丹巴 女王谷   第三部

4月13日(晴)  本日の予定   丹巴(ダンパ) → (巴底/バディ) → 邛山(キョンシャン)  【丹巴滞在】

朝、7時専用車でホテルを出発 朝食は昨日と同じ大金川傍の食堂でおかゆと万頭。
7時半 大金川の上流 巴底に向う。そこで地元のTAXIに乗り換えて山の斜面を登って
邛山鎮(標高≒2400m) に行きます。 この村には領主の館跡があります。

巴底(バディ)鎮
此処で巴底のTAXIに乗り換えます。
どこにTaxiがいるのかと思ったら、日本で言う
軽ナンバーの『赤帽さん』ボックス自動車が2台。
これに乗客6人づつを詰め込んで山道を登ります。

道も怖かったけれど このTaxi無事に上まで
行くのかと思ったら・・・・

ヤッパリ 2台目のTaxiは途中でオーバーヒート
2台目も6人とCameraを持ってます。
対岸のなだらかな所にも住居や畑もあるのですが、
何処から水を引いているのか?
何処から登っていくのか?
急坂と急カーブの連続の道が続きます。

山向こうの部落の人たちが尾根に白い布をいっぱい
たすきがけにしています。なにかの祭祀が行われと。

大川氏が以前巴底から歩いて邛山に登った時は
2時間かかったとか。
地元の人は1時間で登るそうだ。

何回かTaxiを休ませ、後ろを押して約1時間以上
無事に邛山部落が見渡せる所に到着。
中央の建物が大昔の「領主の館」跡です。

先ほど紹介した対岸の部落がかすかに見えます。
現在地よりも高い所に畑と住居があります。

畑 麦が植えられていました。 一人農婦が
畑仕事に励んでいました。作物が作れるところは
何処までも畑です。

 住居 お天気も良く洗濯日和です。
 立木proは洗濯物がある写真は大好きだそうです。 何でも人間臭さが出るそうだとのご指導。

旅団長     立木pro(中央)
行軍司令官  李 慶 氏(左) 中国のガイドの親分
情報教育長官 大川 健三氏(右) 成都在住

領主の館 跡です。
約800年ぐらい前に建立されたが
今は誰も住んでおらず荒れるがままの状態。
あまりにも大きく全部が収まらない(広角18mm)。
昔の文献に依るとこの館を取り囲む付属の
建物が有ったそうだ。 裏へ回って見たが窓は無く
小さな入口が一個しかない。さぞや暗い生活だったろう。

自然はとっても厳しいのですが人々は
今日の日差しのように暖かい気持ちの人
ばかりでした。

下山時刻も迫ってきました。   
邛山の妹妹が見送りに来ました。

元来た道を下山します。道路は所々崩れたり
ガードレールも無くゆれるTaxiの中から撮りま
した。 地元の運転手がこの道路状況を一番
知っているから頼んだそうです。


明日は第二の目的 巴旺(バワン)の子供達と
交換会です。 楽しみです。

4月14日(薄曇)  今日の予定は結構忙しいのです。    

 丹巴 → 巴旺の石塔 → 学校 → 古刹 → 丹巴に戻る(昼食) ⇔ 中路       【 丹巴滞在】  

08:00ホテルを出発 昨日と同じ大金川上流に向います。 川沿いに巴旺(バワン)鎮があり、午前中は
巴旺で写真撮影や小学校へ訪問します。 午後は中路(チュウロ)鎮へ行きます。 

命の誕生
車の乗り換えした家の庭でヤギが2匹子供を
生んでいました。
生まれたてで胎盤がついてます。母親が
一生懸命なめていました。 時々子供が
ピクリと動き生きいている事に感動しました。 

巴旺の石塔  大金川対岸にも何基か見え始めました。
女王谷の石塔(別名-石チョウ●)の歴史は古く、新しいものは百年前後 
古いものは一千年前のもあるそうです。 目的は色々とあるようです。
又、今まで何箇所かの村=鎮へ訪れましたが、同じチベット・ギャロン族なのに
各集落は意外と孤立しており 、争いごとは絶えなかったようです。 石塔に関する詳細な記録は
無いそうですがこれらの事から 石塔の必要性が重要になってきたと推測されます。
                                           ( ●-チョウウ 石編に周 )
石塔の役割は大きく分けて三つに分けられます。
1、防衛・戦闘ー 見張り台、狼煙台 - 交通の要(カナメ)地点
2、住居ー 穀物類の貯蔵庫、抗争時の要塞 ー 窓は小さく、出入り口は2、3階にあり丸木梯子を使う
3、象徴ー 家や部落の権威の象徴、祭祀に使用

此処より大金川上流の眺望

階層、形態
 高さは15m~50m位有り、30m位が最も
 多いそうです。内部は3m/h位で仕切られ
 高い層は13層も有るそうです。
 かなり古い物ですが建築技術はたいした物です。
 20m/h位の石塔です。

大金川上流を見張っていて  

オーイ 村の衆 北から不審者が来たぞー」

「オーイ 下の部落にも知らせろヤー
早く 狼煙タケヤー」  とやっていたのだろうか・・・

形態
4、5、6、8、12、13角が有るそうです。
4角形が最も多くて古い時代の物だそうです。
この塔の入口は右側にあり出入り口は2階部分のようです。
入口から上部を見上げると、中の木部は全て無くなって
いて煙突状になっていました。内部はかなり狭い。
窓は入口の左上と真ん中と上部にあるだけです。
下をのぞくと地下室の横穴部屋があり釜戸のような石積みが
見られました。

石壁の厚さは100cm位あり、平らな石と漆喰で
組み合わせ固めてあります。
この石塔はいつの時代に建てられたか分かりませんが
当時の石積みや石細工技術は実に素晴らしい。

10時を過ぎました。子供達との面会約束は10時半.
まだ写真を撮りたかったのですが学校へ向います。

休憩室を設けましたのでお立ち寄り下さい

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