ラヴェッソンとヴィーナス
 
 

ラヴェッソンがこれこそミロのヴィーナスのあるべき方向と定めたのが、まさにまったく横から見てしまうというこの写真のような角度であった。私は彼が何故、この方向だと考えたのかは、詳しくはフランス語に明るくないので分からないが、おそらくはそのころの他の作品(例えば以下の図のような)を参照してみた結果であろう。

また、同じく他作品の研究から、ヴィーナスは単体としての作品ではないというところに行きついたようだ。説としては、たしかに隣に人がいるというのもあった。というのは左手を掲げているとして、それが何のためにという問題が出てくる。多くの人の予想図は、手に何かを持たせるか、もしくは少ないが隣に人を配置したと考えられる。作品には「神話」が必要である。意味の無い作品はこの時代には存在し得ない。


 

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