ノーエ節/野毛の山から/さいさい節

                                   
last correction:2012/09/05   kodama@a05.itscom.net
       

                       
野毛の山からノーエ 野毛の山からノーエ  野毛のサイサイ 山から異人館を見れば
お鉄砲かついでノーエ お鉄砲かついでノーエ   お鉄砲サイサイ かついで小隊進め 

天満橋からノーエ 天満橋からノーエ  天満サイサイ 橋から城の馬場を見れば
鉄砲かついでノーエ 鉄砲かついでノーエ  鉄砲サイサイ かついで小隊進め

 「新版日本流行歌史」  古茂田信夫他 1994 より 


替唄 「旅順港から」  ― 「日清戦争流行歌曲譜付き」 明治27年/1894 町田桜園より

旅順港から ネ−エ 旅順港からネーエ
旅順サイサイ 港から支那兵を みれば
           

    
                                                     
元唄を町田桜園の旋律で唄う 

なんとこれは、シドミファラシの都節/陰旋ですネ。 堀内敬三の 「ノーエ節」 は 「維新マーチ」 から転化したものではないかという説も尤もな気がします。堀内敬三いわく:
俗に「維新マーチ」と呼ばれて現存している鼓笛の曲は、鹿児島藩で「英式」と呼んでいたものを海軍軍楽隊が後に至って採譜したので、この曲折は英国の鼓笛隊が今も奏している曲(Ynakee Doodle に似たもの)が日本の篠笛で吹かれたために転訛したものらしいから、鹿児島藩が英国指揮訓練を採用したことと思い合わせてこれがこれが直接に英国から鹿児島へ入ったのではないかと思われるが、この曲は甚だ広く知られていて、幕末の流行歌 「野毛の山からノーエ」 の旋律がさらにその転訛であるらしいこと云々(以下省略) (音楽50 年史 P13)

では、「本邦洋楽変遷史」ー三浦俊三郎(−1937)から その維新マーチを聴いてみましょう。
  維新マーチ                                                            

しかし、町田桜園の記録した旋律が「正調」だったというわけではないようです。 というよりも、田舎節/陽旋で唄われていた地方の里謡が町にながれて三味線の影響を受け都節に変化して流行る という多くの例の逆で、実際世に流行って後に残ったのはこの田舎節の方だったワケでしょう、、、もっと古い事例を見てみましょう。 


オッペコヒャラリコ − 「吹風琴独案内」 明治23年山本桃水より  

オッペコヒャラリコ ノーエ(8-3) オッペコヒャラリコ ノーエ(8-3 
チイチがタイタイ トチトノ(8-4) オッペコヒャラリコ ノーエ(8-3
    オッペコヒャラリコ 山本桃水     
                                                             
        

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