2015年3月30日


全国最下位の全日制高校進学率を改善しない「改革基本計画」とは?

「県立高校改革推進計画 から「県立高校改革基本計画」へ(中)



 県教委が昨年9月に公表した「県立高校改革基本計画(仮称)【素案】」は、この1月に教育委員会で承認され、正式の「基本計画」(2015年 以下『基本計画』)となった。本文だけでA4判67pの大部なものだが、その大部分は行政の 「政策」の羅列で、教育用語が氾濫する「実沢山」なものである。
 そこで、主に「教育を受ける機会と権利」の拡大の視点から、問題点を忌憚なく指摘したい。

「生徒を最優先」と唱えながら、いっそう「格差」の方向へ

 まず、「県立高校の教育を取り巻く状況」として、(1)社会状況の変化、(2)高校教育をめぐる動き、(3)現代の高校生の状況、の三項目を立て、やや詳しく書けば(1)高齢化社会となり21世紀は「知識基盤社会」で生き抜く力が必要であること、(2)この『基本計画』が、新教育基本法により可能となった政府策定の『教育振興基本計画』(第1期2008〜、第2期2013〜)という流れを受け、昨年6月の報告書『県立高校の将来像』(2014年 以下『将来像』 )を経て成立したもの、つまり、国の政策に則した『基本計画』であること、(3)現代の生徒の姿が、社会貢献する、学力の維持の確保を必要とする、道徳性やコミュニケーション能力を必要とするなどの諸像として書かれている。

 次いで 「改革の基本的な考え方」として、「生徒にとって何が必要かという視点を最優先する(スチューデント・ファースト)」と教育のコンセプトを提示している。大いに賛意を示したいところである。

 ところがである。次に示されている「改革の3つの柱」は、これまでの本県の「教育改革」に照らせば、① 「多様性の尊重、生徒の個性を伸はす」→「このフレーズによる一層の学力の格差化」、② 「魅力ある学校づくり、学校経営力の向上」→「学校間格差の助長」、③ 「少子化社会での県立高校再編・統合」→「県立高校の統廃合の促進」と読み替えが容易な「柱」である。つまり、直前の「スチューデント・ファーストという改革の基本的な考え方」と、真逆な「改革の3つの柱」とが背申合わせに連結しているわけで、変である。

 冒頭も含め、この『基本計画』が本県の高校教育の問題解決を図るものになっていないことを、次の3点が欠落していることを根拠に批判したい。
 

教育の機会と権利拡大に、改革の姿勢が見られない

 第一点は、全日制進学率を全国最下位にしながら、教育の機会を広げ権利を保障する改革姿勢に欠けていることである。2000年度からの『県立高校改革推進計画』(1999以下『推進計画』)で、極端な全日制高校 「統廃合」を断行したために、定時制に多数の不合格者が殺到した事態について、「全日制への入学が果たせず、定時制や通信制への進学を余儀なくされる生徒も少なからず存在し」(2013年『神奈川の教育を考える調査会 最終まとめ』以下『まとめ』)、「定時制高校への入学者の増加が続いている状況に現状では対応できていない面がある」(2010年 『推進計画/10年間の成果と課題』 以下『10年間』)などと当事者や関係者は因果関係から目をそらし、「定時制、通信制ともに全日制を希望した生徒は50%近い (『基本計画』)とは書くもののそれきりである。

 全日制進学率が全国最下位になった原因もこれと同根であるのに、「経済的な理由や学習状況の課題により」(『まとめ』)と、行政ミスを擁護してその責任を受験生に転嫁している。これらの原因について 『基本計画』は全く触れていない。こうした姿勢を真摯に改めて進学率向上を図り、教育の機会を拡大すべきである。
 

教育の実をあげるチャンスに「大規模化」をねらう

 第二点は、教育の実を上げる改革プランの欠落である。確かに教育用語は氾濫している。が、それは学力格差の助長や教職員の指導力向上に名を借りた管理強化、校長の統率力強化を押し立てたものが大半である。日々奮闘する教職員を称揚し、それを改革に繋げる記述は皆無である。

 少子化をいうならば、クラス定数を下げ、学年クラス数を指導が行き届く適正規模にする絶好のチャンスのはずである。論議となっている現行の一学年6~8クラス規模について、現場教師から「生徒の多くに目が届き、指導効果が高い」「教室に余裕があり、柔軟な活用が教育効果を上げている」などの声が多い。しかし『基本計画』は、「小規模」の利点を挙げる一方で 「小さくなることで、学校行事の活気が乏しくなる、生徒会や部活動などの活動が成り立たなくなる」と危惧している。もちろん単純に教科活動と特別活動とに軽重はつけられないが、「適正規模」を論ずる場合に、教育課程の構成主体である教科教育と特別活動とを同列にしていいものだろうか。疑問である。また、「小規模」が教育現場の活気を失わせるという「論理」が是認されれば、何校でも「統合」して 「大規模」にすればよいという結論となり、歯止めの利かない 「統廃合」につながらないだろうか。教育の機会を狭めるような 「論議」は 「改革」の名に値しない。

はじめから財源緊縮の「計画」では、本物の教育改革はできない

 第三点は、『基本計画』の「改革」の主眼は教育にあるのでは無く投入財源の縮減・削減の徹底にあると推測されることである。もちろんこれが、
議会の承認を得て予算の立案という手順になるのだろうが、「財政計画」が全くない反面、この計画の先駆けと思われる『まとめ』の冒頭から、「神奈川県の財政は極めて厳しい状況になっている」とあり、それを引き継ぐように『将来像』では「『改革計画』の策定と、教育効果に対するデータ的な根拠が必要である」「財政措置については県教委は今の予算や制度を徹底的に見直して無駄を省き、学校現場に最も適した仕組みで、メリハリのあるものにする必要がある」(要旨)と述べているが これが国立教育政策研究所所員を会長に、ほぼ教育畑のメンバー14人による検討協議の (報告)である。『10年間』で、「再編統合による削減効果」は期間中の8年間で 「約139億円の削減効果を試算」と誇示していたのを思い起こす。

 このおよそ、教育の事業の何たるかを心得ていない的外れなソロバン勘定本位の付けは、子どもたちと教職員、さらに「地域」の肩にかかってくるだろう。

 注目されるインクルーシブ教育についても、「前宣伝」の大きさとこのソロバン勘定の本意の姿勢とに計画遂行上危惧されるようなアンバランスがないか、この点から本件の実情を見てみたい。

 本県の県立特別支援学校は22校に、過大規模校化の緊急対応として設置の20分教室である。 生徒数は現在、15年で約2倍の5648人に増加する状況の下で、知的障害教育部門単独校で適正規模比172%、知的障害・肢体不自由教育部門併置校で適正規模比162%のすし詰めの実態にあり、県教委設置の協議会の「提言」でその解消に取り組んでいるが、まだ5校足りない。その上、全校舎面積、平均校舎面積ともに国基準の半分にも満たない現実がある。にもかかわらず、県財政上に位置づけず、今年度の「まなびや基金」で2校がプリンタやピアノを購入、5校がトイレの改修工事まで行っているというのは驚きである。県の予算措置で対応すべきなのに、臆面もなく<子どもたちの笑顔づくりにご寄付を!>と募った募金にゆだねる感性は理解しがたい。筋違いの財政措置は他力本願的であり脆弱にすぎないか。アンバランスを感ずる所以である。

 以上は、実情のほんの一端である。インクルーシブ教育の遅れを取り戻しきちんと確立するうえからも、確固とした県財政計画の下に条件整備を行うべきだと考える。

「教育改革」が、次世代の「格差社会」の青写真であってはならない

 こうして『基本計画』の全体を読んできて驚かれたのは、学校教育の三本柱であるはずの生徒と教職員、そして保護者の生きた「顔」が、目鼻立ちのない石膏像のように全く見えてこなかったことである。このことと表裏の関係にあるのか、貧困と格差、先行きの見えない中で学力競争と進路に苦しむ生徒たちの姿、国旗国歌の強制問題、教科書採択に関し県が各校に介入する越権行為、長時間過密労働等々、「教育改革」の俎上にのせて解決の方向を明らかにすべき教育課題はほとんどみられない。

 しかし、一つの疑念だけは強く『基本計画』から感じ取ることができた。それは、この計画は、次世代の「格差社会」を準備した「計画書」に他ならないのではないかということである。

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