発表時のプリント

Nativism, Mexican Immigrant Workers, and Proposition 187 in California

                              02/07/2001 Shuko 

*発展―――「異人」という存在とその排除による秩序再構築の原理

 

  1.はじめに

我々のグループは住民提案187号にまつわる不法移民(主にメキシコからの移民)の問題に当たってきた。「移民の国」とうたわれたアメリカが、「異人」を排除するという保守的行動に至るまでの系譜を、ここでは簡単に述べる。簡単な問題ではないが、具体論的考察は、他のメンバーの論点であるので、あまり深入りしないことにする。そして、それはこれから先の記号論的見解をより論じやすくするための基盤に過ぎない。何故に私がここまで記号論的、文化人類学的にこの問題を見据えようとしたのかは、文学部の学生としてのこだわりに他ならない。多少、具体性に乏しい面もあると反駁されようが、この論の性格上それは免れえないということを、はじめにことわっておく。

 

  2.具体的視点から

*「移民がアメリカ史そのものに他ならなかった」(歴史の始まりとその経過において)

  19C頃に登場した「新移民」を受け入れ制限
  その理由は文化、社会習慣、宗教の違いによる社会的紛争の回避のためであった。

 

*1965年改正移民法(Immigration and Nationality Act Amendment of 1965)の平等性とその逆説

  +的側面―――技能と「家族再結合」の二原則

  −的側面―――「家族」の連鎖、「季節労働者」―→不法移民への転化

 

*1986年「移民改善・規制法」(Immigration Refom and Control Act of 1986)の目的とその失敗
  飴と鞭の法………飴は不法移民の一斉合法化、鞭は雇用主罰則規定

  不法移民のさらなる増加 その次に施行された90年法も全く効果なし

 

*NAFTA(北米自由貿易協定)交渉における、米墨間の思惑と矛盾
  アメリカ側の憂慮―――「メキシコ人不法移民」にまつわる社会的損害
  メキシコ側の危惧―――自国民がアメリカにおいての差別と搾取(現にアメリカにおいてス  ペイン語を話す褐色の肌を持つ人々はそれだけで「不法移民」の負的イメージを付与されている)

  貿易という通商においての国際化は成功したが、移民問題は努めて回避
  メキシコとの間に物理的に壁(通称第二のベルリンの壁)→国際化の矛盾点の象徴

 

  3.記号論的視点へ

*「異人」此岸に居るべきでない彼岸の人間 〈スペイン語を話しメキシコ国旗を振る人々〉
  「悪」の意味づけ  

 アルフレート・シュッツの「異人」定義

「偶像破壊者・涜聖者、あるいは共同体のメンバーの誰一人にとっても互いに理解し合い理解しうる正当な機会を与える一貫性、明証性、まとまりといった外観を保証する『相対的・自然的世界観』を次第につき崩すもの、共同体内のメンバーが疑問に付さないほとんどすべてに疑問符を付する者」

 

*「構造的劣性」としての不法移民
  身分制度―――インドの「ヴァルナ(現カースト制)」や日本の「士農工商」、さらにその下
  <権威主義的パーソナリティー>フランクフルト学派のアドルノ提唱

 

 4.中心と周縁  

「政治」とは団体が団体であり続けるために、必要な「求心性」を保たせ、離散させないこと
問い: 国家が求心性を保ち、一致団結するのは、一体どんなときであるか?

答え:一つは戦争、もう一つはスポーツ

 

*「敵」の創造と共同による排除のプラクシス(実行)それに伴う秩序再構築

共和党現職知事のピート・ウィルソン氏が提案の支持を表明する一方で、民主党新人知事候補のキャサリン・ブラウン女史は反対に回り、大きな争点となった。結果は、59%対41%の得票率で同提案が支持され、ウィルソン氏も知事の椅子を守った。この提案がこれほど大差で可決されるとは誰が予想しただろう。ウィルソン氏は、彼らを排除することがカリフォルニアの社会不安を一掃することに繋がるという考えを訴えた。

 

  5.「多・文化主義」と「多文化・主義」、メルティング・ポットとサラダ・ボウル

*「文化」とは

  「多・文化主義」―――「人種のるつぼ」とかメルティング・ポットとか言われている。色々な文化を取り入れはするが、結局は白人中心の固有な西欧風「アメリカ文化」の確立を目的とする考えである。

  「多文化・主義」―――サラダ・ボウルと呼ばれたりもする。これは文化の雑種性を認めた上で、どれかの文化を「優れたもの」とは見なさずにすべての文化を尊重して平等に扱い、共存してゆく姿勢である。

  他者に対する想像力の必要性、脱エスノセントリズム

 

*アメリカ社会の今後―――保守的傾向

       「疲れた人、貧しい人、自由を渇望する人は私のもとへ来なさい」

 


付録:インタヴュー抜粋

協力:上智大学英語講師 大瀧先生

カリフォルニアはMexicanが非常に多いから、特にサンディエゴあたりだとそうだろうね。SFだとChineseのほうがMexicanより多いけど、でも私の働いていた会社でも、トラックの運転手は全員Mexicoからの移民だったよ。差別はないけれど、賃金は営業の人よりはかなり安かった。道を歩いていて道路工事をしている人を見たらほとんどメキシカンだったりするからね。アジア系ってことはまずない。アジア系の親は逆に子供に学をつけさせたいから大学までやる親が多いんだけど、メキシカンは自分だけ出稼ぎに来て、国に送金しているという人もいるし。大抵はまぁ、家族で移住してきているんだけれど。クラスメートに一人、Mexican-Americanがいて、彼女のところはかなり裕福だったみたいだけれど。どうしても人があまりやりたがらないような仕事をオファーされる可能性が高いよね、タクシーの運転手もそうだし。  


 

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