2019年12月21日


教員の長時間・過密労働をどう考え、立ち向かうか

(Ⅲ)児童・生徒が、希望をもって成長できる「教育行政」にするには
中教審の現状のあり方からその公正を求め、独立した第三者機関とする


 中央教育審議会の性格と役割をより明らかにするため、その歴史をさっと見ておこう。
 新憲法下、1946.8に首相所轄で設置された教育刷新委員会が教育基本法制定の建議など積極的に推進したが、この流れは改称した刷新審議会の1952.6解散で終わる。

 この半年後の1953.1、日本経営者団体連盟(日経連)など経済団体の要請により発足したのが、文部大臣の諮問機関とした今日の中央教育審議会の始まりである。

 こうした発足の背景がこの審議会の性格を規定してゆく。頻繁な経済界の「意見」を文部省(当時)が受け、中教審に諮問し答申を出させ法案化する―、この手法で上意下達に末端まで徹底させる教育政策は、いつか「中教審路線」と呼ばれるようになっていた。

中曽根「臨教審」が今日の「教育路線」を敷いている

 ところが1985~1987に、「戦後政治の総決算」「憲法改定」を唱える時の中曽根首相は直属の諮問機関「臨時教育審議会」を設置、四部会の審議を全四次の答申で受ける。それは「改革」の名で、21世紀に復古的「国家教育」を行う典拠とするものであった。

 中教審はこの間休業。これ以降の答申はこの「典拠」を踏まえ、「格」を落とす。
 さらに21世紀を迎え、文部省は文科省と改組され、新中教審は諮問機関のまま「庶務」係のようになってゆく。この状況に、安倍首相は私的諮問機関―・2000.3教育改革国民会議 ・2006.10教育再生会議 ・2013.1教育再生実行会議を次々と閣議決定(国会の承認は不要‐首相決裁)で設置。全体主義的国家観の人たちでほぼ構成される「会議」が、「臨教審路線」を具体化し、ついに2006.12、新教育基本法を成立させてしまう。
 さらに、いま現場を窒息させかねない「変形労働制」法案を上程しようとしている。こうした政治的教育行政による弊害を正すべく、次の二点を提案する。
・中教審の歴史にみる問題点と現行の性格を分析し、独立した第三者機関とする。
・首相の諮問機関の設定は、国会の承認を必要とする法定主義によるものとする。


教育を国政の基本に据えた、文教予算の確立を

 教育現場の過密労働や人員不足が蔓延し、非正規教員が公立小中校で平均12%、約14万1千人になっているのは、つまりは教育財政が未確立のままだということである。
 予算は各省庁が提出した予算請求で内閣が予算案を作成、国会審議を経て議決成立する。

 では、なぜ教育現場に冒頭のような事態が生じているのか。原因はいくつかある。
 まず、旧教育基本法第10条「条件整備」が、財政の確保と連動しなかった憾みがある。また、教育財政の軽視は、憲法第26条の「義務教育はこれを無償とする」が未達成であることにも見られる。これをきちんとすれば、教職員の負担もかなり解決するはずである。

 次に財務省の姿勢にも大きな問題がある。彼らは財政本位で、この国の教育のあり方にクールでその理解不足など頓着しない面が強い。それは付属機関の財務制度審議会の「提言」などにも言えることで、教育の結果責任の一半は財務省関係にもあると考えられる。
                          

教育財政を疲弊させている小泉「三位一体改革」

 軽視の大きな事例に、小泉内閣時の2002年の地方自治体の行財政を中心とした「三位一体の改革」がある。国庫補助負担金の縮減の9000億円をどう捻出するかが問題となり文科省にお鉢が回る形勢となり文科省は当然反対。中教審は「国庫負担金の従来の1/2」と提言するが、その翌月の2005.10の閣議決定でこれを無視。2006年度より「1/3」に減額し、その差額分の約8500億円は地方交付税として一般財源化された事例である。

 この一月の答申の「まとめの議事録」でも、非正規のサポートスタツフの増員は喜ぶが、非正規教員の比率の高さなどは全く触れられていないばかりか、むしろ、今年度の予算案では教員の自然減等で94億円減、国庫負担金も前年比27億円減の始末である。
 現場態勢の正常化のために、緊急課題として次の二点を提案する。
・義務教育費国庫補助負担金を直ちに1/2にもどす措置をとる。 
・現場の抜本的条件整備のため、短期間の年次的財政措置を図る。


財政効率による14%の非正規教職員を解消、採用制度の改善を図る

 答申そのものでも、膨大な非正規教員の問題に不自然なほど触れていない。
 現在、大学を除いた全公立諸学校の教員は101万5千人。うち職名「講師」-非正規教員(以下「非正規」)は全体の13.9%、約7人に1人が「非正規」である。

 2018年度の新規採用教員は3万人、「非正規」は6万4403人で、前者の約2倍である!
 かつて非常勤講師は、少時間科目の担当や産休や病休教員の代替として任用される程度だったが「担当数の調整」「初任者研修の補充」などで次第に増えてゆく。

非正規教職員は、財源節約の「調整弁」

 今日の事態を決定的にしたのは、2001年の教員定数標準法の改定である。具体的には、1人の正規教員分で2人の「非正規」を充てても教職員定数に換算できる-「定数崩し」が自在になったのである。これに拍車をかけたのが2006年の地方公務員の定員削減、既述の「国庫補助負担金」の1/3への縮減である。「非正規」は自治体財政軽減の格好の「調整弁」と化してゆき、教員間の格差が常態化するような現場になってしまったのである。

 ところが「非正規」を比率高く雇用し続けた結果、緊急事態に対応できる人員が一般公務員ともども枯渇していて、現状は、教育現場も「穴が開く」状況が常態化している。

 このため「同一労働同一賃金」などの運動も反映して、国会で2017.5に「地公法及び自治法の一部改正の法律」(略称)が成立、2020.4実施に向けて各自治体が条例改定を目ざしている。目的は人員確保にあるから、総務省は3月に条例の要件「正規と非正規の処遇を同等とする」旨の通知を発している。次の二点とともにさらに運動を進める必要がある。
・教員配置の不足に「非正規」を充てることを前提として、新年度の「採用予定数」と「採用候補者名簿」の数とを同数にして、余裕をなくする措置をやめる。
・採用制度を行政側の一面的な基準ではなく、非正規教員の経験や実績を公平に評価する選考方法など、制度の改善を緊急に図る。


いま「労働組合」は教育など、新自由主義の弊害に国民とともに闘うとき

 政府の介入を排除し、国家の公共性を圧縮・削減して「小さな政府」「個人責任」の名の下に、資本の営利活動にフリーハンドを与える―新自由主義が1980年代半ばから中曽根、小泉、安倍政権と引き継がれて30余年。いま目の前に広がっているのは何だろう。

 形骸化した憲法に謳われた労働権、団結権や労働基本権。資本のさらなる収奪に「働き方改革」で応え、法人税の優遇減税分を消費税増税で埋め合わせし、ローンで不要の戦闘機を爆買いする内閣。その対岸には、大災害被災者の放置。過労死。50%に迫る臨時・不安定雇用。1100万を超えるワーキングプア。10万人に2800人の未成年の自殺。対応しきれない子の虐待死。常態化したいじめ(・・・)による自殺、老後不安……。国の崩壊状況がある。

 ある識者は言う「新『富国強兵』」国家だ」と。「教育改革」も新自由主義のトレース(敷き写し)にすぎない。通常の勤務時間を延長し、その分、夏期に休暇のまとめ取りできるという、現場を知ればバカげた「年単位変形労働制」の法案も、無責任な新自由主義貫徹の意図からのものである。目を転じて、世界の教職員たちの動きを見てみよう。
 

新自由主義の正体は暴かれ、闘いは広がりつつある

 教職員たちもアメリカの各州、南米、香港等々の世界各地に、不退転のスタンスで生活格差の是正や教育を守れの闘いを展開している。5月にはメキシコの新大統領が新自由主義からの転換を表明。世界はダイナミックに変わりつつある。

 では、わが国の分断と格差そして反動的な状況には、どう立ち向かうべきであろうか。
 各労働組合が掲げる「目標・方針」を名実ともに追求するならば、国民の大多数が抱える要求と合致する点が大きいはずである。特に教育の破壊については、すぐにも分かり合える課題である。国民は反(アンチ)新自由主義の一点で、労組が中央組織の違いを超えて現政権・経団連と対峙する場面を待っている。労組はきっと闘いの一つの要(かなめ)となっていくだろう。
・資本の労働者収奪の原理そのままに、教職員の非正規雇用につなげる行政を糺す。
・全国組織の連合と全労連が対等に6000万労働者と国民の要求のためにテーブルに就く。

・教員の長時間・過密労働をどう考え、立ち向かうか(Ⅰ)この事態に立ち至らせている、これまでの教育法と政策

教員の長時間・過密労働をどう考え、立ち向かうか(Ⅱ)これが「日本型教育のよさ」の成果?教師や教委の工夫に責めを求める答申

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