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風呂敷の起源

呂敷という呼び方が広まったのは、わりと最近で江戸時代の話。ですが、物を包むのに四角い布を使った歴史は相当古く、聖武天皇の時代(西暦七百年代)でも使っていたとか。正倉院の宝物の多くが、四角い布に包まれていたです。ただしこれらは正方形とは限らず、複数の布を縫い合わせた物もありました。それでも、これが風呂敷の原形だと言って差し支えないでしょう。

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平安時代

 安時代と言えば、女流作家の文学作品が多い時代。彼女らの残した文章には、日用品に対する記述も多くありまして、風呂敷の原形と思われる包み布も多く登場します。中でも目を引くのは「紫式部日記」にある記述。それによるとどうやら、穢(けが)してはならない大切なものは、特別な四角い布で包んだらしいです。穢れを祓う意味があったのでしょう。また、そのような特別なもの以外にも、衣装を包んだりするのには多く布を用いたそう。なお、このころそれらは「ころもつつみ」と呼ばれていました。

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戦国時代

 乱の世の中になりますと、 世の中少し物騒で、なんでも討ち取った敵の頸を包むのに、布が使われるようになりました。頸は自分の手柄の証であり、自分の陣地に持ち帰るものです。しかし、死者の身体を冒涜してはいけません。そこで、四角い布を使ったのでしょう。平安時代の例で書いたように、布は「穢してはならないもの」を包むのに使われてきました。だから取った首は布で包むことが礼儀である、というようになったのだと思われます。むろんこの時代にも、庶民が日常生活で物をくるむのに布を使っていて、それらは「ひらつづみ」と呼ばれていました。

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江戸時代

 にも述べたとおり、「風呂敷」という名で定着するのはこの時代です。江戸では庶民の家に風呂などついていませんでしたので、みんな風呂に入りたいと思ったら公衆浴場へ行きました。そしてこのとき、風呂道具を入れて行き、入浴中には脱いだものを包んでおき、出るときには床に敷いて足を拭うのに使われたことから、この名が定着したものと思われます。

 その後も、例えば行商人(貸本屋だの小間物売りだの・・・)の荷物を包むのに、旅の荷物を包むのに、急な災害時(江戸と言えば火事、そして地震ですから)に家の道具を運び出すのに、などなど。様々な場面で「ものを包むもの」として使われていました。ちょっと物を持ち運ぶ、とか、ちょっとものをしまっておく、というときにも、必ず風呂敷に包みました。また、娘が嫁入りをするときには、どんなに貧しくても必ず、風呂敷を嫁入り道具の一つとして持参したそうです。もちろん金持ちの娘は、絢爛豪華な(でも実用はしない)風呂敷を持っていたとか。

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明治以降

 うして生活に密着していた風呂敷ですが、明治以降は西洋の「カバン」が大量に入ってきて、次第に姿を消していきました。昭和初期くらいまでは、たとえカバンを使っていても、誰でも風呂敷を併用していたのですが。洋服を着て風呂敷包みを持つ、というのもごく自然な光景でした。しかし今では、結婚式の引き出物を包むくらいしか出番が無いかもしれませんね。

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