背後に誰かいる。振り返ってみた。
黒い影がソファの上で身動きしていた。慌てて電灯を点け,
「…………」
俺はがっくりと肩を落とした。
放り投げた背広が,ちょうど頭にかぶさったらしい。そいつはうるさそうに背広をはねのけ,顔を出したとたん,眩しそうに顔をしかめた。ぼさぼさになった黒髪に,はれぼったい瞼。あんまり見慣れない表情だが,見慣れたヤツには違いなかった。
……しかしなぁ。こいつといいキルスといい,何で俺の部屋に勝手に入って勝手に寝ていくんだろう。
「……おい楓。起きろ」
楓は半分だけ開けた眼で俺を見上げた。それから寝転がったまま腕だけ伸ばして,床に落ちた背広を拾い上げる。何をするのかと思って見ていたら,布団代わりにかぶった。
寝た。
「…………」
……まぁいいか。眠いなら寝かしといてやろう。
ソファで寝てるあたり,多少は遠慮があるのかもしれないしな。これがキルスだと,平然とベッドを占領するわけで(酔っ払ったかなんか知らんが,せめて裸で寝るのはやめてくれないかな。心臓に悪いから),そうすると俺がソファで寝にゃならん羽目になるのだ。
ああ,それはそうと,
「おい楓,背広返せ」
何もソレを布団にすることもないだろう。予備の毛布とかあるし。
揺さぶると,楓は背広をがっしり握ったまま,ますます丸くなった。単に寒いんだろうな。体を縮められるだけ縮めて,肩から足先まで潜りこませようとしている。
が,それならなおさら毛布の方がいいだろ。だから俺の背広にくるまるのはやめてくれ。
シワになるし,その,絵的に何だかヤだぞソレ。
「楓,聞いてるのか? 寝ててもいいから背広は返せ」
「…………」
さらに丸くなった。
「…………」
おまえがいかに眠いかしらんが,俺だって眠い。
面倒くさくなって布地を思いきりひっぱった。が,どうも強くひっぱりすぎたようだった。あるいはちょうど手を離そうとしたところだったのか,とにかく,バランスを崩した楓の体は,ソファから転がり落ちてきた。
楓の手が反射的に俺のシャツを掴み,俺もつい支えようと手が出てしまった。結果,俺たちはもつれあって倒れ,床に転がった。仰向けになった俺の腕の中に,楓の体が倒れこんでくる。意外に柔らかな黒髪が,俺のあごをくすぐって,
っておーい管理人! アンタ,いったい何を狙ってる!? (ウケに決まってるだろ)
罠の予感に,俺が慄いたその時だった。
まさしく管理人が狙ったようなタイミングで,
「まことぉ,いるー? ちょっと用があるんだけどさー」
玄関から声がして,返事も待たずにキルスが入ってきた。
「…………」
痛い沈黙。
彼女は,ただ無表情に,抱き合うような格好で床に転がる俺たちを見下ろした。
そしてその背後に。やはり無表情で俺たちを見下ろす泪さんが。
「…………」
「…………」
「…………」
痛い。沈黙が痛い。
とりあえず何かを。何かを言わなくてはなるまい。
⇒ 「泪さん,誤解です!」
⇒ 「楓,おまえも何とか言え!」
⇒ いや,何を言っても無駄だろう。素直に逃げよう。
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