実験的記号論風れぽおと

このレポートは夏あたりに書いた、英語の授業のためのものですが、くすぶらせてもしょうがないし、もしかしたら、こんなことを考えているひともいるということで、誰かの役に立てばと思います。ちょっと量は多いですが、よろしかったら暇つぶしにでもどうぞ。

 

住民提案187号とはなんぞや(班員瑞田(C)のレジュメより抜粋)。
1. 不法在留外国人は州の公的な教育制度の適用外とし、教育機関は生徒とその親の法的地位を確認しなければならない。
2.緊急の場合以外、公的医療サービスの提供者は患者の法的地位を確認しなければならない。
3.金銭の融資などを受けようとする者は、その法的地位を立証しなければならない。
4.サービスの提供者は、不法在留外国人と疑われる者を州の最高法務官と移民帰化局に通報しなければならない。
5.公的な利益や雇用を受けるために、個人の法的地位を隠す不正な書類を作ったり他人に渡したり使ったりすることは州における重罪とする。

 

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Nativism, Mexican Immigrant Workers, and Proposition 187 in California

*発展―――「異人」という存在とその排除による秩序構築の原理

09/07/2001 Shuko 

1.はじめに  

我々のグループは住民提案187号にまつわる不法移民(主にメキシコからの移民)の問題に当たってきた。「移民の国」とうたわれたアメリカが、「異人」を排除するという保守的行動に至るまでの系譜を、ここでは簡単に述べる。簡単な問題ではないが、具体論的考察は、他のメンバーの論点であるので、あまり深入りしないことにする。そして、それはこれから先の記号論的見解をより論じやすくするための基盤に過ぎない。何故に私がここまで記号論的、文化人類学的にこの問題を見据えようとしたのかは、文学部の学生としてのこだわりに他ならない。多少、具体性に乏しい面もあると反駁されようが、この論の性格上それは免れえないということを、はじめにことわっておく。  

2.具体的視点から  

 「移民がアメリカ史そのものに他ならなかった」そういった、歴史家の言葉はあながち誇張とは言えない。合衆国の原型はヨーロッパからの移住者によって、先住民族を殲滅し、西に追いやって作られたからであるとともに、アメリカ社会はその後大量の移民たちに門戸を開いてきたからだ。しかし、アメリカは19世紀頃から現れた「新移民」(注)を差別し、受け入れ制限を始めた。その理由は文化、社会習慣、宗教の違いによる社会的紛争の回避のためであった。   (注)「旧移民」が主として北・西ヨーロッパからやってきたのに対して、「新移民」は南・東ヨーロッパから、さらにはアジアからやってきた。1960年代以降はヒスパニック・アジア系中心の「新々移民」がやってくるようになった。  

1965年法の平等性とその逆説―――1965年改正移民法(Immigration and Nationality Act Amendment of 1965)はそれまでの民族・人種差別的色彩の濃い立法からすると、実に平等で国民経済的配慮と人道主義的配慮に基づいた法であった。ジョンソン大統領の表現を借りるなら、「今後アメリカへ移住を希望する人の受け入れは、その技能とすでにこの国に移住している人との近親関係とに基づいて決定される」という。移住を望む人々は初めて所属する国や人種で見られることなく、能力と「家族の再結合」という配慮の上で受け入れられることとなった。各国単位の上限送り出し人数もなく、優先枠も二つの原則以外に認めなかった。その後10年間、移民問題は65年法の理想主義のもと、鳴りを潜めていた。しかし、その間にもどんどん移民の数は増えた。これは、発展途上国の混沌と先進国の経済発展にも要因があるが、65年法の「家族の再結合」の人道的配慮の原則が、時の経つにふれて、「家族」が連鎖的に膨れあがった結果といえよう。    しかし、それは莫大な不法移民を生むことにつながった。当然のように行き来していたメキシコ人の殆どが不法移民と成り果てたのだった。この法はその平等性ゆえに、国境をまたぐ統一経済圏を人為的に分断した。「季節労働者」が「移民」と名を改め、合法移民になり得ない残りは不法移民になったというわけだ。合衆国の移民問題がいま、大きな社会問題となって現れてきた。  

1986年法の目的とその結末―――では、一度その「不法移民」を一掃してしまおうという考えから10年かけて結実したのが、1986年「移民改善・規制法」(Immigration Refom and Control Act of 1986)であった。この法はすでに一定の期間を経ており、アメリカ社会に定着していると思われる「不法移民」を一斉に「合法化」した。また、一方で「不法移民」だと知りつつも雇用した雇い主に対して罰則規定を定めた。しかし、この作戦も「合法化」した元「不法移民」たちが磁石となって、祖国から新たなる「不法移民」を吸い付けてしまい、結果的に「不法移民」問題は解決にならなかった。その次の90年法も為すすべはなかったといってよい。  

NAFTA交渉における、米墨間の思惑―――1990年から93年秋までのNAFTA(北米自由貿易協定 のための交渉は結果的にこの「問題」に触れられることなく終結した。合衆国側の憂慮は、「メキシコ人不法移民」にまつわる社会的損害、メキシコ側の危惧は自国民がアメリカにおいて差別され(現にアメリカにおいてスペイン語を話す褐色の肌を持つ人々はそれだけで「不法移民」の負的イメージを付与されている)搾取されていることだった。よって両国にとってあまりに刺激的なこの争点は回避されてしまったのだ。貿易という通商においての国際化はなされたが、移民問題に関して、合衆国はメキシコとの間に物理的に壁を築くほかなかった。この壁こそが、国際化の矛盾点の象徴である。  

3.記号論的視点へ  

 さて、ようやく具体論を抜け出すときが来た。要するに、メキシコ人はアメリカ経済の混沌的状況において、ここ(此岸)にいるべきでない――不正であるから――あっち(彼岸)の人間としての、「異人」のレッテルがはられた。「異人」をどう解釈するか。私は「異なる人」というより、「人に異なる(つまり人でない)」という強烈な見方であると思う。この場合の人とは「われわれ」という社会関係の総和に重点が置かれる。彼岸と此岸の差、それは「異和感」と呼ぶべきものだろう。この「異和感」(あえて「違和感」ではなく)を用いた人類学者が山口昌男である。「違」という漢字は同質のものの間の微妙な差違であり、一方「異」という漢字は水と油のように決して混じり合うことのない決定的な帰属の違いが強調される。

  〈メキシコ国旗を振る人々〉また、「異人」という位置づけがなされるには、不法移民であるからということとは別に、メキシコ人の祖国愛が挙げられる。アメリカ人にとって共通の信仰対象となるべき「星条旗」を彼らは振らない。スペイン語しか話さない(話せない)。国家間の戦闘意識があらわになる、サッカーのワールドカップ、アメリカ対ルーマニアの試合において彼らは祖国メキシコの旗を振る。ナショナリズムが体現されている。この祖国愛は、住民提案187号の反対運動の時にも大きく現れたので、移民に寛大であった人のナショナリズムの高揚をも招くことになってしまった。もともと、「アメリカ国民」というのは、かなり強い愛国心をもった国民であると思う。そのつながり無くしては、どこからどこまでが「アメリカ人」なのかわからないからである。その意味においても、メキシコ人不法移民は「異人」なのである。  

 カリフォルニアにおいて、「われわれ」の中心がWASPであるにしろ、黒人たちでさえ、アジア人たちでさえ、メキシコ人を「異人」とみなす。彼らが、不法移民である以上、彼らは社会における「悪」の記号なのだ。    スペイン語というのも密接に関わってくる。ここでは、ギュンター・ヴァルラフの著名なドキュメンタリー、『最底辺』を挙げたい。(この本との出会い関しては、ドイツ語の担任斉藤先生から直に推薦されたのがきっかけである)本の中ではドイツが舞台だが、不法労働者(移民)差別としては、実に如実に例が現れている。「ドイツ人はおれたちトルコ人が休み時間の間トルコ語で話すのをひどく嫌がるんだ。きっと陰口を叩いているんだろうってな。だから、ここではドイツ語を話すのが決まりなんだ。」「言語」というものが通じないのは決定的である。意志の疎通が図れない、まさに古代ギリシャで「異人」に対しての差別的呼称「バルバロイ(バルバルと訳の分からないことを喋るもの)」に通じるものがある。アメリカにいながら、「アメリカ人」である上での共通の言語を持ち得ない彼らを、誰が理解出来ようか。  

 共通の言語を持ち得ない、共通の文化を持ち得ない、共通の宗教を持ち得ない、そのような人々は「異人」である。アルフレート・シュッツは「異人」をこのように定義する。「偶像破壊者・涜聖者、あるいは共同体のメンバーの誰一人にとっても互いに理解し合い理解しうる正当な機会を与える一貫性、明証性、まとまりといった外観を保証する『相対的・自然的世界観』を次第につき崩すもの、共同体内のメンバーが疑問に付さないほとんどすべてに疑問符を付する者」同じ「パラダイム」を持たない者、しかも、視覚的に「異和感」がある者ということである。なぜ「パラダイム」という言い方をするかというと、「パラダイム」は疑問を付することによって破壊されかねないものだからである。例を挙げると、「何故人を殺してはいけないのか」という問いは「善悪」の「パラダイム」に石を投じ、結果としてひびが走った。秩序が混沌状態になりかけた。多くの人が、この質問自体が間違っていると質問者を非難したが、それは、社会の暗黙の了解を理解しない者は排除に値するという原則に基づいている。一方、「善悪」について真剣に考えだした人もいて、「道徳」とは何かを考える良い機会となったりもした。この機能は〈4.中心と周縁〉で詳しく述べるとしよう。  

「構造的劣性」としての不正移民―――人間社会は、幾度と無く人間に身分差を設けてきた。インドの「ヴァルナ(現カースト制)」や日本の「士農工商」は言うまでもない、重要なのは、この身分階級に記されない不可触賤民、(あえて差別語をそのまま用いるとしたら)えた・ひにんを構造上設置したことである。統治論において、ある最下層の人間を設置するというのは、実に陳腐な歴史的手法であった。上に対する不満は、下へと向けてもらえばよい。そして統治者はスケープ・ゴートを作り出した。(最初にこの論<権威主義的パーソナリティー>を唱えたのはフランクフルト学派のアドルノであった。)この論は簡単にカリフォルニアの住民提案187号の状況に当てはめられる。本文からも明らかなように、決して差別されていないとは言えない黒人が、アジア人が、このメキシコ人苛めとも言うべき方に賛成しているのは、彼らにとって<メキシコ人=不法移民=悪>は絶対的に下位であるからである。下位の人間がある限り、人は統治者、上位の人間からの酷い仕打ちに耐えうるのである。統治者にとってなんて「安定した」社会であろうか!

  4.中心と周縁  

 どうにか本論にたどり着いた。では、その「異人」たちが国家の中で与えられた役割とは何であるか。あらゆる「政治的宇宙」には中心がある。この中心は首都とかそういう類のものであるとは限らない。団体の中のにある一点である。言わずと知れたことではあるが、「政治」という語の定義をここでは再確認したい。「広義には諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合すること」(大辞林第二版より)すなわち、団体が団体であり続けるために、必要な「求心性」を保たせ、離散させないことだと言える。そして、国家が求心性を保ち、一致団結するのは、一体どんなときであるか。容易に想像つくであろう、それは戦争のときである。「仮想敵国」というのはまさに、国家の団結のために作られた「悪」のイメージである。オリンピック時の、「愛国心」はスポーツが戦争と同じ種の性質を持っていることの証明になる。ナチスにとってのユダヤ人、ジプシー、身体障害者は(優生学的側面もあるが)国民に彼らを排除することで優れたドイツが出来上がると信じ込ませ、一致団結させるのに役立った。ヒトラーであっても、国民の支持無くしては、あれほどの力を持たなかったであろう。そこには、ヒトラーを支持する国民がいたのだ。「排除」のなのもとに団結した国民が。各国の戦争中の内閣(統治者)支持率は驚くほど高いのは周知のことであろう。)  

 排除される人々はたいてい弱い位地にあるマイノリティーである。「異人」がそれであるし、「畸形者」も攻撃誘発性(ヴァルネラビリティー)がある。ここで考えてみたいのが、本題の「不法移民」である。メキシコ人は、その「不法」という「悪」の意味づけによって、下の地位に貶められていた。〈6.インタヴュー〉も参照していただきたいが、メキシコ人不法労働者は常に、安い賃金で、ふつうなら人のやりたがらない仕事を負ってきた。注意すべきは、この住民提案187号を政治政策として盛り上げた人物がいると言うことだ。この提案は知事選挙でも非常に重要な意味をもった。共和党現職知事のピート・ウィルソン氏が提案の支持を表明する一方で、民主党新人知事候補のキャサリン・ブラウン女史は反対に回り、大きな争点となった。結果は、59%対41%の得票率で同提案が支持され、ウィルソン氏も知事の椅子を守った。もともと、この提案がこれほど大差で可決されるとは予想だになかった。このウィルソン氏は、彼らを排除することがカリフォルニアの社会不安を一掃することに繋がるという考えを表明した。事実、この住民提案を支持する人の意見も同じである。メキシコ人が職を占有し、社会サービスに頼るので、カリフォルニアは経済不振に襲われていると。しかし、経済不振の現状はそんな生やさしい原因なのだろうか。たとえ、メキシコ人を一掃したところで、失業者の数はほとんど減らないだろう。それほど、アメリカという国は民族による職業分化があり、いま、下から経済を維持させてくれているのは「縁の下の力持ち」といっても過言ではない、不法移民なのかもしれない。  

 いったん混沌となった社会がまた求心性を取り戻し、一致団結するためには、社会的「周縁」を創造し、その排除というプラクシス(実践)を共同して行い、秩序の再構築につなげるというのはケネス・バーグに始まる弁証法的考察であったが、すでに様々な学者がこの「中心と周縁」の問題を取り上げ、社会を考察する上での共通項になりつつある。この論の問題点とも言うべきところは、理論を容易にプラクシスに結びつかせ、弁証法の導入によって一挙に止揚された秩序を作ることが出来るというのが、単純すぎる気がするのも確かである。おそらく、弁証法に対する過信と言うべきものがあったのだろう。しかし、この論の重要なところは、どの集団もそれ自体が「中心と周縁」を持っているという性質についてである。家族もそうであるし、クラスにおいてもいえる。日本において言うなら、カリフォルニアと同じ状況で、在日韓国人、朝鮮人労働者の差別や被差別部落の問題がこれに当たる。私たちが、彼らをこぞって偏見の目で見、差別しているとき、気がつかなくてはならない。彼らは「装置」として社会に位置づけられているのではないかと。社会は「周縁」との対話を可能にしている。その対話を通じて、我々は盲目になりがちな自国の歩み方、その目的についてもう少し敏感になるはずなのだ。前記した、「何故人を殺してはいけないのか」という問題は、「善悪」との個々人の対話に貢献した点で、評価されねばならない。

  5.「多文化・主義」と「多・文化主義」、サラダ・ボウルとメルティング・ポット  

 では、彼ら「異人」たちを排除すべきなのか。排除して、「自国の統一」に役立てるべきなのか。そもそも、「われわれ」というのはなんであるか。多くの人が自民族に誇りを感じている。自国文化は唯一で純粋なものと思いこんでいる。しかし、すべての文化は他文化との交流を通じて現在に至る。孤島の未開文明でない限り、文化というのは絶えず他文化を取り入れ変化生成してきたものである。文化とは何か、自民族のアイデンティティか。否、生きるために必要なものであるはずだ。えてして雑種なものだ。「和魂洋才」論は、この問題の例に適している。生きるために、西洋文化を導入するが、魂は日本のもので、それは変わることはないというのは、おかしい。二枚舌とはこのようなことをいう。ここでは、この先も混じり続けるだろう文化に関して「多文化主義」に焦点を当ててみたい。  私事で申し訳ないが、今年私立W大受験時、関根政美『多文化主義社会の到来』という文章が現代文の問題であったのが印象深かった。「多・文化主義」と「多文化・主義」の違いが争点であった。前者は「人種のるつぼ」とかメルティング・ポットとか言われている概念に近い。色々な文化を取り入れはするが、結局は白人中心の固有なヨーロッパ的「アメリカ文化」を確立するのが目的とする考えである。  

 そして、今見直されるべきなのが、後者のサラダ・ボウルと呼ぶべき「多文化・主義」である。これは文化の雑種性を認めた上で、どれかの文化を「優れたもの」とは見なさずにすべての文化を尊重して平等に扱い、共存してゆく姿勢である。この、他者の尊重と言うべき文化意識はこれからますます重要になって行くだろう。そのとき必要なのは、他文化に対する想像力といえるかも知れない。文化に優劣を付けたのは、ダーウィンの進化論の考えからであろうが、深刻な環境問題などに直面した今、人類が必ずしも「進歩」の道を歩んでいるとは言えなくなってきているのだ。民族の枠を、国家の枠を取り払い、同じ地球にすむものとして、未来を考えるには自文化中心主義(エスノセントリズム)は障害にしかならない。アメリカだけはない。日本も、他文化を持つものを尊重し、他者への想像力を重視する時期に来ている。アイデンティティを持つなというのではない、それが他者の排除につながるのが問題なのだ。

  アメリカ社会の今後―――住民提案187号と同内容の法の導入を思案している州は他にも多い。「一国が受け入れる移民の数はどのくらいが適当か」という問いに対する完璧な答えはない。もし「提案187」のような法案で移民を制限し、経済が復興したら、これは非常に象徴的な出来事となるだろう。しかし、同時に「提案187」が実施されなかったとしても、アメリカが外部からの人々を温かく迎える国だというイメージを傷つけた代償のほうが大きいと思う。私はいつも、アメリカの志として、ニューヨークの自由の女神に刻まれた碑文を思い出す。「疲れた人、貧しい人、自由を渇望する人は私のもとへ来なさい」。両親や祖先たちはこうしてやってきたのだ。深く心に刻むべき言葉ではないか。

  6.インタヴュー

(カリフォルニアに留学経験のあり、現在上智で英語を教えていらっしゃる大瀧先生に聞きました。ご協力感謝いたします。)

  恥ずかしながら日本に帰ってきてからのほうが移民に対する意識が高まったので、現地にいたときは恐ろしいほど無自覚だったので、Proposition187はちょっとわからないんだけど、差別ということでいえば、知っているかもしれないけれど、私のときはAffirmative Actionの是非が結構論議されていたよ。Affirmative Action、つまり大学とかだと、非白人を優先的に入学させたりする制度ね。でもだんだん今度はアジア系やヒスパニック系が増えてきてしまって、逆差別だという声が白人から上がってきて、根本的にこの法律を見直さなくては、ということになっていたのよ。カリフォルニアはMexicanが非常に多いから、特にサンディエゴあたりだとそうだろうね。SFだとChineseのほうがMexicanより多いけど、でも私の働いていた会社でも、トラックの運転手は全員Mexicoからの移民だったよ。差別はないけれど、賃金は営業の人よりはかなり安かった。

なんだか全然参考にならないね、ごめん、本当に無知で、でもそのテーマは面白いと思うよ。移民に対する発言、行動って必要以上に大きく取り上げられたりするから。やっぱりそれだけみんなsensitiveになっているということなんだろうね。   Affirmative Actionはね、多分廃止はされていないと思う、けどはっきりしないので調べてみて。ただ批判の声があがっていることは確か。

> ほんとに全然知らないんですがMexicanの人ってのはすぐに見た目でわかるような特徴があるんですか?例えば肌の色は何色なんでしょうか?

肌の色は褐色だね。我々よりはちょっと濃い。でも母体が大きいから、固まってスペイン語でべらべらしゃべっているからすぐわかるんだよね。見た目だと顔も確かに濃いけどね。だから、顔と肌でHispanicだっていうのはわかるけれど。

> そして、トラックの運転手のように人種によって仕事がある程度きまっていたりしますか?

決まってはいないけれど、いわゆる高収入の職業(医者、弁護士など)についているメキシカンの割合はかなり低いと思う。ほとんどが運転手とか工事関係とかそういう人だから。というより、普通の会社で働いているサラリーマンを知らないだけかもしれないけど、道を歩いていて道路工事をしている人を見たらほとんどメキシカンだったりするからね。アジア系ってことはまずない。アジア系の親は逆に子供に学をつけさせたいから大学までやる親が多いんだけど、メキシカンは自分だけ出稼ぎに来て、国に送金しているという人もいるし。大抵はまぁ、家族で移住してきているんだけれど。クラスメートに一人、Mexican-Americanがいて、彼女のところはかなり裕福だったみたいだけれど。どうしても人があまりやりたがらないような仕事をオファーされる可能性が高いよね、タクシーの運転手もそうだし。

> あと、カリフォルニアにはアフリカ系アメリカ人はいないのですか?

いますよ、もちろん。SFに限っては特殊なので、アジア系と白人がものすごく多くて、メキシカン、黒人がその次に続くけれど、都市によって変わってくると思う。でも、他の南部の州と比べれば、黒人の割合は少ない方だと思うよ。住む地域も自然に分かれていて、別に他の人種がすんじゃいけないわけじゃないけど、アジア人居住地域、メキシカン居住地域、黒人居住地域、ってだいたいわかれてる。それでメキシカンと黒人だらけのところは大抵治安が悪いんだよ。SFでいえば、黒人居住地域は、夜行ったことないけど(怖すぎる)、昼間は周りとかもなんとなくきれいな気がするんだよ。でも窓見ると鉄格子がしてあるの、2階までは。あと店舗で休みのところ、開店前のところは必ず鉄格子がおりている。そういう地域は治安が悪いからね。治安がいいところは鉄格子なんか1階の窓にもつけないから。

 


参考文献 (なお、資料を探すにあたって、文学部のクラス担任斉藤先生、商学部の小野先生、新潟大学でアメリカ政治学を研究していらっしゃる越智先生に貴重なご意見を頂きましたことをここに記しておきます。)  

五十嵐武士・古矢旬・松本礼二 『アメリカの社会と政治』 有斐閣
町村敬志 『越境者たちのロスアンジェルス』 平凡社
中村雄二郎 『述語集』  岩波書店
山口昌男 『文化と両義性』 岩波書店
ギュンター・ヴァルラフ  『最底辺 トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』 岩波書店
関根政美 『多文化主義社会の到来』


 

発表を終えての感想

調べるべきことは、入念に調べましたが、なにぶんメンバーそれぞれ独自にテーマを絞り、個別に調べてきてしまったので、時間との戦いが課せられたように思います。であるから、本当はゆっくりと余裕を持って説明したい象徴的部分でも、猛スピードで走り抜けるほか無かったのが悔やます。時間配分を始めにきちんと決めておけば、質問の時間もとれたでしょうに。以後気をつけます。しかし、発表中、うなずきながら聴いてくれているのを見るととても嬉しくなりました。その点、生徒みんなの顔を見ながら説明が出来たと思います。プレゼンテーションは慣れていませんが、いい勉強になりました。

 


 

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