2007年1月4日
国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認訴訟(こころの自由裁判) 口頭弁論を傍聴して②傍 聴 記
元県立高校教員(かながわ定時制教育を考える会代表) 中陣 唯夫
12月7日横浜地裁。早いものである。昨年の7月27日、いわゆる「日の丸・君が代強制」に対して原告107名、弁護団86名で「起立・斉唱義務不存在の確認」を求めて横浜地方裁判所に提訴して約1年4ヶ月、「神奈川こころの自由裁判」は第7回の口頭弁論を迎えた。
これまでの弁論での現役教職員のすばらしさは、自分の半生を通して培われた深い思いと、その職責から子どもたちへ「不条理」を担わせてはいけないという不退転の決意が込められたもので、一人でも多くの人に伝えなければいられないような、特に現役の教職員の方々には極上の「研修」として傍聴してもらいたいものだった。
口頭弁論の意見陳述に、長年にわたり定時制教育に関わり経験交流してきたA氏が立たれると聞き、文字通り万難を排する思いで傍聴にかけつけた。
地裁の前には暖冬とはいえ冬の装いをした長蛇の列がいつものようにみられたが、傍聴定数45名に3、4名超える程度である。抽選漏れとなった前回よりは少ない。まずは抽選漏れにはならないという安心感と、もっと多くてもとの不満の思いもきざす。
しかし、この背景を考えるに、教育現場が学期末で多忙な上、書類等の「雑務の肥大化」と管理統制の強化が反映していること、さらに国会会期末の15日を前に衆議院を通過した「教育基本法改悪案」が参議院で可決成立するかもしれないという緊迫した状況の下、国会と横浜地裁とに体を二つに割かれるような思いで国会での請願抗議行動を展開している人も少なからずいるという事情もあったようなである。
思えば、自民党・公明党の与党が多勢を組んで改定理由も判然とさせ得ないもとで、カンナクズに火をつけるように「教育基本法」を焼却しようとしている、まさに歴史の大転換点を感じさせる日の口頭弁論である。
いつもの101号法廷。そそくさと遅れぎみに入ってきた県教委の幹部らしき人々が傍聴席最前列に着席する。めずらしいことだ。左側の原告席に20名をこえる代理人弁護士や原告、そして右側被告席にはいつもの代理人弁護士と県幹部の指定代理人が10名ほど。
午後4時開廷。冒頭、原告代理人弁護士のひとり、神原元氏が『準備書面(3)』をもとに陳述を始める。B5判88ページに、総字数約8万字に及ぶ『準備書面』を大意をたどるように約20分ほど、多くの傍聴者の心に快哉と粛然の思いを刻印するかのような陳述が諄々と展開された。
特に印象に残ったのは、「日の丸・君が代の強制」が心身にどんな影響をもたらすかを社会心理学の「認知不協和の理論」や心理学でいう「防衛規制」や「不適応」の概念、比較文化精神医学の教授が予防訴訟を起こした都立学校教職員を対象とした聞き取り調査をまとめ東京地裁に提出した『精神医学的意見書』などを援用して、この「強制」の罪悪性を指弾したくだりである。
これは同時にこの裁判原告の証言にある苦哀を裏付けるものとしても援用されており、それだけ説得性のある陳述となり、気鋭の整然溌剌とした弁論は快いものだった。
これと対比的に思い出されたのは、9月21日の東京地裁の判決(都教委行政を断罪、教職員と生徒の思想良心の自由を最大限尊重した判決)に対して、松沢神奈川県知事が「教師が(国旗・国歌に)敬意を払う態度を示さないのは教育上好ましくない。起立するよう指導を繰り返し、何度繰り返しても従わないのなら処分の検討も必要」と述べたことである。
この神奈川県の首長にとって「指導」と「調教」とは、ほぼ同義語として理解されているようである。これは人間観の狭隘さより生まれ教養が低位置になってしまった結果と私には思われる。
こうした短絡的認識は、神奈川県雇用の弁護士の『準備書面(3)』(2006年9月28日提出)にもみられる。先の東京地裁の判決を受けて、当初都教委の論理とうり二つであった「(日の丸・君が代の命令は)外部行為を命じるものであり、内心領域における精神活動まで制約するものではない」との主張をチャッカリ変更、「人の内面的領域における精神活動の自由は、外部的行為と密接な関係があるから、外部行為の規制を通じて内心の自由が制約される場合があることは、被告としても一概に否定するものではない」としている。
この軽薄さはさておき、その直後に「地方公務員は全体の奉仕者であって・・・・・・思想・良心の自由が制約されることがあり得るとしても・・・・・・・受認すべきもの」と続く陳述は強権的発想で恐ろしい。この弁護士には、「全体の奉仕者」と「国家の隷従者」とは、ほぼ同内容の語句として理解されるようである。彼女が憲法や教育基本法より「力」としているらしい「学習指導要領」を「教育勅語」とほぼ同義語として理解することのないように願うばかりである。
さて、冒頭にふれたように今回の原告の意見陳述は、現在県立D高校に勤めているA氏である。彼は中央に進み出て、意見陳述を始めた。
教師を志望する契機となった高校時代の恩師の強制配転に関わる体験。定時制高校での生徒を主体とした卒業式づくりの教育実践。定時制をはじめ多くの高校で行われていたフロアー形式の卒業式に、次第に「日の丸・君が代」の圧力が強まってきたこと。それに対する生徒の反感。意見陳述者自身が求める卒業式についての見解。そして、定時制に多く在籍する外国籍の生徒と「日の丸・君が代強制」との関係についての見解 ー 。
ここまで傍聴していて、意見陳述者のもっとも長とする点は、彼自身の教育実践やこの問題に対する認識がとても自然に消化された形で主体化され、それが今度は「骨格」となり、整然と統御された意見陳述となっているところだろうと、私には思われた。
例えば、外国籍の生徒といえば特別視して情感的に「これこそ人権問題」と声高にいう教師を多くみてきたが、彼は知性的な人間観と社会的見識とで、多くのも ― それが切ないものであれ、怒りたいものであれ、熱いものであれ ― を冷静に統御して最も伝えたいことをすっきりと傍聴者の胸に届けていたことである。そこに意見陳述者の深く温かい「認識力」を感じたのは私だけではなかったろう。
最後段で彼は2005年に新1年生の担任になった際の入学式での体験に触れた。「新入生の担任になった私は、『開式の言葉」で立ち上がり、そのまま「国歌斉唱」の時も座ることができず立っていました。
私は自分の内心の自由がこのようにして踏みにじられるのかと、怒りをこらえながら体育館の天井を見つめていました」と陳述した彼が、閉廷後に移した場所での報告集会で開陳したところによると、『国歌斉唱』時に立ったまま、今後のクラス経営や学年団の連携指導等も考え、座るべきか立ったままでいるか、かなりの葛藤があったとのことである。
法廷ではこのくだりで、ちょっと言いよどむほどに感情の高ぶりがあるように感じたが、原告側の『準備書面(3)』にも触れているようが、前回の陳述者が強制された際に「心の中に重たい塊が沈んでいる」と述べた苦哀は、そのままA氏の苦哀でもあったのだった。
もちろんこれは原告全員もそうであり、現場のほとんどの教職員の心身を脅かしつつあるところの、神奈川県と県教育委員会が現場管理職に「改めて取り組みの徹底をお願いします」(通知)と上意下達する反復的な「踏み絵」の然らしめるところなのである。
繰り返すようだが、こうした教育の核心、子どもたちのために身を賭して証言台に立つ現場の先生方の陳述を、多くの職場で学習してもらえないものだろうか。実際には「強制」の矢面に立ち何らかの責めを果たすべき教職員組合が、せめてそのために手をさしのべられないものだろうか。
今回の傍聴で、私はこんな思いが以前にもましてふつふつと沸いてくるのだった。
「こころの自由裁判」傍聴記① 「教育とそれに携わるものの不可侵性を深く解き明かした陳述」
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