘出身。11中を卒業後、自分を磨くため職を転々とし、22歳からは遠洋マグロ漁船の乗組員として世界の海でマグロを追う。生活のほとんどを船の上で過ごすこと15年。その後、手にした資金を元手に事業を起こし、今は目黒に住む。


物語(注意:さくらと一郎はフィクションですが、同窓生との話はノンフィクションです)

社長室の昼休み。
傍らのフォトスタンドには家族の写真と並んで遠洋マグロ船「第3勝誠丸」が飾ってある。
一郎の寝息が聞こえる。つかの間の昼寝。
一郎は夢を見ていた。
南米エクアドル沖。キハダマグロを追う第3勝誠丸。
はえ縄漁では全長150kmの幹縄を海に流す。
船に幹縄を巻き上げる揚げ縄作業。
かかったマグロを枝縄からはずし、わずか数分で処理して冷蔵庫に投げ入れる。
きつい仕事だ・・時には招かざる獲物も上がってくる。
サメだ。
サメを外しにかかる一郎。油断した。
抵抗するサメは一郎の左足にガブリと噛み付いた。
その時。
プルルル
一郎の携帯電話が鳴った。
冷や汗をぬぐってポケットから携帯を取り出した。
「もしもし」いつもの渋い声でその場を取り繕う。
「ア、一郎さん。さくらです」元気なさくらの声。
一郎「おや、さくらさんかい。このあいだは犀川さんのインド料理店おいしかったね」
さくら「ほんとね。また行きたいわ」
一郎「ところで今日は?」
さくら「今度の日曜日、一郎さん空いてないかしら。私ね、D組の和田典子さんからお茶会のお招きを受けているの」
一郎「和田さんか。確かソフトボール部で活躍していたね」
さくら「そうよ。和田さんがお茶を点ててくださるのよ」
一郎「それはいいね〜。でも、和室でしょ。ここんところ私、左足の古傷が痛んでね。正座ができないんですよ」
さくら「それは大丈夫よ。和田さんも『お気軽に』っ言ってくれているし。私ね、お茶の作法は全然判らないからちょっと不安だけど、一郎さんが来てくれると心強いわ。それからD組の田熊久実さんも一緒よ」
一郎「わかりました。参りましょう」
さくら「よかった!1時に都立大学駅で待ち合わせましょ」
電話を切る一郎は左の膝をさすりながらつぶやいた
「サメめ」
一郎の足には今もサメの歯形がくっきりと残っている


笑顔の和田さん お茶会の会場である八雲住区センターには、和田さんと古美術商を営むご主人の加藤さんが到着していた。
さくら「和田さんこんにちは。今日は初めてのお茶会でどきどきしてるの。よろしくね」
和田「私も久しぶりのお点前なので緊張しているわ」
一郎「全然経験がないけど、よろしく」
田熊「本格的なお茶が飲めると思って、楽しみにしていたの。よろしくね」

5人で和室に入った。畳で床の間があり、お茶の準備ができるように水屋まである。
さくら「お茶室はもっと狭いと思っていたけど」
和田「お茶室では一畳から四畳半までを小間、四畳半以上を広間といいます。広くてもいいのですが、今日は少人数なので四畳半分を使います」

和田さん、田熊さん、さくらで準備を始める。足を怪我している一郎は手持ちぶたさである。
和室には炉があるが、和田さんは風炉の準備をする。<風炉の写真>
田熊「和田さん、4月までは炉を使うのではないかしら?」
和田「ええ、通常は4月までは炉で5月から11月まで風炉ですけど、今日は風炉にします」

水屋では、抹茶、お茶碗、お菓子などの準備をする。和田さんは絣のうわっぱりでてきぱき働いている。
<水屋の和田さん>
<お茶のお道具・・左から茶碗、菓子器、棗(なつめ)、茶筅、和田さんの茶碗その一、その二、黒文字>

さくら「和田さんはお茶の専門学校で勉強したと聞いたけど、何かきっかけがあったのかしら」
和田「高校を卒業してから、京都の裏千家学園茶道(ちゃどう)専門学校<裏千家ホームページ>で三年間勉強しました。全寮制で、体育の授業以外は着物で朝から晩までお茶の勉強をしていました」
田熊「和田さんはそれまでにお茶の経験はあったの?中学の時は聞いたことはなかったけど」
和田「近所にお茶の先生がいたこととお茶は高校のクラブでちょっと勉強しただけで、ほとんど知らなかったわ。お茶に興味があって茶道学校を受験したのだけど、専門的に習って着物姿で受験した人が多くて驚いたの。100名受験して合格者が37名、無理かな・・と思っていたら合格通知が来て、嬉しかった」
一郎「寮の生活はいかがでした?」
和田「寮は二人部屋で、先輩である『部屋親』と後輩の『部屋子』が一緒になるの。部屋親は部屋子に立ち居振る舞いやお茶会の時に何を準備するかなどいろいろ教育します」
さくら「お茶の勉強はどうでした?」
和田「それまでお茶についてはほとんど知らなかったから、見るもの聞くもの全てが目新しくて・・頑張って勉強して謝恩会では千宗室裏千家お家元から表彰状をいただきました」

 専門学校時代の写真
  ・<勉強中の和田さん1>
  ・<勉強中の和田さん2>
  ・<謝恩会の和田さん1>
  ・<謝恩会の和田さん2>
  ・<謝恩会で表彰される和田さん>
  ・<雪の兜門:裏千家入口>←これは珍しい
  ・<(おまけ)ご幼少の和田さん>

さくら「茶道学校を卒業してから、どこへ就職したの?」
和田「日本橋の美術商に就職し、そこで主人と出会って結婚しました。子どもは二人。今は都立大学フードセンターの『トラヤ』で実家の化粧品店と履物店を手伝っています。普段はお茶を点てたりすることもなくて、今日は久々で楽しいわ。」

話題はお茶へ移る。
一郎「緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれも同じお茶の葉から作り、加工方法が違うだけと聞いたけど。抹茶はどうやって作るのだろう」
和田「日光を遮って育てた玉露用のお茶の葉を手摘みして、その中でも一番いいところを乾燥させて石臼で丁寧にひいて作ります。学校の時に宇治のお茶園まで見学に行きました」
田熊「お茶が日本に入ったのは、確か鎌倉時代だったような」
和田「そう、鎌倉時代に栄西禅師が中国から持ち帰ったのがお茶の始まりね。当時はお寺でお茶を栽培していて、薬として飲んでいたみたい。その後村田珠光が『侘び茶』を起こして、千利休<千利休について>が完成させました。これがだいたい16世紀末ね。」

田熊「濃茶と薄茶、今日はどうするのかしら」
和田「皆さん初めてなので飲みやすい薄茶にします。それに、座ったところから始めましょう」
一郎「本来はどうするのかな。お茶というとお茶碗を回して飲むというイメージしかわかないけれど」
和田「懐石、濃茶、薄茶をいただく本格的な形式の『茶事』と『大寄せ茶会』に分けられます。<茶事について>今日は薄茶だけにします」
田熊「それに、部屋に入ってから席に着くまでも、床の間の掛け軸とお花や釜を拝見するといった手順があるのだけど、今日は省略するのね」

話をしているうちに準備が終わり、三人が席に着く。
和田「お正客(しょうきゃく)は田熊さん、次にさくらさん、最後のお詰(つめ)は一郎さんね」
さくら「お正客とお詰めとはどういう役割なの?」
和田「お正客は、メインとなるお客さまで、最も上座に座って最初に部屋に入ったりお茶をいただきます。お詰は、『末客』ともいい、器を片づけたり戸を閉めたり・・とどちらも大切な役どころね。ですから、お茶会に出席されたら、お正客とお詰は避けた方が無難ね。それとお客様をお迎えする人を『亭主』といい、今日は私になります。」
一郎「今日は足の古傷が痛んで・・正座でないとだめなのかな」
和田「濃茶の席はフォーマルなので正座になるけど、薄茶は足をくずしてもいいわ。一郎さんはいずれにしろ正座は無理ね」

田熊さんが腕時計を外した。不思議な顔をするさくらと一郎。
田熊「さくらさんと一郎さん、腕時計やブレスレット、指輪ははずしてね。」
一郎「それはまたどうして」
田熊「大事なお道具を傷つけないようにするためなの。もっと気を遣う人はイアリングを外したり、ベルトのバックルを後ろに回したりするわ」
感心する二人。
水屋で準備していた和田さんが驚いたように。
和田「田熊さん、よく知っているわね。お茶会に出たことあるの?」
田熊「親戚の家でお茶をいただいたことはあるけど、本格的なお茶会は今日が初めて。何も知らないのでは失礼なので、ちょっと勉強しました」

お菓子を受け取る田熊さん 三人が居住まいを正したところで、いよいよお茶会が始まる。
懐紙と黒文字を三人に渡す。
さくら「この大きな楊枝は何かしら」
和田「これは黒文字と言って、お菓子をいただくときに使います。懐紙は取り皿として使ってください。」

和田さんがお菓子をお正客の前に運ぶ。
 <お菓子を取り分ける田熊さん→>
和田「濃茶は主菓子(おもがし)といって練菓子、薄茶は干菓子が普通だけど、今日は両方持ってきました」
田熊さんから順番にお菓子を懐紙へ取る。二人はその真似をする。
一郎「これは何時食べるのだろう」
和田「濃茶はお茶を点てる前、薄茶は自分の分を点てている間ですけど、今日は自由に食べてください」

皆が食べている間に、和田さんは水指を運び、お茶を点てている。

  ・<水指を運ぶ和田さん>
  ・<棗から抹茶を取り出す和田さん>(棗:なつめ・・お茶入れ)
  ・<帛紗(ふくさ)を捌く和田さん1>
  ・<帛紗を捌く和田さん2>

さくら「食べ終わった懐紙と黒文字はどうするのかしら」
和田「着物でしたら懐紙をたたんで黒文字と一緒に懐に入れるけど、洋服でしたら自分の後ろにおいてください」

お茶を点てる和田さん しゃかしゃかと滑らかな音を立てて和田さんがお茶を点てる。
鮮やかな手さばきである。
 <お茶を点てる和田さん、後ろはご主人の加藤さん→>
一杯目のお茶を点て終わって、半東(はんとう:亭主の補佐役、亭主のことを『東』ともいうため)の加藤さんが正客の田熊さんまでお茶を運ぶ。
田熊さんは、たおやかな所作でお茶をいただく。

次はさくらの番である。田熊さんの様子をじっと見ていたが、すぐには真似ができない。
さくら「どういう風にいただくのかしら」
加藤「まず畳の縁の外側にある茶碗を内側の前の客との間に置き、前の客に『もう一服いかがですか』とうかがいます。そして次の客との間に置き『お先に』と一礼します。最後に茶碗を自分の正面に置いて亭主に『お点前頂戴します』と挨拶していただきます」
一郎「畳の縁は境界を表すのですね」
和田「そうです。お点前するときだけでなく、歩くときも畳の縁を踏まないよう気を付けます」

さくら、静かにお茶をいただく。

  ・<お菓子をいただくさくら>
  ・<お茶をいただく田熊さんとさくら1>
  ・<お茶をいただく田熊さんとさくら2>
  ・<お茶をいただく田熊さんとさくら3>
  ・<たおやかな所作の田熊さん>

さくら「とてもおいしいわ。泡がとってもクリーミイね」
田熊「家で点てたお茶では、こんなにきれいに泡をたてられないわ。さすが和田さんね」
お茶をいただくさくら お茶を飲み終わりほっとしてお茶碗を拝見するさくら。<ほっとしたさくら>

はらはらして見ている田熊さん。
田熊「さくらさん、お茶碗を見るときはもっと下にしないとだめよ」
さくら「あらどうしてかしら」
田熊「もしも粗相があったときに、お茶碗を傷めてしまうから」
和田「私も今言おうと思ったのだけど、そのとおりです」
加藤「お茶碗は、ひじを畳に付けて拝見します」
さくら「先ほどのアクセサリを外すことといい、理由があっての決まり事なのね」
和田「最初は教えられたとおり理由も分からずにお点前するのだけど、だんだん授業が進むと理由が分かってきて、その合理性が理解できます」

お茶をいただく一郎。片足を投げ出したままなので格好がつかない。<お茶をいただく一郎>
一郎「初めて本格的なお茶をいただいたけど、おいしいね。それにもっと生ぬるいかと思っていたら、意外とお茶が熱い」
一巡して、二杯目のお茶をいただく。三人ともすこし落ち着いたようだ。
加藤さんを中心に話がはずむ。

和田「私は久しくお点前をしていないけれど、主人は現役で、ずっとお茶とつきあっています」
加藤「仕事柄、お茶席には流派を問わずたびたび出席します。私の場合は広く浅くといったところです」
さくら「流派によってどのような違いがあるのかしら」
加藤「元をたどれば千利休につながりますが、流派によって少しずつ違います。例えば、座ったときの手のかさね方が、裏千家では右手が上になりますが、表千家では左手が上になります」
和田さんの手元を見ると確かに右手が上になっている。
加藤「その他にも、部屋に入るときの足の順番やお茶碗の回す方向が裏千家と表千家では逆なりますね。この違いの理由は分かりませんが・・中には、遠州流などは武家の流儀なので、刀を差す反対側の右側に帛紗を挟むといったように理由が分かりやすい作法もあります」

一郎「今日ちょっと聞いただけでも、いろいろな決まりがあってこれはなかなか大変・・と思うね」
和田「お茶は堅苦しく考えずに、気のあった人が集まって、皆で楽しくお茶を飲むことができればそれで充分です。ただ、何かルールがあった方が、飲みやすいし道具を傷めないし、動作がスムーズになって時間短縮になる、ということで作法が考えられました」
一郎「なるほど」
和田「楽しくお茶を飲むことを利休は、『和敬』という言葉で表現しました。お互いに仲良くし、お互いが敬い合うという意味です。さらに『和敬清寂』と続けて、『心の中が清らかで、動じない心』を付け加えたこの四文字の中にお茶の精神が集約されていると思います」

加藤「書道に、楷書、行書、草書とあるように、お茶にも真、行、草があります。書道では楷書から習いますが、お茶では逆に簡略化した『草』から習います。今日のお点前のように風呂や炉を使っての平点前が草になります」
和田「裏千家では手軽にお茶を楽しめるように、他の流派にない『盆略点前』を創案しました。これは、ポットなどでもお盆の上でお茶を点てることができます」
田熊「おじぎにも、真の礼、行の礼、草の礼があったけど・・お茶の真とはどのようなお点前かしら」
和田「お茶の真は、唐物などの大名物(利休が定めたといわれる。遠州が定めた中興名物というのもある)を使ってお茶を点てます。ただいずれの場合もお茶の教えは変わりません」
<利休七則について>

さくら「お道具も流派によって違うのかしら」
加藤「お茶碗は基本的にはどの流派でも使えます。ただし、箱書きに流派を書いているとその流派専用になる場合があります。利休、少庵、宗旦は三千家使えますし、他の流派でも問題ありません。あと、古い物は、流派の区別なく使うことがあります。ただし、今の家元の作を他の流派で使用することはないですね」
田熊「初釜のような大勢が参加するお茶会に出席する場合、主催する流派に合わせてお点前するのかしら」
加藤「もちろん他の流派のお茶会でも出席して構いません。その場合、無理に作法を合わせようと変になってしまいますので、自分の流派の作法でよいです。見ているとその人の流派がよく分かります」

一郎「初歩的な話で恐縮ですが、流派で表千家と裏千家がありますが、何故そのような名前がついたのですか」
加藤「利休の曾孫で、表千家・裏千家・武者小路千家の三千家に分かれました。その時の位置関係で、南側に屋敷があった千宗左が表千家、北側の千宗室が裏千家、武者小路の千宗守が武者小路千家と呼ばれ、現代へ続いています」
<三千家について>

説明をする加藤さん 話題は加藤さんの古美術商へ。
  <説明をする加藤さん→>
一郎「加藤さんはどうして古美術商の道へ進んだのですか」
加藤「元々美術品が好きでこの世界に入りました。お茶については今の皆さんと同じで、ほとんど知りませんでしたが、商売で必要であるため、お茶の修行をしました」
一郎「古美術というと・・どこか旧家へ行って、掘り出し物を探すということはしますか」
加藤「今は掘り出し物はほとんどありません。有名なものは、どこにあるか皆知っていますので、どこからどこへ動くのかは、すぐ分かります」
田熊「失礼ですけど『贋作』は扱ったことがありますか」
加藤「贋作は多いです。例えば有名な雪舟はほとんどが贋作と言われています。ですが、日本には『写し』という言葉があって、これは模写・模倣して作るもので、本物を所有できないが代替品で観賞するという考えです。これは贋作とは違います」
田熊「和歌でいう『本歌取り』に似ていますね」
加藤「それと贋作かどうかの判断ですが、学者がだまされても古美術商が見破る場合は多いです。自分のお金を掛けているという真剣さが違います」

話題はお道具へ。
田熊「お茶席でしたら、お道具の観賞ということになるのだけれど・・今日和田さんに持ってきてもらったお茶碗のいわれを教えてください」
和田「白いお茶碗は、一つは人間国宝で芸大の学長を務めていた藤本能道先生の作で、『叭哥鳥図(ははちょうず)』といいます。<叭哥鳥図の写真その1> <叭哥鳥図の写真その2>もう一つの茶色の茶碗は茶道学校の卒業記念に一人一つずつ焼いてもらったもので、赤肌焼です。お菓子鉢は、結婚したときに京都の陶芸家からお祝いで頂いたものです。」
一郎「お茶碗の正面を避けてお茶をいただきますが、正面はどうやって見分けるのですか?叭哥鳥図の茶碗ですと両面に絵があって正面がよく分かりません」
加藤「絵が一つの場合は絵が正面になりますが、このように絵が二つある場合は亭主の判断で決めます。お茶碗の底にある作者の印の向いている方が正面になる、と考える作者もいますが一様ではありません」

お茶とお道具の関係へ話は移る。
加藤「古い茶碗やその他の日本の美術品が残ったのはお茶のおかげです。ただ保管していただけではなかなか残りません。お茶で大事に使うことにより、現代に残りました」
一郎「確かにしまっているだけでは紛失したり壊れたりしてしまいますね」
加藤「またお茶はお茶碗だけでなく、総合芸術だと言えます。掛け軸の絵、茶花、お香、茶碗、茶杓、炉、菓子皿・・と全てが芸術品です。私たち古美術商は、これらの芸術品を後生へ伝える橋渡しをしています」
「あと古美術を売買するときに、客観的に判断して値段を付けるということも古美術商の役割です。個人同士ではなかなか評価が合わずにまとまらないですから」

加藤「先ほど話しましたように、お茶は総合芸術であり、亭主が趣向を凝らしてお客を迎えます。その季節や参加者により、テーマを決めて、茶碗、掛け軸、茶花などを揃えることになります。これらは個々に揃えるものではなく、全体の組み合わせで考えます。『四畳半に宇宙を見る』と言う人もいますが、過言ではありません」
さくら「お客の方もその趣向が分かるように勉強しないといけないわね」
加藤「そうですね。趣向を凝らすということでは、亭主が落とし穴を作ってわざと客を汚し、お風呂に入れて・・という話もあります」
田熊「それは利休とノ貫(へちかん)の話ね。利休は、落とし穴は分かっていたけど亭主であるノ貫の趣向をくみ取ってわざと落ちたという話を読んだことがあります」

最後に話題は、お茶の将来へ。
一郎「今日始めてお抹茶をいただいて、話を聞いて、お茶というのは決して縁遠いものではなく、身近なものだということが分かりましたが、今後どうなるのでしょうか」
加藤「お茶は、元々は男性が行うものでしたが、戦後、花嫁修業として爆発的に普及しました。その結果『お茶は女性のもの』という考えが広まってしまい、花嫁修業が廃れた今はお茶の人口は減少しています」
和田「裏千家では、先ほど話した盆略点前や椅子に座ってお点前をする立礼(りゅうれい)式など他の流派にないものを創設して、お茶の普及活動をしています」
加藤「私たちの生活が変わっているので、お茶も変わらないと今後残らないのではないかと思います」
さくら「もっと日頃からお茶を点てるようにしたいわね」
田熊「そう、それにお茶をいただくだけでなく、勉強もしたいわ」
和田「お茶は、お茶碗と茶筅、お抹茶があればどこでもいただけます。ぜひ気軽に楽しんでください」

さくら「和田さん、加藤さん、今日はありがとう。とても勉強になりました」
一郎「お茶の心が少し分かったような気がします」
田熊「本格的なお茶を飲むことができました。ありがとう」
和田「皆に会えたし、久しぶりにお茶を点てることができて楽しかった」
さくら・一郎・田熊「本当にありがとうございました」


さて、お待ちかね、和田さんから読者の皆さんにプレゼントです。
プレゼントのお知らせはこちら




第七話に続く・・(はず)


シリーズ<さくらと一郎の「遊びに行こう!」>では、 さくらさんと一郎さんが皆様をお訪ねします。どうぞよろしく。

さくら役は芹沢啓子(A組)・一郎役は梶誠一郎(A組)でした
企画・取材・出演・撮影・執筆のスタッフ一同<その1><その2

参考書・・茶事(上):千宗室著・淡交社刊、初歩の茶道 割稽古:千宗室著・淡交社刊、図説 千利休:村井康彦著・河出書房新社刊、お茶の作法入門:西東社刊、利休百話:筒井紘一著・淡交社刊、茶の湯の歴史 千利休まで:熊倉巧夫著・朝日新聞社刊


遊びに行こう!に戻る