丹巴 女王谷 第二部

4月12日(晴)   丹巴滞在 

本日の予定 丹巴 ⇔ 甲居(ジャジュ)鎮   
丹巴から車で約30分大金川を北に向かい、途中から急峻な道を30分余り登ると甲居に到着。
この村にはチベット・ギャロン族が住んでいます。人口約800名 民居数は約150棟あります。 

朝8時半 滞在地の丹巴(ダンパ)は谷底です。
未だ朝日は差し込んでいません。対岸の斜面
にも畑と住居があります。甲居は海抜2300m
辺りですから対岸の村の一番上は2500m位
あるでしょう。山肌の細い線は畑、白い点は住居

甲居の村に到着です。この村は大金川の下の地区(1900m)から中、上の地区(2300m)までと
標高差はかなり有り、面積もかなり広いです。
対岸の山が朝日を遮っています。
今日は皆、この村で一日写真撮影です。

完成直後の家
家具は未だ無かった。

民族衣装の妹妹(ネーネー)-お嬢さん

名前は「斑瑪」(バンマー) 女王谷は美人の宝庫

村の風景

バンマー(斑瑪)はこの村の出身
(下の地区)です。夕方から彼女の家
で夕食や民族踊りを見せてくれます。

今回、我々ツアーのため成都から帰国日
まで同行してくれました。
モデル兼ガイド(日本語は無し)、そして
いつもニコニコ係り。

左の大きい建物が今日の昼食場所
甲居唯一の休憩所で『甲居接待中心』です。                 接待センターの客間 此処で
                                           食事と仮眠が出来る この椅子がベッド
                                           になります。


 昼食  左手前から
 ドクダミの根っこ 漬物風味 例の香りだが美味しく食べた
 ふかしジャガイモ
 コンシンサイの炒め物 最近日本でも出回っている食材だ
 木耳(キクラゲ)と肉 煮込み風
 山菜の辛子炒め
 大根のスープ      焼いたパン   他数種でたがおいしく頂いた。

接待センターの妹妹   三様 

昼食を終えて皆は休憩や村の写真を撮影に出かけました。

私達 ガイドの李慶、斑瑪妹妹、大川氏と第二の目的
『女王谷の子供達と交換会』を行う為、巴旺(バワン)村
の小学校へ交換会のお願いに行きました。

斑瑪妹妹も此処の小学校を卒業しています。
校長先生が快くOKを出してくれました。
14日学校訪問が決まりました。楽しみです。
中央が校長先生 守衛サンかと思いました。

小学校は甲居(ジャジュ)から一旦大金川へ下りそこから
約20分ほど更に上流、北に行った所にあります。
甲居へ戻る途中 又、ハップニング。

美女谷 チベットギャロン族の民族衣装

大金川と甲居下地区               

学校の打合せが終わり
再び甲居に戻る為大金川横の道を
走っていると、タイヤがバースト。
予備タイヤに交換して甲居に向いましたが
山道の途中で再びパンク アウト。
 救援車が来る間山道で撮った写真です。
眺めは良いが急坂、落ちたら大金川へ
直行でしょう。

大昔は山々には木々が山頂まで有った
そうです。長い年月の間に木々は
燃料や家具に使われ無くなってしまった
そうです。
それと、中国の山はまだ動いているそうで、
何年かに土砂崩れが有るそうです。
この写真の中央、川の上流右側が白っぽく
なっていますが、崩落した所です。

この地方の人はこんな自然と闘いながら
生活をしています。
しかし人々は明るく気さくな人たちが
沢山居ました。

学校や斑瑪妹妹の実家は更に上流です。

みんなが横だ、前だ、言うから
笑い始まると止まりません。

斑瑪のおバーさんが作ってくれた
刺繍のサッシュベルト

帽子? これは自分で刺した
刺繍です。

皆 妹妹に挟まれて記念撮影を撮った後 斑瑪妹妹の自宅へ向います。  スタッフ全員記念撮影

バーストしました。予備
タイヤの交換

チョットした中国語講座

ニコニコガイドの名前(斑瑪妹妹)の後ろに 『妹妹』と書いていますが『お嬢さんとかオジョウチャン』
と言う意味です。
中国にはもう一つ 『小姐』シャオチェ- と言う呼び方があります。両方とも通じますが、
これは『オネ-サン』に近い。 6、70歳の人でも 『小姐』と呼ぶと振り向かれます。
水系はシャオチェーの方が良く通じます。


学校帰り村の子供達  
皆ニコニコ 一緒に帰ろうと誘われます。
朝 我々のマイクロバスとすれ違った時
沢山の子供達が敬礼して見追くっいてました。

子供達の家は石塔が建っている所に有るそうです。
学校までは一時間は掛かるとおもいます。

数年前人家の後ろの住居区が崩落しました。
沢山の家が土砂と共に崩落したそうです。

斑瑪妹妹の実家 

 立派な門柱の自宅です

   どこの家も、屋根の上に小さな塔が建っていて壁の
上部に紅と黒と白が帯状に塗られている。
又小さな塔の4隅には3角形(月牙)の突起があり厄除けと
言われ、東西南北四方の神を現している。庇部分には
龍の様な飾りが四方に付けられていた。

玄関のひさしの裏 
どこの家も描かれています。

客間 此処で酒宴と・・・

台所 

       熱烈歓迎
一階は家畜小屋と倉庫になっている

名物の餃子を作って
くれました。

食前酒  大麦を発酵させた物
薄甘く美味しかった。

斑瑪妹妹とお母さんです。 美女谷と紹介されるのも当然です。 
女性は皆 頭に帽子?を付けていますが、男性の大半はくすんだ
上着を着ています。 オトーサンは何方か分かりませんでした。
  親戚の人も総動員で歓迎してくれました。

お手伝いに来てくれた親戚のおばさん

ギャロン・チベット族 民族衣装 正装       

全員正装しました。何でも斑瑪妹妹のお祖父さんが結婚式に着たとか  年代ものです。

男性のは筒状になった分厚くて重いコート生地みたいのにヒョウの毛皮が縫い付けてあり、
左肩には顔が張り付いており二人掛りで着せてもらいます。                              袖も筒状ですが手を下げると膝くらいまでの長さです。
着ている間ずっと手を上げたままで着終わるころには汗ビッショリになります。
帽子も毛皮の頑丈な作りでこれまた、重く暑かった。 更に幅広の勲章ベルトみたいのを
肩から下げ、勾玉みたいなネックレスを下げ白いスカーフ首にかけて正装完了です。
女性のは先に紹介した斑瑪妹妹のような洋服ですが前併せになった服を着てました。
女性陣はみんな10歳以上若く見えました。

全員9名試着し記念撮影をしましたが一時間以上かかりました。

チベット・ギャロン 伝統踊り

夕食後、中庭でチベットの踊りを見せてもらいました。 
屋根には大型のトランペット据付けられて軽快な音楽が鳴り響いていました。
斑瑪妹妹の踊りの後みんなが輪になって踊りました。


近所の若い妹妹や斑瑪妹妹のオカーサンも
一緒に踊ります。
オチビサンも踊りの中に入ってきました。
小さい時から一緒に踊って覚えているのです。
我らが旅仲間も誘われて一緒に踊りのひと時を
過ごしました。

夜も更けていつの間にか21時
慌ててホテルに帰りました。

明日(13日)は更に北に向った巴底(バディ)から
山の上の邛山(キョンシャン)鎮に行きます。

第二部を終わります。 以下次号

女王谷 第一部
女王谷 第三部