2021年2月13日
「かながわ定時制通信制教育を考える会」は、今年(2020年)4月に、会発足および『連合路線の見直しを ニュース』創刊30年を迎えました。本会は、当初は「連合路線に反対し、定時制教育をすすめる定時制教職員の会」として発足しました。『ニュース』創刊号(1990年4月25日)では、「連合路線に反対する視点から、学習、交流の場を提供していきます」と述べています。
3年後、問題をかかえる生徒や不登校、統廃合などの課題が山積するなかで、教職員だけではなく、定時制教育に関心のある保護者、県民の方にも会への参加を訴え、運動を広げ発展させることをめざし「かながわ定時制教育を考える会」と名称を改めました。その後2008年に、通信制教育の側面からも高校教育を捉えなければならないと考え、現在のかたちになりました。
下記は、定時制の諸課題解決のために奮闘し、会発足を呼びかけ、「ニュース」発行に力を尽くした発足時の会代表委員の方の寄稿です。
寄 稿 現場に根ざしたたたかいをもとに会を発足させ
『連合路線の見直しを ニュース』を創刊 (後編)
木村 晴生(元神奈川県立高校教員)
教研活動は活発で、夏の教研集会(1982.8.27)には、定時制職員の1割を超える人が集まりました。
卒業式については、組合の特別定時制対策会議で経験交流がされ、例えば1991.3の希望ヶ丘の卒業式は実行委員会で相談し、体育館フロアーに大きく円形にいすを並べ卒業生を皆で祝い、卒業生も校長も保護者もその場でスピーチしました。
日常的な教育活動でも、大きな成果を残していることも多くあります。私の勤務した希望ヶ丘では1980年代、小学校から不登校になった生徒が毎年入学してきました。その生徒の殆どが毎日登校し、かなりの生徒は皆勤あるいは精勤で卒業し、進学して行きました。当時のNHKの教育相談の回答者が不登校の相談に対して、「横浜にある県立の定時制高校」と紹介していたこともありました。
もう一つ、2年間連続進級出来なかったり、問題を起こして退学した生徒には『条件が整ったらまた来るといいよ』と伝え、のちに再入学して無事卒業と云う生徒もいました。教職員の研究と実践、職場の団結は実施の教育を高めるものと感じています。
一方で、定時制教育への様々な攻撃が強まり、異動ルールや機械警備は組合本部が県の代弁者・推進者となってきました。
定時制教育への攻撃が強まり、それに立ち向かう
① 研修日への攻撃 1985年1月頃~1986年6月頃(研修を取りにくくする攻撃)
② 朝日ジャーナル問題 1987.4.24付(定時制の給食を攻撃する内容)
③ 人事異動促進 1987年4月 中央委員会に提起(全日制と同じ15年での異動の導入)
1988.2.27小冊子『「現場こそ組合の泉」』を発行して本部執行部方針を批判
1988.7.4 定時制13分会が「合意が得られるまで検討」の共同修正案まとめる
1988.9.13対県交渉(当時の教職員課長も定時制への急な導入は無理と理解)
教職員課の中でも同様判断あり。後の10.7の動き(1行下)は教職員課もビックリ(後日談)
1988.10.7中央委員会で本部方針の異動促進ルールを採決。
④ 機械警備導入 1988大会で提起、試行して合わなければ導入しないようなニュアンスであった。
1990.5. 定時制22職場中、5職場強行導入、13職場導入、4職場検討中
本部のその後の姿勢は導入を基本とするものであり、現場状況とずれがあり結局試行を行い
導入の方向に行った。
⑤ 連合加盟問題 1989.7 第49回定期大会「日教組を連合に行かせない」
11 臨時大会「連合に行った日教組にとどまる」
1990.7 第50回定期大会「地方連合に参加する」
連合路線の評価を避け、神高教としての主体的態度を一度もはっきりさせない。
1990.3.20「連合路線に反対し、定時制教育をすすめる定時制教職員の会」発足集会 会場:希望ヶ丘高校
1990.4.25 「ニュース」第1号 発行
1990.6.18 「ニュース」第2号 発行
1990.7.3 小冊子(パンフレット)『解法の手引き』発行 神奈川高教組本部執行部と論戦する時の苦労と反省で作る。本部執行部のごまかしや詭弁を打ち破る解法を手引きする。
人事問題や機械警備問題を経験し、有効な戦いを切り開くには互いに連絡を取り、情報を共有することが一番大切だと気付いたことが、『現場こそ組合の泉』や『解法の手引き』を発行する動機でした。
そして、組合が連合の方向に進む中では、それに反対する動きが「ニュース」を出すことに繋がっていったと思います。
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・現場に根ざしたたたかいをもとに会を発足させ 『連合路線の見直しを ニュース』を創刊 (前編)
・『連合路線に反対し定時制教育を進める定時制教職員の会』は1990年3月20日に発足しました (『ニュース』創刊号より)
・分会の再建、当時の分会活動 (『ニュース』第2号より)