2015年8月11日
県立高校の「統廃合」ではなく、全日制定員増と条件整備に本腰を
「県立高校改革推進計画」から「県立高校改革基本計画」へ (下)
一月に決定した「県立高校改革基本計画」(以下『基本計画』)について、(上)では先の「県立高校改革推進計画」(以下「推進計画」)が、「統廃合」跡地の半値売りと進学率を全国最下位にした「改革」だったことを告発。(中)ではこの計画が政府の「教育振興基本計画」に基づいた計画であることを指摘。これを受けて(下)では、高校教育全体にわたって対案を提示する。
なお、この6月22日県議会例会で、桐谷教育長は質問に答える形で『基本計画』の再編対象校を年内に決定、来年度実施の方向を明らかにした。考える会が出した意見書やこの「対案」を踏まえた『実施計画』の提案を強く望む。
「財政危機」は進学率向上を回避する理由にはならない
対案を提示する前提として、次の点を明確しておきたい。
「改革」の折に枕詞のように用いられる「財政危機」や「少子化」はともに、志願する生徒たちには全く責任がないことである。にもかかわらず、進学率の向上や、教育予算の増額を回避する「口実」のように用いられるが、これは止めるべきである。いわば立案者が「大人社会」のツケを志願者にまわす責任転嫁であり、「大人気ない」し、「改革」の内実を希薄にするものである。
「改革」は何はさておき、高校教育の機会を保障することに腐心、尽力しなければならない。
進学率92.7%(1977年)の実績は再現できるはずである
皮肉なことに、2000年からの『推進計画』実施後、全日制進学率は凋落して2011年には88.0%となり、ついに全国最下位となった。しかし本県は、まだ生徒数の多い70年代に県教育委員会が計画進学率の達成をめざして、74年には過去の最高93.0%を実現させた実績を持っている。つまり、進学率の向上は「凋落」の分析と総括を行い、県民ならびにその子弟の立場に軸足をおくなら、最高実績レベルの再現はそんなに困難ではないはずで、右の表をみても、そう高い目標ではない。
『基本計画』では盛んに「生徒のニーズ」と書くが、その当否はともかく、半数を占める全日制断念者であふれかえった夜間定時制や、全国一大規模の通信制高校の新設は、彼らの「ニーズ」だったろうか。これを正し、2000人にも上る不本意入学者を解消するためにも、ただちに89.2%から昨年10月調査の「全日制高校進学希望率」と同率の92.1%に上げるべきである。
生徒にとって学びやすく、教職員にとって生き生きと教育活動ができる場に
生徒にとって、新たな世界が開け、それを深めていけるような学びやすく将来に夢の持てるような学校。教職員にとっては、生きがいと誇りのある教育活動が展開でき、充足感のある職業意識が持てる職場。そもそも学校運営の前提であるはずの生徒、教職員に保障すべきこうしたことを現実のものにする条件を提案したい。
細部にわたらず、教育の目的を遂行するための二面、①学校数と配置、その規模、施設、設備、教育財政等、教育の物的外的事項、②教育の内容、方法、評価,研修等々、権力的な介入を排して教職員の教育的専門性を担保する、教育の内的事項について対案を示す。
県教委は主体的な財政権限を確立して、条件整備に本腰を
① 物的外的事項
・高校三課程ともに「統廃合計画」はやめ、全日制は適正規模を学年6~8学級、夜間定時制は2学級以下、通信制はマンモス規模によって生じるひずみを検証して是正、改善する。
・全日制進学率を直ちに92.1%、次に全国平均(13年)の92.4%、さらに前回の高校改革で県教委が掲げた94%にする。
・定時制の修学条件を独立して安定したものにするために、全日制の「受け皿」的扱いはやめる。生徒の健康等を考えた給食制度の復活や、教職員の専任化など安定した態勢をつくる。
・通信制課程の複雑で習得困難な特質を踏まえ、特段の行政的支援措置を講じる。
・教育の機会均等をめざし、授業料の無償化や奨学金制度の抜本的改善と拡大の早急の実現。
教育予算縮減の方向性ではなく、「金も人手もかけずによい教育ができるはずはない」を出発点に条件整備を図るべきである。「統合」(「統廃合」)は、玉虫色の表現で、「重点目標7 地域の新たなコミュニティの核となる学校づくりを進めます」と矛盾していないか。定時制・通信制への不本意進学者を減らし、全日制進学者を増やすための財政措置をすべきである。
夜間定時制に学ぶ生徒のために定めた「夜間定時制給食法」(略称)による給食制度をわずか500万円の補助金節約のために廃止したが、これをあらたに自校方式にして復活すべきである。
マンモス通信制の中途退学率、単位修得率、卒業率は深刻なものがある。実状の改善に本腰を入れるべきである。県が全日制生徒一人にかける年間費用は約106万円で、6429人在籍の通信制のそれは約19.6万円に過ぎない。通信制は経済効率が極めてよいのである(安上がりである)。
こうしたところにも、県教育財政の姿勢と、その結果が象徴的にあらわれていないだろうか。
言うまでもなく、条件整備には財政措置が必須である。だからこそ、県教育委員会には教育の目標を遂行しきるための、主体的な財政権限が保障されなければならない。
ところが歴史的にみれば、教育委員会法(1956年に「地方教育行政法」の制定で廃止)に定められていた<教育予算案・教育条例案の作成と議会提案権>が奪われて久しい。さらに2006年からの義務教育費国庫負担金は1/2から1/3に削減され、その差額が地方交付税に組み込まれ一般財源化している。最近では「少子化」を口実に財務省が「統廃合」による財政軽減試算を発表したり、「小中学校教職員の大幅削減を求める」建議を出すなど、「財政本位」の流れが強まっている。
こうした趨勢にある今日、『基本計画』で文言を飾り、「菜種油は絞れば絞るほど絞れる」式に節約主義を教職員に押し付けるのではなく、財政の主体的確立をこそ自覚的に目ざすべきである。
教職員に、その専門性と職責にふさわしい自由を保障すること
② 内的事項
・学校長を統率者的頂点とする、企業法人組織を引き写したような「学校経営」体制から、教育の条理と生徒の教育要求本位のものに改める。
・「国旗・国歌」の強制、学校評価・人事評価制度等々、国家主義的教育への傾斜を廃する。
・教育的専門性を高めるために、教職員の自主研修を保障し、教育委員会の専門性を涵養する。
軍国主義教育一色の果てに敗戦を迎えて間もない日本にやってきた米国教育使節団は、その『報告書』(1946年3月31日)で、教職員と教育行政の関係をこう明快に述べている。
「教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分に現される。この空気を作り出すことが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくることではない」
これに照らせば、教職員の教育活動をとりまく国旗・国歌の強制、人事評価制度、自主研修の有名無実化、職員会議の諮問機関化、授業準備やクラス運営を思案する間もない多忙化、健康を害し「退職願望」に追い込まれる過重労働、そして学校間を競わせる学校評価制度による格差化……。こうした、教職員として研鑽を積み、その専門性を培い職責を全うしたいという意思の障害となっている「行政官」(県教委)の「施策」は、直ちにやめるべきである。
この「障害」を正さず、「改革の7重点目標」を掲げて「校長のリーダーシップ」による「学校経営」を一段と声高に強調する「基本計画」は、いっそう教職員を「目下」におくような、統制的な管理強化を促すものにすぎない。大多数の教職員は日夜努力しているが、統制的管理が強化され、「窒息しそうな日々」を生徒の教育活動にかけている。この現実を洞察、理解し改善策を図るほどの専門性と良識を、委員会関係者、首長、県議会議員、各種協議会の審議委員たちには、深く保持されたいものである。その劣化が教育関係の識者から多く指摘されているところである。
今年は文部省(現文科省)が創設されて144年、新学制で夜間定時制教育が開始されて67年である。
「中途半端の教育は其の人の人生を中途半端にする。彼等は実に其の生涯の勤勉努力を以てしても猶ほ且つ三十円以上の月給を取る事が許されないのである。」
これは105年も前、明治の末期に書かれた石川啄木の『時代閉塞の現状』の一節である。教育行政関係者は以て肝に銘ずるべきである。
・県民財産を食いつぶす『県立高校改革』 「県立高校改革推進計画」から「県立高校改革基本計画」へ (上)
・全国最下位の全日制高校進学率を改善しない「改革基本計画」とは? 「県立高校改革推進計画」から「県立高校改革基本計画」へ (中)
トップ(ホーム)ページにもどる