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物語「彼岸花の天ぷら」 物語「彼岸花の天ぷら」彼岸花を見ると、おなかがすくと言った人がいた。最初のうち、本人にも理由が分からなかったらしいが、ある日いきなり、「分かったんだよ。」と言われた。「あれ、紅ショウガに似てるからなんだ。」かなり笑った。 そのことに気がついたのは、妹のままごとにつきあっていてらしい。まだ小さい妹が、「はい、焼きそば」といいながら、隅に彼岸花を載せた器を彼女に差し出したのだそうだ。それでやっと分かったと言う。なるほど、姉妹で同じような感性を持っているらしい。 彼女は昔から、一般の「なんとなくイヤだ」という感覚をあまり理解しない。「彼岸花って、なんとなく気味悪くない?」ときいたら、「なんで? 別に?」で終わりにされた。それどころか、「あれ、料理にできないかなあ。おいしそうだと思うんだけど。」とまで言い始めた。私の記憶によると、彼岸花は毒を持っているはずだ。それを彼女に伝えると、彼女はさっそく図書館に行ってしまった。彼女は、頭がいいし行動力がある。だけど、それはあまり有益な方向に発揮されていない気がしてたまらない。 「やっぱり、毒あるみたい。」次の日、彼女はご丁寧にも「小学館 日本大百科事典」とメモをしたコピーを見せてくれた。「ヒガンバナ科の多年草。曼珠沙華(マンジュシャゲ)、死人花(シビトバナ)ともいう。」「アルカロイドのリコリンを中心とする猛毒成分を含む」とある。「彼岸花の天ぷらはあきらめなよ。」と言うと、「でも『救荒時の食物にした』とか、『幾度も水にさらして食用にし』治療に使ったとか書いてあるじゃん。」と、あきらめていない様子だ。救荒時にしか食べないのは、つまりおいしくもないからだと思うのだが。 「やめといた方がいいと思うよ」と一応忠告しておいたけれど、その後彼女が本当に試したのかどうかは知らない。少なくとも、彼岸花の毒に当たったという話は聞いていない。 平成十三年神無月・初版執筆 これは大学の国語の授業で書きました。「彼岸花もしくは金木犀について、広辞苑や百科事典などで調べ、その引用文を含めた作文を八百文字以内で書け」という、なかなかすごい課題です。「作文」って何だっけ、とかなり本気で悩みました。結局、金木犀の方を選んだ人の方が多かったようです。彼岸花の方が逸話が多くておもしろいと思うのですが。 実話だと思った人もいましたが、これは随想調の創作物語です。フィクションです。こんな友人、私にはいません。そして、やっぱりこれは「作文」の定義に入らなかったらしく、偉く成績が悪かったのを覚えています。 物語「しおり」青信号になった瞬間、人々が一斉に駅の方へ流れ始めた。その様は、いつも杏子に川の流れを彷彿させる。杏子はその先頭を走り、地下への階段を滝壺に水の落ちる如く駆け下って、始業に間に合う最終電車に飛び乗った。 ドアの横のスペースを陣取って、杏子は肩で息をしながら、古い文庫本を開いた。いったい何をこぼしたのか、大きな亜麻色のシミができている。むやみに多い漢字には、「円(まろ)やか」だとか「矢鱈(やたら)」だとか、鉛筆でルビが振られていた。父の字だ。父がとても身近に感じられて、杏子は思わず微笑んでいた。 杏子の父は、数年前に他界した。無限に続く物など無いことを、あの日知った。遺品を手に取れるようになったのは、ごく最近だ。近頃では、少しでも父のことを知りたくて、片っ端から彼の蔵書を読んでいる。 何ページかめくって、杏子は動きを止めた。そこには、押し花をすき混んだしおりが一枚挟まっていた。何の変哲もないしおりだが、添えられていた言葉が、「十月二日 今日の花:杏 花言葉:乙女のはにかみ」。十月二日は杏子の誕生日である。今まで知らなかった名前の由来を理解して、杏子はつい吹き出した。なんて単純でロマンチックな命名だろう。自分にも、そして記憶の中の不器用そうな父にも、全く似合わない。 「次はぁ、円山台〜、円山台〜。お出口はぁ、左側に、変わります」 鼻にかかった声が学校前の駅名を告げ、杏子をいつもの電車の中に引き戻した。杏子は驚いてしおりをページの間に戻し、文庫をパタンと閉じる。そして、教室までのダッシュに備えて、靴ひもをギューッと結び直した。 平成十二年神無月・初版執筆 この作品は、実を言うと高校の課題で書いたものでした。四百字〜六百字、そして「水」「無限」「スペース」「まろやか」「亜麻色」の五つの単語を必ず使わなくてはいけない、という条件付き。この五単語が、違和感なく収まっている、と感じていただけると良いのですが・・・ ただし、知人に「最後がイマイチ」と忌憚のない意見をいただいたので、後日になって一部書き直しました。おそらく、六百字におさまってはいないでしょう。 ちなみに、授業内での発表・講評は匿名制でして、そのとき「いつも(花言葉とか)こういうことを考えている人なのかな、と思いました。」だとか、「美人作家であって欲しいです。」とまで言われ、絶対に名乗り出てはいけない、と身を固くしたものです。私は書きながら展開を考えるので、決して最初からこの結末を考えていたわけではないのです。「杏子」という名前の方が先に決めてあって、どう収拾着けて良いか悩んだときにふと思いつき、わざわざ花言葉を調べて、「よし、いける」と思っただけでして・・・ 随筆「街角のお地蔵さま」駅に向かう途中で、時々お線香の匂いを嗅ぐことがあります。てっきり、近所の仏壇か何かから漂ってくるのだと思っていましたが、どうやらそうではなかったようです。ある日、いつもと違う時間にそこを通ってみると、普段は閉まっている扉が開いていて、中にお地蔵さまがいることが分かりました。お線香は、そこにそなえられたものだったんです。 時々は、そこから「デン、デン、デン……」と太鼓の音が聞こえることもあります。お地蔵さまを祭っているようです。どうも、一人のおばあさんが、定期的に通っている様子。最近では、赤いのぼり(「木月延命地蔵尊」)まで立ちまして、正月などの特別な日にはさらに華やか。私が小さい頃は、もっと地味〜にひっそりしていたはずなのですが…… いったい、誰がどうして、もり立てているのでしょう? まだ、お賽銭をあげたことも供え物をしたことも、そのおばあさんに話しかけたこともありませんが、機会があったら話を聞いてみたいなあと思っています。お地蔵さまに対する信仰って、どういうものなのでしょうね? 神道の一部なのでしょうか。さらに、どうして最近になって、大切にするようになったのでしょうねえ。誰かが、このお地蔵さまに願掛けをして、救われたりしたのでしょうか。 事情の程は分かりませんが、地元の忘れられかけていたお地蔵さまを、誰かが覚えているんだと分かったのが、なんだか嬉しい気分です。よその街を歩いていても、案外とお地蔵さまや小さな社などポツンとあったりすると、妙にホッとします。が、それがさびれた様子だと胸が痛みますから…… 別に、信者(?)でもなんでもないのですけれどね。
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