2019年10月2日


教員の長時間・過密労働をどう考え、立ち向かうか

(Ⅱ)これが「日本型教育のよさ」の成果? 教師や教委の「工夫」に責めを求める答申


疲弊し、斃(たお)れてゆく教師 過労そして自死 

 1か月に100時間、2~6か月間に月80時間を超える時間外労働は、過労死の危険があるとの通達を厚労省労基局が出したのは、2001年12月のことである。それから20年足らず。
 県教委は昨年9月、精神疾患で休職したのは75人、過労死ラインにある教員は、小学40%、中学70%、高校30%と発表した。これに対するセフティネットの現実はどうだろうか。

 救済機関である地方公務員災害補償基金(地公災)の労災認定は厳しい。この春報道された横浜市立中学のKさんの場合も、くも膜下出血の死から認定まで五年半かかっている。
 過労から追い込まれるように山林で自死した事案では、行政側が控訴し、最高裁は主因が公務に原因がある事を認めず、原告側敗訴とした判例さえある。

コマ数増え、その先にはわかりきった過労死ラインが

 前号の「ニュース」(Ⅰ)で、週休五日制の完全実施の際にそれに見合う担当授業時数にしなかったことが、過密労働の一因を成していると指摘した。しかし、その後も授業時数は1日平均4コマから4.8コマに増え、多くの教員が1日5コマや6コマの授業を行っている。準備時間を含めれば、これだけで勤務時間の8時間を超えてしまう。中学では一日平均5コマだが、部活動のため、より長時間労働となっている。

 これに諸業務を重ねれば、過労死を前提にしたブラック職場というよりほかない。つまり、過労死ラインとなる事がわかっていて、現場は「経営」されている。メンタルチェック、ストレスチェックなど必要のない職場にすることこそ、急がれているのである。

精神疾患者が増える休職者の実情と内情

 労働の過密から身体、精神に変調をきたす教師が2007年の統計では、病気休職者8069人、うち精神疾患者が61.9%の4995人であったのが、2017年の統計では病気休職者は実数で273人減り、割合もわずかに低い。しかし、精神疾患者の実数は5077人で82人増え、65.1%と高くなり、その約75%を4、50代が占めているのは痛ましい。

 積年の労の結果とも推量できるからである。2017年度調査では、復職 1994人、休職継続 2060人、退職 1023人である。(出所『学校基本調査報告書』)
                         

ほかの職種と比べても異常な職場

この異常さは、多忙とされている他分野の労働実態と比較すると、いっそうはっきりする。

 一週間の労働時間が60時間に上る労働者の比率は、飲食業で28.4%、運輸・郵便業で22.7%であるのに比べ、小学教師は57.8%、中学教師は74.1%で、平均しても2.58倍である。(出所『2016年度教員勤務実態調査』+1週間の平均持ち帰り5時間を算定基礎としたもの)

志願者の減少と、教員不足と

かつて3Kと呼んで敬遠された職種があった。教職がまさにそれになりつつある。新潟県の小学教員の応募は昨年度1.2倍に止まり、実質全員採用する事態になっている。横浜市では、一昨年病休の先生の代替措置が遅れて中学生300人の成績が不記載となった事例があり、この春には小学校で定数に55人の先生が不足する事態や、応募数が6年連続減となる状況にある。

 川崎市でも応募者が昨年比2割の262人減るなど深刻になっている。千葉県でも昨年、産休の代替配置ができない事態が40件に上っている。その措置には現場が分担して凌ぐため、さらに労働過密化が進む現実がある。つい、半信半疑になるほどの教育現場の「荒廃」である。

中教審答申は、第三者的な独立機関の答申ではない

今年1月に出された中教審答申(略称「働き方改革に関する総合的な方策」)は、新憲法のもと、戦後73年間の教育政策とそれに基づいて遂行されてきた学校教育の「到達点」ともいうべきものである。そして、前半の記述はその一つの「決算書」ともいえる。

 この答申を検討する前提として、次の三点を確認しておきたい。
①中教審は文科省に置かれた文科大臣の最高の諮問機関で、定数20名(当審議会は32名)任期は2年、内閣の承認を経て任命される。
②今回の委員構成は、財界と大学関係者で70%を占める。
③「働き方改革」とは、行政本位の立場から教師はこのように仕事をするものだと指南(指導)する方針。「働かせ方改革」と呼ぶ人もいる。

無反省で自画自賛の現状肯定

 では本文57ページにわたる答申は、この事態に対するどんな「処方箋」になっているだろうか。結論から言えば「処方箋」にはなっていない。

 冒頭から、戦後から今日までの文教行政の肯定とその「成果」の誇示である。今日の事態の基本的原因が、文科省(旧文部省)と中教審の諮問と答申の長年の「呼吸」の結果にあるにもかかわらず、このことには、全く顧慮も反省もみられない。さらに、「国際的にも評価されている『日本型学校教育』」を持続可能にするために、働き方改革は急務である」と続く。

 今日の「荒廃」を前にして、事務方の文部官僚がこんな「作文」をサラッと書いているのには、言葉もない。さらに「膨大になってしまった学校及び業務の範囲」と、現場の状況を“自然現象”か“対岸の火”であるかのように述べたうえで、この答申は「我が国の様々な職場における働き方改革のリーディングケースになり得るものである」とまで、手前味噌を並べる始末である。

 しかし、全体を読んだ目には、危うい国家的方針が貫徹していて、これを事務方の作文力の稚拙さと看過するような気持にはとてもなれない。

これでは、事態の解決にたどりつけない

  (Ⅰ)で指摘した今日の事態の元凶三点―元凶①の給特法の見直しサボタージュについては、周知の制度を長々と解説した後、「必要に応じ中長期的な課題として検討すべき」と棚上げにしている。
 無償の残業時間の上限を月45時間と「国定化」して何の意味がある!という現場の怒りは大きい。そのうえ、答申を受ける立場の文科省が、2018年11月、改革特別部会に「一年単位の変形労働制」を盛り込んだ「答申骨子案」なるものを提出(?!)。多くの委員から、長時間労働を助長しないかなどの疑問や懸念が出されたのにもかかわらず、「答申」の末尾には「2021年4月実施」と明記した「別紙4」が添付されている。

 元凶②の担当授業時数の増加については、小学校で教科担任制を充実させ学級担任の負担を軽減する?とするが、肝心の教員増員には全く触れていない。

 元凶③の業務の累積については、その原因の一つは、文科省と中教審とで企業法人もどきの組織構造の「学校づくり」をし、それに見合う管理体制の強化をしてきた点にある。それをこの事態の解決には、学校評価、人事評価制度のいっそうの活用と、そのためには管理職や人材登用の必須条件にマネジメント能力が必要と説いている。

 こうした「論旨」の展開は、この事態のいっそうの悪化も構わないということなのか、答申は本当に文科省に向けて準備された文書なのかと、読む者を混乱させてしまう。

 そして、ここには専門的立場の教師が、自立してたち働く職場のイメージは浮かんでこない。専門性に謙虚な、本来、条件整備を旨とする行政担当者の抑制された姿勢も見えない。   

現場は「足らぬ足らぬは、工夫が足らぬ」なのか

 問題点の指摘はあるが、その対処・解決は各級教育委員会の責任に振り向ける、地域の援助に求める、問題は教師個々の「意識改革」が足らん点にある、と言わんばかりのまとめ方に終始している。そこに貫通しているのは、国として「改革」にまったく財政的な措置を取るつもりはないという姿勢である。条件整備や改善に財政的措置なく達成できることがあるだろうか。あまりにも不条理である。

 委員からも確固とした財政措置要求が出ていない。そのせいか、「改革のための環境整備費」には、教員の事態解決のための増員は、措置したというアリバイ程度の微々たるものである。本来、中教審が文科省に「答申」で求めるべき財政措置が、なぜこんな内容になってしまうのか。

「実態調査」、ヒヤリング、パブリツクコメントは何のためだった?

 2006年.2016年の「全国教員勤務実態調査」、諮問の前に行われた32団体と識者4名の約350点にのぼる意見、「正規の休憩時間がとれない問題は、スタッフの充実や教職員定数の話も含め、ぜひ重く受け止めていただきたい」など、ごく良識的な改革特別部会委員たちの発言、本答申直前に募集したパブリックコメント(3208通)等は、本当に答申に反映しているのだろうか。繰り返し読んだ者には、文科省の本気度を示す“印象操作”に利用されたのではないか、という疑念さえ湧いてくる。

 答申がそう誤解されかねないものなら、犠牲となった教師とその家族はもとより、教育現場は救われない。

 「倒れて後(のち)已(や)む」という言葉がある。死ぬまでやり通す、の意である。これでは教師は教育者ではなく、兵士ではないか。
 

・教員の長時間・過密労働をどう考え、立ち向かうか(Ⅰ)この事態に立ち至らせている、これまでの教育法と政策

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