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こちらのページでは、妊娠35週から38週までの母の記録をまとめている。 |
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03-07-2001 (35w+0d) |
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今日は35w+0dの健診。いつも通り、採尿して採尿室から出た途端、診察室に呼ばれた。確かに今日は待合室には1人くらいしかいないので、すぐだろうなとは思っていたけど、ほんとに採尿室のドアを閉めた途端だったので、あれれという感じで診察室に入って行った。 体重は前回から0.3kg増えていて、妊娠前から比べると3.3kg増加になった。ま、このくらいなら範囲だろう。子宮底長33.5cm、胴囲93.5cm、血圧はまたちょっと高めで、136/83、浮腫・蛋白・糖全部マイナス。前回の採血検査で貧血も治っていたので、鉄剤も処方されなかった。 で、でも、今回は内診があった。その痛いのなんのって!あんなにぐいぐい器具を入れて大丈夫なんだろうか。出ちゃうんじゃないだろうかというぐらい痛かった。でも、その検査の後、血は出てなかったみたいだけど、ほんと痛かった。今回からずっとあるのかなと思うとちょっと憂鬱。 内診室から出てみると、もうお医者さんは別の人を診察していた。 看護婦さんに問題ありませんねと言われ、次回も2週間後と言われた。それで帰されそうになったので、「最近、頻繁にお腹が張って痛いんですけど」と、言ったら、お医者さんは向こうの方で「張らなきゃおかしい」とか言っていた。とりあえず、看護婦さんに「じゃあ、普通なんですね」と聞いたら、そうだと言っていた。もう一つ、「ちなみに早く出てきちゃうってことは。。。」と聞くと、またお医者さんは向こうの方から「それは全然ない」と、言い切られた。看護婦さんも「それが心配がないから、次の健診も2週間後でいいということなの。」と、言っていた。ま、信じよう。私はやはり優良妊婦なのだ。今回の診察料は\5,000.-。 |
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03-24-2001 (37w+3d) |
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37w+3d。げっ、前回の検診の時よりも1.7キロも重くなっている。2週間しか経ってないのに。看護婦さんたちは、この時期子供が大きくなるからと慰めてくれたが、この体重増加は子供ではなくて私。この2週間、産気づかないようにずっと安静にしていたから。食べて寝ての生活で1,7キロも重くなってしまった。やばい。その上、子供が降りてきてないらしい。この時期、もう子供の頭が骨盤に入ってくるらしいが、うちの子は全然降りてきてないらしい。これも、この2週間安静にしすぎたせいなのか。子供はそんなに大きくなってはいないらしいが、お腹が大きくなりすぎているらしい。うーん。 従って、次回4/2 9:30からレントゲンを撮ることになってしまった。骨盤が不適合だったら、帝王切開になるのか。これはこの一週間普通に運動をしていれば、降りてくるのだろうか。とりあえず、安静にしないにしよう。1.7キロ増を戻すくらいの勢いで生活した方がよいのかもしれない。お医者さんに自分が生まれた時は安産だったのかとも聞かれた。それは同じ傾向になるのだろうか。とりあえず普通だったみたいですがと、答えておいた。次回の検診が4/2ということは、医者の見立てでは3月中には産まれないということだろう。そんなに信用してないけど、とりあえず状況的にはそうみたいなので、普通に生活しよう。子宮底長35.5cm、胴囲96.5cm、血圧はまたまたちょっと高めで、139/92、浮腫・蛋白・糖全部マイナス。エコーもやったが、写真はもらえず。内診はやっぱ非常に痛かった。今回の診察料は\5,000.-。 |
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03-29-2001 (38w+1d) |
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38w+1d。朝食の支度をしているときに何か降りた感覚があったので、トイレに行ってみた。なんと、おしるし。よく生卵の中に時々入っているような血液がおりものと共にシートについていた。寝ている学さんを起こし、おしるしの付いたシートを見せた。やっぱ究極の早生まれになってしまうのかなーと二人で笑った。とりあえず、陣痛が始まらなければ、出産にならないのだろうから、今日は安静にしていようと思う。あと、29,30,31,1の4日がんばれば、2001年度なのに、うちの子は自分で選んで究極の早生まれになってしまうのだろうか。ははは。 |
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03-30-2001 (38w+2d) |
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昨日1日茶色いおしるしが続いた。夜中12時くらいから、不規則にお腹が痛くなり、眠れず。痛みは生理痛のような感じ。3時くらいから、うとうとして、4時くらいにお腹の痛みで目がさめた。それは大体15分間隔くらいだった。またうとうとして、お腹の痛みで目がさめるを繰り返し、6時までに大体10分間隔になった。朝食を食べて7時に産院に電話。しかし、助産婦らしい受け手は、「声の感じからまだそんなに痛くなさそうなので、8時半くらいにきてください。」と、言われてしまった。落ちつきすぎ?でも、その後お腹の痛みがちょっと遠のいてしまった。うーん。 8時半近くに病院に着いた時には、15分間隔の痛みに間延びしていた。そこにはどうも2組のこれから入院しますよという感じの妊婦とその家族らしき人達がいた。受付の窓のところで、お医者さんに「今、何分間隔?」と、聞かれて、「15分くらいになってしまったんですけど。」と、答えた。「何だ。15分か。」と、言われたので、「7時に電話した時は10分弱でした。」と、とりあえず弁解してみた。すぐに診察室に通され、一連の検査をした。子宮底長36cm、胴囲96.5cm、血圧はまたまたちょっと高めで、139/96、浮腫・蛋白・糖全部マイナス。内診の後、今まで入ったことのない診察室に通され、診察台に上がらされた。どうやら、剃毛を行うらしかった。本当にこのままお産が始まるのか半信半疑だった私は、剃毛してくれている若い看護婦さんに「本当にこのままお産が始まるんですか。」と、聞いてしまった。看護婦さんは「そうですね。」と、答えて、慣れない感じの手つきで処置してくれていた。その後、ベテランの看護婦さんにチェックを入れてもらっていた。まだ、この頃はちょっと強い生理痛のようだった。その後、4/2に行うはずだったレントゲンを撮るためにレントゲン室に移動した。レントゲン台はちょっと高く、ちょうどお腹が痛いときだったので、上るのに苦労した。正面と横からレントゲンと撮った。それから、少しの間、待合室で待たされた。その間、ずっとそこで待っていてくれた学さんは、「他の2人の妊婦も今日お産なんじゃないかな。入院手続きしていたよ。」と、言っていた。『なんと、3組同時なのか。確か見学した時、分娩台は1つで、隣に手術台が1つあっただけだったような・・・・』と、思い返していた。何分か待たされた後、診察室に呼ばれた。「ご主人も一緒に」と、言われ、学さんも一緒に入っていった。すぐにレントゲンを見せられ、説明が始まった。説明によると、「子供の頭が骨盤に入っていなく、緊急の帝王切開になるかもしれない。骨盤が狭くて、頭が骨盤を通らないかもしれない。経過を見て、帝王切開というのは、いろいろ準備があるし、個人病院では難しいので、総合病院に転院してほしい。」とのこと。それで、「関東労災病院で受け入れてくれるというので、そちらに行ってほしい。」とのことだった。はっきり言って、動揺した。でも、他の2組のお産と共に分娩台を取り合ってお産をするよりは、総合病院に行ったほうが良いだろうとも思った。紹介状とレントゲンと地図を渡され、自分たちで転院先に行くことになった。いつもの優しい看護婦さんは、「もしかしたら、自然分娩できるかもしれないし。」と、励ましてくれた。予約金を返金してもらい、そのまま転院することになった。お医者さんの最後の言葉は、「レントゲン返しに来て」だった。看護婦さんは、「産まれたら、赤ちゃん見せにきてね。」と、見送ってくれた。 学さんに車を運転してもらって、関東労災病院に向かう間に千葉の実家の母に状況を話す電話をかけた。母も動揺したに違いない。予定日より10日以上も早く、しかも帝王切開になるかもしれなくて、総合病院に転院するところと、告げられたのだ。言い知れぬ不安に、最後は涙声で状況を説明していた。母も涙声で、「大丈夫。美穂なら、ちゃんと産めるから。」と、言ってくれた。 関東労災病院に着き、受付で紹介状を見せ、転院手続きをした。それから、2階の産婦人科外来に行き、診察してもらうことになった。受付にカルテや紹介状を提出して、中の椅子がいっぱいなので、外で待っているとすぐ呼ばれた。診察してくれた星野先生は、女医さんで気さくな方だった。レントゲンを見て、問診、それから、エコーになった。実は一度もエコーの画面を見せてもらったことがないと言ったら、いろいろ説明してくれた。それから、内診。台に上がるとき、ちょうどお腹が痛くなって、それを言うと、先生は「ゆっくりでいいわよー。」と、言ってくださった。内診のときもいろいろ気遣ってくださった。私の女医さんのイメージは、『冷たい』、『怖い』だったが、この方は、私のそのイメージをことごとく壊してくれた。先生の診断は、「自然分娩でいけるでしょ。経過を見て、最終的にダメだったら、帝王切開でいきましょう。」と、言ってくださった。立会い出産できるかという質問には、「残念だけど・・・」と、この病院の母親学級に出てない場合は無理ということをこの時は告げられた。 1階で入院手続き後、5階の産婦人科病棟へ上がった。処置室というところで、看護婦さんに一通り問診され、転院のいきさつを説明した。前の病院で剃毛までしてきたと言うと、「うちでは全部は剃毛しないのよね。」とか、言っていた。手術着みたいな服に着替えるように指示され、前開きの産褥ショーツに履き替え、お産パッドをあてるように言われた。入院グッズはまだ車の中だったので、学さんにもってきてもらうようにお願いして、病院で用意されているものを使用した。入院リストを見ると、今、持ってきているものに必要十分だった。パジャマ2枚、ガウン1枚新しく買ったのに、この病院では病院の寝巻きをリースされ、T字帯とか裾よけも用意したのに必要なくなった。この病院では産褥ショーツだけで対応するらしい。学さんに入院グッズを持ってきてもらう間に浣腸をした。初めてのことで、「できるだけ我慢してから出して」と、言われたが、トイレに座るとすぐ我慢できなくなってしまった。その後、回復室(陣痛室)というところに案内され、そこでこの後の地獄の時間を過ごすことになった。 昼食の時間は過ぎてしまっていたので、病院からは出せないと言われ、学さんに1階の売店でおにぎりや飲み物を買ってきてもらって食べた。この時はまだ、食欲はあった。昼食を食べ終わったら、分娩監視装置をつけるので、ナースコールのボタンで呼んでくださいと、1人目の助産婦さんに言われていたので、初めてナースコールし、分娩監視装置をつけることになった。それは1時間程、監視するのだが、痛くなってくるのと同時に針が大きく振れるので、振れ始めに「痛みがくるな」と、分かるので、身構えることができ、安心できた。また、学さんのオメガのスピードマスターは、ストップウォッチが付いているので、痛みから痛みまでの間や痛みの継続時間を測ってくれ、大体の陣痛の時間がわかったので良かった。予測できる痛みは耐えられる。その後、血管を確保するためということで、男のお医者さんが現れ、点滴針を左手の手首に入れ、点滴の装置がつけられた。中身はブドウ糖らしい。私にとっては、点滴も初めての経験だった。回復室に入った頃は、生理痛を非常に痛くしたくらいで、「このくらいの痛みなら耐えられる。」と、豪語していた私も、病院の夕食が出る頃には、食欲もなくなって食べることができず、学さんに食べてもらった。口にできるのはほとんど水分だけで、おやつに出たフルーツをゼリーで固めたものをやっと食べられたくらいだった。最初の検診の時には、立会い分娩はダメと言われていたが、前の病院で立会いするつもりだったことや学さんが保健所の両親学級に出ていることなどを問診の時に言っていたためか、学さんは立会いできることになり、読んでおくようにと資料を渡されていた。 夕方には、2人目の助産婦さんに交代し、外来の星野先生も勤務時間が終わったのか挨拶に来てくれ、励ましてくれた。担当の方が交代していくのに多少の不安を覚えながら、陣痛に耐えていた。夜になり、回復室に入ってからずっとお小水も出してなかった私は、助産婦さんに抱えられ、トイレに行くことになった。病院の廊下は既に消灯されていた。敷いていたお産パッドには、前の内診で卵膜を剥がしたのか、茶色い血が結構ついていた。しかし、トイレで便座に腰掛けても、あまりの痛さにお小水が出なかった。力を入れると、いきんでしまいそうで、ダメだった。仕方なく回復室に戻り、導尿してもらった。また、そのころの子宮口の開きを確認する内診は、あまりに痛く気が狂いそうだった。子宮口はなかなか開かず、破水もしなかった。助産婦さんが現れるのは、主に胎児の心音を確認するためと、子宮口の開きを確認する内診するためと、分娩監視装置をつけるためだったが、その頃には「もう、切ってください。」と、弱音を吐いていた。実際、帝王切開になるかどうかが、決定してなく、それもいつ決定されるのか分からないままだったので、その弱音につながっていた。夜の11時には、また交代があるようで、3人目の助産婦さんに代わった。この方が結局最後に分娩まで立ち会ってくれた助産婦さんとなった。なかなか状況は変わらず、歩き回ったり、座ることを進められ、学さんの背中にしがみついた形で、座ってもみたが、その形ではどうしてもいきみ逃しができず、また、横になってしまった。 |
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03-31-2001 (38w+3d) |
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時計も翌31日0時をまわると、陣痛に気づいて20時間経ったことになる。ずっと、一緒にいきみ逃しの呼吸法をしてくれていた学さんにも疲れが出てきていた。いきみ逃しの呼吸法は、いくつかあるが有名なヒッヒッフーは、なぜかできず、長い深呼吸のようなフーフーかフーウンと最後にちょっといきんでしまうような呼吸法しかできなかった。午前2時頃の内診では、やっと子宮口が7センチまで開いていた。でも、終わりの見えないこの状況に、そのときも「切ってくださーい。」と、懇願していた。助産婦さんは、「切ったほうが、後が大変なのよ。」と、いろいろ諭してくれ、頭では分かっているが、口から出るのは、「切ってくださーい。」だった。子宮口は、もうペラペラになっていて、内診の時に指で押すと、子供の頭がくるっと触れる状況だとのことだった。それでも、まだ分娩台には、上れなかった。その頃には、もういきみ逃しが本当にできなくなっていて、1回の陣痛の間に繰り返されるいきみ逃しの呼吸の中、1回は軽くいきんでしまっていた。助産婦さんにも「あなた、ちょっといきんでるでしょ。」と、見透かされていた。 午前3時頃にやっと、助産婦さんの「じゃ、分娩室に移動しましょう。」という言葉を聞くことができた。このとき、陣痛で辛いのは、痛みじゃなく、いつまで続くのか分からない、先が見えないという状況が辛いのだと分かった。もう、いきんでいいという状況に気が軽くなったが、今度は『ちゃんと、いきめるんだろうか』という不安が襲ってきた。でも、やるしかない。助産婦さんに支えられながら、分娩室に移動し、台に上がった。頭の上にあるバーはいきむ時に掴むものだが、私の身長に合わせて移動し、固定された。消毒された布で足を覆い、お腹も上にも消毒された布がかけられた。お腹の上の布には、子供が娩出され、見せてくれるときに乗せるらしく、私も手を置かないでと、注意された。導尿し、破水してなかったので、人口破膜した。ねじ切られる感じの後、水が流れ出したようだった。いきみ方の説明を受け、「1時間で終わるようにしよう。」という助産婦さんの言葉に『え、1時間もかかるのか』と、思いながらもいきみを開始しようとした。しかし、陣痛が来なくなってしまった。脇についていた看護婦さん達は、私の乳首を刺激し始めた。そうすると、陣痛がくるのだそうだ。確かに陣痛がきて、2回深呼吸した後、息を止めていきんだ。お腹が上がってしまったらしく、「反らないように。」と、言われて、両脇の看護婦さんに押さえつけられた。陣痛の合い間に、頭の方にいる学さんにお水を飲ませてもらいながら、陣痛を待ち、いきんだ。助産婦さんのリードしてくれる言葉を頭では分かっているが、言われたようにいきめているか分からず、不安だったが、「そうそう。今の上手よー。」というお褒めの言葉で、これでいいんだと安心し、がんばれた。30分位経った頃に看護婦さんが分娩医に電話をかけて呼び出していた。呼び出されたお医者さんは女性の方で、助産婦さんが「あ、また、先生と一緒ですねー。この間もそうだった。」と、和気藹々としていた。お医者さんは麻酔を打って、会陰切開に備えているようだった。多分、いよいよ出るぞという瞬間、切開されたと思うが、よく分からなかった。子供が出てくる感覚は、なんとも説明し難い。1回のいきみで、どこまで出たのか分からなかったが、「お母さん、もう一度いきんで!」と、言われ、『頭、出たら、もう、いきんじゃいけないって本に書いてあったよーな』と、思いながら、最後のいきみを行った。 出た〜!「産まれた!産まれた!子供は元気ですか?」と、叫んでいた。助産婦さんは「手足、指5本ずつあるね」と、応えてくれた。『元気かどうかは、これから調べるのね。とにかく、外見は問題ないのか』と、思っていた。元気な泣き声も聞こえてきた。初対面はお腹の上に乗せられたときだった。元気に泣いている。学さんも「よくきたねー」と、喜んでいた。私の名前が付いたベルトが子供は足に、私は左手首に付けられた。これは退院までずっと外さないベルトだった。でも、すぐ子供は連れて行かれてしまった。後産はいきみもしなかった。助産婦さんは「あら〜、へその緒細いわね〜。胎盤も小さい。お腹大きかったのに、子供も胎盤も小さいわね〜。何が大きかったのかしら。」ということを言っていた。長かったのは、縫合だった。お医者さんが1時間も縫ってくれていた。切れすぎていたのか、お医者さんが不器用だったのか分からないけど、麻酔が切れそうになって、3本くらい打ち直した。ずっと股を開いた状態だったので、終わった後は自力では股を閉じることができず、手で戻した。縫合が終わる頃には、点滴で入れていた子宮収縮剤のバッグも空になっていて、点滴が外された。陣痛のとき、何かにつかまったりして、手を動かしていたので、グリグリ針が動いてたらしく、結構な痕になってしまった。助産婦さんが大きなお産パッドをしてくれ、お腹を冷やすクーラーバッグを当ててくれた。その後、助産婦さんが子供と学さんを連れてきてくれた。白いパイル地の産着を着た我が子は、まだ環境の激変に戸惑っているように弱々しく見えた。でも、助産婦さんが「じゃ、おっぱい吸いましょう。」と、右の乳首に子供の顔を近づけてくれた途端、我が子は元気よく乳に吸い付いた。本能とはいえ、すごいと思った。でも、まだ、母乳は出てない。「じゃ、左も。」気持ち程度、左の乳に吸い付いた。2度目の対面は15分ほどで終わってしまった。私はそのまま分娩台の上で1時間休むことになった。疲れてはいたが、興奮して眠れはしなかった。そして、1時間後、車椅子に乗って、分娩室を出ることになった。これが私の出産だった。 |
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