右側の二つの彫刻と下の写真の1と2(1は腕のどこかであるらしいが、2は確かに左手の先部分。何かリンゴの様な物を握っていると言われる。)がミロのヴィーナスとともに出土したものであるという。

 
 

残念なことに、この同時に出土した破片は、ある日忽然とルーヴル美術館から姿を消した。利益をあてにした人物がどこかしらに売り払ったのかもしれない。

ルーヴル美術館の公式見解としては、筋肉の隆起などから、左手を高く掲げているということまで判っている。また、右手は何かを持つ、もしくは衣を押さえるという形になっていると考えるのがどうやら主流であるらしい。多くの人々が、欠落した両腕に想いを馳せ、どのような形をしていたか想像図などを残したりもする。

ヘレニズム文化は、初期のアルカイック期(比較的に真正面からまっすぐ捉えた堅い像が多い)、中期のクラシック期(繊細になり、だんだん動きが出てくる)、後期のヘレニスティック期(豊かな表現によっていきいきした人間の動きをあらわす)の三つに分けられるが、このミロのヴィーナスはヘレニスティック期の作品であるので、余計にその失われた部分の表現に人々が固執するのである。

そしてラヴェッソンは以下のような、予想にたどり着いた。正直言うと、これでは正面側から見たヴィーナスの豊かな身体の曲線が腕とまっすぐな主柱で堅いものになってしまっている。不自然といってしまえば話は早いかもしれないが、おそらく私がたとえどんな予想図を見せられたところで、ある種の不自然をおぼえるであろうから、なにもラヴェッソンが悪いというわけではない。彼の熱意には感服するばかりである。と同時に、そこまで魅力的なヴィーナスに嫉妬の混じった賛美を送りたい。

 
 

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