2020年11月11日

 「定時制教職員の会」学習会から(要旨)

分会の再建、当時の分会活動

森田美亀男(当時 神高教磯子分会)

「連合路線の見直しを ニュース」第2号(1990年6月18日)より



 1960年神高教(神奈川県高等学校教職員組合)が分裂し、小田急線沿線の分会は、分会役員を異動させる、いわゆる足立原人事のため、多くの分会が潰されていった。

 そのような状況の中、大秦野分会定時制では神高教スローガンの“後期中等教育をすべての人に”を合言葉に分会を再建し、次の5つの項目を重点に活動した。

@工業団地に進出してきた企業の組合に協力を求め、未成年者で中卒者の調査を行い、入学希望者を入学させた。

A同和地区の子供会(青い麦の会)を主催し、家庭を訪問しながら高校進学を勧め、進学率を向上させた。

B生徒の要求を組織化し、照明が暗い、給食が温かくないなど生徒の要求をまとめ、署名を持って県へ行ったこともあった。また、制服を生徒会が中心になって廃止した。

C分会員相互の学習会、学校生活以外で生徒と関わることをスローガンに、丹沢同好会など1人1つサークルをもつこととし、その成果をまとめて分会誌『みずなし』を発刊した。

Dそのほか、研修日について、まず授業のない日を作り、半日年休・半日研修を強行、次の年から一日研修を勝ち取った。当時、定時制対策会議がなかったので苦労した。

 振り返ってみると、当時は分会活動をすることが生きがいで、皆が輝いていた。自分の分会の歴史を知ることを怠っていた私にとって非常に新鮮であり、今それを調べなければならないと思う。
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